『たそがれ清兵衛』・考

 時代劇がいま、静かに広く、そして深く、ニッポンの同時代精神に浸透し始めています。

 いまさら何を、と言われるかも知れません。けれども、嘘じゃない。小説や読み物といった活字の表現は言うに及ばず、テレビドラマからマンガや映画などに至るまで、時代劇の道具立ては昨今、不思議に使い回されるようになっています。それは、具体的には高度経済成長の「豊かさ」が暮らしのすみずみにまで行き渡るようになり、いわゆるサブカルチュアがわれらニッポン人のココロの取りさばき方に抜き差しならない影響を与えるほどに日常に全面化するようになって以降、それらの表現ジャンルの間にしばらく見られなかったほどの大きな流れになりつつあるようにさえ見えます。

 特に、若い世代にとって、時代劇の道具立てがこのところ意外なくらいに違和感のないものになってきているところがあるようです。

 大衆文学作家の泰斗(と言ってさしつかえないでしょう)、吉川英治の『宮本武蔵』にインスパイアされて描かれたという井上雄彦の連載マンガ『バガボンド』は、マンガ市場自体が縮小傾向にある中で珍しいくらいのメガヒットになっていますし、NHKの大河ドラマで『武蔵』が放映され、それ以外でもちょっとした「武蔵」ブームになっています。あるいはマンガにとってかわって十代から二十代にとっては重要なアミューズメントメディアになりつつあるゲームの世界でも、いわゆるRPG(ロールプレイイングゲーム)と呼ばれるジャンルを中心に、時代劇出自のキャラクター設定はすでにさまざまに散りばめられています。もちろんそれはそれまでの活字中心、大衆文学経由の時代劇ヒーローたちのそれとは違いますし、年輩の世代の時代劇趣味からすれば噴飯ものの代物であることも少なくないとは思いますが、しかしそれでも、袴をはき、ちょんまげめいた髪を結い、日本刀を構えた剣豪ないしは浪人イメージのキャラクターというのは、ハイブリッドでキッチュな西洋中世的イメージに席巻されたように見えるいまどきのゲーム世界の世界観の中で、確実にひとつの居場所を確保しています。

 「歴史」はそのようにサブカルチュアのまな板に乗せられ、存分に料理されゆったりと常に変化してゆく。それは昔からあった理ですが、けれどもいま、その変化が「歴史」や「文化」のイメージにもたらす影響というのは、これまでとは比べものにならないくらい大きく、深いものになってきています。「豊かさ」を前提にした高度情報化社会というのは、そのように「歴史」や「文化」、あるいは「社会」や「世界」といった、われわれ人間が人間であるがゆえに抱え持っている意味の水準を、それまでとは違う速度、違う範囲で変貌させてゆく仕掛けが全面化してゆく過程に他ならない。〈いま・ここ〉を生きる、とは、まさにそのような過程を内側から呼吸し、身体ごと生きてゆくことなのです。



 そんな中、山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』が、今年度の日本アカデミー賞の各賞をほぼ総なめにひとしい成功をおさめました。

 作品賞を始めとして、監督の山田洋次の監督賞、主演の真田広之宮沢りえの男優賞、女優賞、助演男優賞から脚本賞などなど、獲得した賞はなんと十二部門。制作会社の松竹は、ニッポン映画の退潮を象徴する会社と言われ、小津安次郎以来の伝統ある大船撮影所まで売却するほどだったのに、ここにきてバブル期にその権勢を誇った奥山融・和由父子を経営陣から追放するなどの果敢なリストラ策が功を奏して、さらに最後の切り札山田洋次を擁してこの初めての時代劇『たそがれ清兵衛』に挑戦させた賭けが吉と出た格好です。

