also known as “SIU”,“vigilante”.
好きな人やものが多過ぎて/見放されてしまいそうだ
虚勢を張る気はないのだけれど/とりわけこわいことなどない
日記ではありません。
活字メディアでの仕事(主として原稿)を、執筆日時順に整理してあります。
発表原稿が主ですが、時に未発表原稿、未定稿、取材メモなど、それと写真も混じります。
あ、あと、たまに気が向いたら、仕事まわりでの私的な覚え書きや雑感なども……
時期的にはおおむね2000年以降のものが主になってます。
それ以前のものは、随時発掘、整理して加えてゆければ、と。
収録してある原稿の一覧は、id:king-biscuit:archive へ。
表紙の左肩下方のインデックスの一覧から「原稿」をクリックするのも可、です。
ブログというフォーマットを、個人の日記や私的な雑録以外に利用する手だてはないのかな、と、ずっと考えていて、プライベート設定で試行錯誤していたものを、思い切って公開にしてみました。
ささやかながら、ひとつこういう試みもあるのかな、という感じです。
書籍以下、活字メディアの流通がどんどん窮屈になってゆく中で、活字へと開いてゆくための、ある種インデックス的なアーカイヴスとして使ってもらえればうれしいです。
……というようなわけで、
king-biscuit *1の、個人的なアーカイヴです。
物置き、倉庫、作業場……まあ、そのどれでもあるようなものかと。
IDに、特に意味はありません。
King−biscuit boy というブルースマンがおりまして、
音もさることながら、名前の響きが昔からなんとなく気に入っていたので、
自分の馬にでもつけてやろうと思っていたのですが、
大井で同名馬が出現しました(しかも親戚づきあいの厩舎に……)。
でもまあ、いいか、と、ここのタイトルはそのままにしてあります。
タイトル部分に原稿の性格を示すカテゴリーとして、[原稿][取材メモ][書評][聞書][コメント]などと分類してあります。
同時に、内容を引き出すインデックスとして[競馬][世相][文化][政治]なども入れ込んであります。
基本的に、原稿の性格+内容、という組み合わせで複数のカテゴリーをインデックスとしてつけてあります。
ほとんどが[原稿]なので、そこから検索してもらえば概略、全体が見えるかと。
日付の横のヘッダには、「○○新聞」「週刊○○」といった風に、初出の掲載媒体を記してあります。
媒体の詳細は必要に応じて脚注で補足してありますが、それでも「なんじゃ、これは」というのがあるかと思います。そのへんはご容赦を。
日時については、媒体の刊行時ではなく、原稿を脱稿した日時に準拠しています。
未発表、またはボツになった原稿なども結構あるので、実際の発表日時とはズレがあります。
また、バージョンも原則、こちらの手を離れた段階でのものになっています。
ゲラの段階で手が入ったりした部分は、必ずしも反映されていません。(というか、そっちの方が多いはずです)。 なので、活字になったものと比べるとかなり異同もあると思います。
そのあたりもろもろ、悪しからずご了承ください。
ブログを個人の日記や私的な雑録以外に平和利用できないか、と、ずっと考えていて、プライベート設定で試行錯誤していたものを、思い切って公開にしてみました。
原稿は仕事をし始めた80年代初めからワープロ専用機でした。
リコーのビジネスワープロ専用機。当時リースで60万円くらいした記憶があります。
次に、同じリコーの値段が200万円くらいした、今思えば初期のDTPまがいの専用機。
ばかでかいレーザープリンターに、フラットベッドスキャナーまでついてました。
民生機としては日立のOEMだったのですが。
パソコン導入後も、このリコーのリポートフォーマットで作った原稿ファイルに悩まされました。
DTP仕様のものなど、リポートスターという例外的なものでさらにどうしようもなかったり。
専用機を早くから使っていたせいで、パソコン使うようになるのは少し遅れました。
当時の職場にWIN95の端末が入っても、メイルもなかなか使えなかったり。
さすがにいかん、というので、WIN98が出た時に、
富士通のリブロのノートパソコンを買いました。これも当時40万円くらいしました。
その後、ゲートウエイのA4ノートに乗り換え、続いてスリムタイプのデスクトップを買い、
今ではメインはなんとか自分で組んだものを使っています。
OSはもうずっとWIN2000で通してました。
その後XPも入れましたが、特に不自由もないので当分このままでしょう。
さすがに、windows10 に入れ替えました。7も8もすっ飛ばしたことになります。
書いたものをネットで公開する、ということについて、自分で引き受けられる覚悟が宿るまでそれくらいかかった、ということなのかも知れません。それほど、メディアとしてのweb空間に対する距離感は、自分の中ではつかみにくいものでした。
もちろん、その間、自分なりにネットのありようを計測しながら、活字でのそれとは明らかに違う運動神経を鍛える作業はしていたつもりですが、それでも、かなりの時間がかかりました。
日記や雑記をそのままに垂れ流すブログは、よほど自意識の制御に確かな自信がないとみるみるうちに「自分」の輪郭を崩して、この世ならざるものになってゆく危険性がある、それは、おおむね察知できていました。
もの書きがものを書く、そのスタンスは、やはりそれなりに一応の構えがあるわけで、なおそこに編集者を始めとした「他者」の視線が介在してゆく。ひとつのテキストが整えられ、原稿から版に下ろされ印刷され、実際の媒体と変化して世に流通してゆくまでの過程というのは、実はそんなに簡単に乗り越えられていいようなものではないなあ、と思います。
ブログという形式に何をどう盛り込めば、何か公益性のあるものになり得るのか、あれこれ試行錯誤しながらたどり着いたのが、こういうスタイルだった、ということです。
ささやかながら、ひとつこういう試みもあるのかな、と思っています。
書籍以下、活字メディアの流通がどんどん窮屈になってゆく中で、敢えて活字へともう一度開いてゆくための、ある種インデックス的なアーカイヴスとして使ってもらえればうれしいです。