 思えば、旧松竹の奥山イズムというのは80年代角川イズムの末裔というか、バブル期特有、シロウトの考えなしややりたい放題を正当化したイデオロギーの典型的な申し子でした。映画関係者に言わせればまた別の見方もあるでしょうが、少なくともあたしなどの立ち位置から見れば、父親の融氏はともかく、息子のあの奥山和由という御仁の一時期の傍若無人ぶりは、旧態依然なニッポン映画界を刷新するという大義名分があり、また映画監督ビートたけしという才能を発掘したなどある程度の成果をもたらしたにせよ、総じていかにも軽薄で考えなしで、いずれバブル期のサブカルチュアまわり、創作表現界隈にデフォルトだった「アート」幻想のある結晶体という印象が強いものです。思いつき、アイディア、インスピレーション、感性……いずれそのような「個性」幻想に裏打ちされたその実子どものわがまま放題。チームを組み、現場のかったるい時間の蓄積を共にしながら初めて成り立つはずの映画という表現の特性を薄っぺらな「個性」によって一気に乗り越えられる、という思想は、それこそかつてのポストモダン神話、猫も杓子も何かおのれに特別な才能があると思いたがる「天才」妄想にも通じるものだった、と考えるのは、何かと時代背景と結びつけて解釈したがる批評・評論系もの書きの悪い手癖でしょうか。

 ドル箱シリーズ『男はつらいよ』を渥美清の死によって失って以降、『釣りバカ日誌』はあるにせよ、質量共に確実にビジネスになるコンテンツを持ち得ないままジリ貧に陥っていた松竹が、エースである山田洋次にたよったのは必然でしょう。そして、山田洋次はひとまず見事にその期待に応えた、それも時代劇というあまりに使い古された、あまりに陳腐でかったるい様式によって――それはある意味で、90年代を通じて残留放射能のようにニッポン人の精神構造を規定しているバブル期イデオロギーが、いま、最も古くさく、時代遅れと思えたものによってようやく足もとから溶解されてゆく、その現われのひとつのようにも思えます。



 とは言え、この『たそがれ清兵衛』は、まごうかたなく二一世紀、〈いま・ここ〉のニッポンでこさえられた映画です。時代劇が常にそうであったように、そこに描かれる「時代」は「歴史」そのものではない。〈いま・ここ〉に内包されたさまざまな問いを盛り込む器として時代劇という表現があり得る――サブカルチュアとしての時代劇という意味において、その一線は輝かしくも変わりません。

 周知のように原作は藤沢周平。73年の直木賞作家にして、大衆文学というくくり方自体が意味をなさなくなっていったポスト高度経済成長の情報環境で、しつこく時代小説の道具立てで終生、作品世界を構築していった書き手です。

 「たそがれ清兵衛」というのは同名の短編があるわけですが、今回映画化される際にはその他二本、「竹光始末」「祝い人助八」の内容を加味しながら一本の脚本に仕立ててあります。
時代は幕末、元治二年だそうです。舞台となっている庄内地方の海坂藩、というのは藤沢周平作品にはたびたび出てくる架空の小藩。主人公は井口清兵衛という御蔵役五十石取りの下級藩士です(真田広之、思えばデヴューは『麻雀放浪記』でした)。役目は蔵の出納役。つまり、幕藩制度の末端の小藩の、そのまた末端の小役人です。侍は侍ですが貧乏この上なし。しかもやもめで小さな娘ふたりにボケの始まった老母を抱えて苦労している。仕事が終わっても下城の太鼓と共に帰宅して、同僚とつきあいこともない。「たそがれ清兵衛」とは、日々たそがれと共に家路を急ぐばかりの彼を揶揄する同僚のつけたあだ名でした。

 幼なじみの朋江という娘がいます(宮沢りえ、頑張っています)。やはり同僚で友人の武家の娘ですが、嫁ぎ先の裕福な武家の夫の暴力に苦しみ実家に戻っている。いまどきで言えば「DV」(ドメスティックバイオレンス)禍で、このあたり少し前まで猖獗を極めたかのフェミニズムの悪影響などもうかがえます。清兵衛も朋江も共に心引かれているものの、清兵衛は小禄でやもめの自分と再婚して苦労するのが見えているので、朋江の想いに応えることができない。

 そうこうしているうち、清兵衛にひょんなことから大役が回ってきます。実は清兵衛は隠れた小太刀の使い手でその実力は藩内屈指だったのですが、それが上役の耳に聞こえて、反乱分子で脱藩を画策している余呉善右衛門という男(前衛舞踏家の田中民を起用、好演です)を斬って欲しい、と頼まれます。こちらも藩内一、二の剣の遣い手ですでに放った討ち手が返り討ちにあっている由。首尾よく討ち取れば禄も加増するし悪いようにはしない、という筋書き。悩んだ末に清兵衛は武家として、命に従い善右衛門を討ちに赴きます。

 話としてはただこれだけのことで、時代劇らしいクライマックスと言えば、その最後のシークェンス、清兵衛と善右衛門が廃屋の中で切り結ぶシーンだけ。それも薄暗い中で黙々としてやりあうばかりで、かつての黒沢時代劇の『七人の侍』や『椿三十郎』のようなカタルシスもあまりない。全編の多くは辛気臭い貧乏話に、それでも家族大事、御身一番で奉公する冴えない清兵衛の日常が描かれるばかりで、さすがに代々木系監督の山田洋次、プログラムピクチュアとして商売本位、お客様は神様です、のルーティンワークをやらせればそれこそかつてハナ肇を擁した「馬鹿シリーズ」(ああ、どれもこれも絶品です!)から「寅さんシリーズ」(特に初期の寅次郎の荒ぶる神ぶりは素敵でした)に至るあっぱれ割り切った職人ぶりを発揮するのに、いざ本腰入れて好きなものを撮れば、『駅』だの『学校』だのとやたら説教臭いものばかり、罰当たりで信心の足りないあたしなんぞはまるで文部省推薦の御用映画、国策フィルムをありがたく見せられているような窮屈さを感じさせられるのが常でしたが、ここでもその手癖は健在、いや、御歳七十代を超えて昭和ひとケタ世代の左翼経由な「戦後」イデオロギーの守護振りにはさらに磨き抜かれたようにも見えて、おいおい、いまどきこれってまだありかよ、と、あたしゃ思わず文句のひとつも垂れそうになりました。



 それでも、です。

 場内の多くを占めていた中高年の観客たちはみなカンドーしている様子。終幕に近づくにつれて場内ではスンスンとと鼻をすする音があちこちで聞こえてくるのでありました。

 いや、善男善女とはいつの時代もそんなもので、かつて「寅さん映画を観なければ正月が来ない」とまで言われた頃、「そんなやつがいまどきニッポンのどこにいるんだ?」とばかりに寅さん映画の新年興行、それも浅草だか上野だかのコテコテの現場に敢えて赴いてみたら、な、な、なんと!予想に反して長蛇の列が映画館を取り巻き、いざ上映の段になればあのベタなとらや一家の古典的なギャグの連発にもドッカンドッカン素直に笑ってくれる善男善女が佃煮にするほどいて、少しは「お笑い」に対するセンスを自認し、批評眼に自信を持っていたおのれの不明を深く恥じたという故ナンシー関画伯(このルポ、彼女の『信仰の現場』に所収です、ぜひご一読を)じゃないけれども、庶民大衆のそういう趣味趣向などはいまさらびっくりするほどのことでもありません。

 家族大事、御身第一、日常をきっちり守っておのれの分を知る無名無告の民のとりとめない日々の手ざわりこそが、「豊かさ」を実現させてきた「戦後」ニッポンの最も強固で、最もしぶとい最も眼に見えないところにとぐろを巻いた、まさに〈イデオロギー〉だったわけで、「戦後」に革命があったとしたらまさにそのようなイデオロギーにおいてこそ。正義ぶりっこなマルクス主義の能書きでも声高で硬直したナショナリズムのご高説でもなく、眼の前の家族、いや、別に家族じゃなくてもいいのだけれども、身の丈五尺、半径六畳程度に日々安穏に続いてゆく具体的な飽食の現実こそが怠惰ながらも切実な生の手ざわりの根拠。鼓腹撃壌とまで立派な身振りに昇華せずとも、十分に保守的、無駄な変革や激動などはなるべく避けたいというのが素朴な人情ってもんでしょう。



 それにしても、原作の藤沢周平作品自体が、常に無名の、下級武士の生活を主題に選んできたということがあるにせよ、この清兵衛、地味と言えば聞こえはいいですが、あまりにヘタレ過ぎる。いや、家族を守る、その一点においてのみ身体を張るこの美学に涙する、それくらいにこの今の「豊かさ」を実現して後、父性の喪失だの何だのと言われっぱなしな「オトコ」はわがニッポンでは行方不明で、だからこそ観客席を占めていた推定五十代後半から六十代以降、おおざっぱに言って高度経済成長の「豊かさ」を郵便貯金や年金などで一番潤沢に享受し、今や国民資産数兆円とも言われるニッポンの「富」の大部分をコントロールしている世代にとっては、彼ら彼女らのこれまでの生を正当化してくれるイデオロギーを銀幕に定着させてくれたかのようなこのフィルムにカンドーしたのでしょう。

 それは認める。民俗学者の看板に賭けて、そのカンドーをあたしゃ認めます。

 実際、年輩の観客だけでなく、若い世代のカップルも映画館によっては結構な比率で目立っていて、それはNHKの近年のヒット番組となったかの『プロジェクトX』の人気を支えたのが、巷間言われているような団塊の世代以上のオヤジたちというだけでなく、実は三十代を中心とした比較的若い世代だったということとも通じています。このへん、多くの批評は間違っていると、あたしゃ断言します。そう、あの番組に本気で涙してるのは、実は若い衆だったりするのですよ。

 「豊かさ」の肯定、「戦後」は間違ってなかった、アメリカに去勢され、属国だ植民地だと言われながらもこうやって何とか生きてきた半世紀あまり、それは肯定されるべきことなのだ――本当ならば文学や思想、批評や評論といったジャンルが引き受けるべきそのような営みを、サブカルチュアが期せずして引き受け始めている。アカデミー賞にまでノミネートされた宮崎駿の『千と千尋の神隠し』も、飽食世代の父母に育てられた少女千尋が、額に汗して地道に身体を動かして働くことで自立してゆくことを称揚するものでしたし、それは宮崎アニメに以前から通底している職人としての宮崎駿イデオロギーなのでしょうが、これまでは同時代の「戦後」的価値観に引っ張られていたそのイデオロギーがここにきてこれまでになく前面に出てきていました。なんだこりゃ、今様アニメ版の『おしん』じゃないか、と思ったあたしの感覚もそんなに間違ってないはずで、同様に、まるで『たそがれ清兵衛』と申し合わせたように同時期公開された映画『壬生義士伝』にしても、さらに一層強くそのような傾向は見られます。



 こちらは原作が浅田次郎、元自衛隊員にして、『鉄道員』などで第一線を走る売れっ子作家だけに、「私は『壬生義士伝』に、あらゆる法や道徳に先んずる義の精神を描いたつもりである。人間として踏むべき正しい道を、われわれはわがままな日々の暮らしのうちに見失っているのではあるまいか。もうひとつ、私は喪れつつあるナショナリズムを描いたつもりである。この物語にある美しき南部の国が、実はわれわれの祖国日本そのものであると理解していただきたい」(パンフレット「『壬生義士伝』に寄す」、より)と、一見、保守的な言辞を弄しているものの、しかし、できあがった映画自体はびっくりするくらい『たそがれ清兵衛』とその基調音が共通しています。

 南部藩を脱藩して新撰組に身を投じた吉村貫一郎が主人公。やはり下級藩士で家族を残して脱藩。ただ、当時「壬生狼」と呼ばれ恐れられた新撰組の中で、金銭に吝嗇で身を守ることが第一、という妙な武士です。それもそのはず、尊皇攘夷大義名分とは別に彼は、故郷で困窮する家族に仕送りするために上洛してきたらしい。そんな彼をまわりは馬鹿にし、軽んじます。特に、斉藤一という同僚はことあるごとに彼とぶつかり、憎み、一時は殺そうとさえする。けれども、新撰組もすでにちりぢりになり、末路の見えてきた鳥羽伏見の戦いの中、錦旗を掲げて降伏を勧告する官軍に対してただ一人、吉村だけは義のために銃列に向かって突入してゆきます。

 『たそがれ清兵衛』が真田広之、『壬生義士伝』が中井貴一佐藤浩市と、これら新しい時代劇を支える役者たちが、どれも四十歳前後、高度経済成長期の「豊かさ」の中で生まれ育った第一世代である、というのも、何かの暗合でしょう。新しい〈リアル〉、〈いま・ここ〉の内側から時代劇という器に盛られるべき手ざわりは、そのような「豊かさ」が育んできた新しいニッポン人たる彼らの身体によって現前されている。そのことにあたしは希望を見ます。



 かつて、江戸研究家として知られていた三田村鳶魚は、大正末から昭和初期にかけて、にわかに勃興してきた大衆小説に対して、このような痛棒を食らわせました。

「趣向本位、興味中心の読物というものは、如何にもあって然るべきわけで、それが昔の講談で済むこともあれば、今のような活動式といったようなもので済むこともある。それも皆時世の好みであるから、それをいい悪いというには及ばない。昔も講談も危ない、実録体小説も危ないもので、事実である、本当であるということを盛に吹聴しながら、事実なんぞは丸で忘れているような場合の多いのを、まことに迷惑に感じた。」
――「大衆文芸評判記」1933年

「大衆文芸に接して笑い出すのは、恋愛の扱い方だ、武士に恋愛はない。不義は御家の御法度だという、恋愛がないのではない、恋愛の自由がないのだ。君父の命令の外に結婚が出来ない、夫婦が出来るのではなく、拵えられるのである。武門武士には大名でも御家人でも、それぞれに許可にあってのみ、婚姻が成立するので、其の他は悉く不義私通なのだ。従って惚れるのも惚れられるのも大の禁物であった。内々ながら見合いということをする風習になったのは、天保以後のことだ。それも物見遊山に託して見もし見られもする機会を拵えるので、見合いをしますと云ってではなかった。それさえ千石二千石という身柄の武士にはない、父母が取極めて夫婦にする、亭主の顔も女房の顔も知らない、床盃の時になって綿帽子を脱いだ時、初めてお目に掛かる訳だ。大名なら幕府の許可、旗本御家人なら、それぞれの支配の聞届けによる。自分の勝手で女房を持つのでなく、好きな亭主へ縁附くのでもない、往かず後家といって縁約だけで、亭主が死ねば其の儘一生独身で暮すのもあった、畢竟は戦国時代に男女関係の締りを厳重にしなければ、武士の家は不在勝ちなので、始末がつかないからでもあった。太平の世になって、元禄度から不義者の成敗がメッキリと現象し、お情け御慈悲の御勘当が多くなり、只だ其の家から逐い出されるだけになった。」
――「大衆小説からの展望」1932年

 鳶魚のデンで行けば、いまどきの時代劇ルネッサンスも荒唐無稽、いかに〈リアル〉を求めたにせよ、「歴史」そのものではあり得ない。それは当たり前ですが、しかし、「豊かさ」の内側から身についた歴史を構築してゆく営みのひとつとして眺めるならば、フェミ風味の『たそがれ清兵衛』も、一見保守ぶりの『壬生義士伝』も、はたまたゲーム感覚の介在する『バガボンド』も、みんなある通底する響きにおいて同時代のニッポンの何か、を映し出しているはずです。そしてそれは、「戦後」の言語空間であらかじめ失われてきた「豊かさ」の果実、高度経済成長の生活経験を穏当に肯定し、評価してくれる言説のありかを求めようとする、ある種の失地回復運動、自らよしとする歴史をもう一度編み直そうとするココロの動きの現われなのだと、あたしは思っています。