青天井で送る朝

 相変わらずの蒸し暑い朝だった。

 背丈ほども伸び上がった雑草たちが、むせかえるような夏の匂いを撒き散らしていた。足許の土は昨日の激しい夕立の名残か、まだたっぷりと湿気を含んでいて、踏み込むたびに意外に重く、長靴に泥がまつわりついた。それでも、競馬場とはまた違う牧場の朝の空気は、気の進まぬぼくを鼓舞してくれるようだった。

 離れたところに、見慣れた古いステーションワゴンがとまっていた。おっちゃんはすでにクルマから降りて、うしろの荷台から何やら取り出そうと背中を丸めてゴソゴソしていた。

 トシ喰ったな、とちょっと思った。羽織った大きめの白衣はいつものやつ。見慣れたところに染みや汚れがあって、生地の具合ももちろんヨレている。もう少しそばに寄ればいつもの通り、クスリ臭いのがぷん、と鼻をつくだろう。

 「お、来たか、ごくろうさん」

 雑草をかきわけながらの足音に気がついたのか、軽く振り向いたその顔は、さっきのトシ喰ったなという印象を、また一瞬で書き換えさせる。

 量の多い盛り上がった髪、ロクに手入れしてるはずもないが毛足は十分長い。分厚いべっこう縁の眼鏡がでっかい鼻にかろうじてひっかかり、その上に見事なゲジゲジ眉が繁っている。幅広で横長の口に、その割には薄いきれいな唇。皮膚の具合などはさすがに歳相応、それなりにゆるんでたるみがあるものの、眼もとの精気がそれら老いの印象を全部相殺しておつりが来る。疎らに生えた白髪混じりの無精髭やフケの浮いた生え際すら、むしろまだこの生きものの中にいのちのチカラが満々とみなぎっている、そんなしるしに見える。

 「メシ、喰ったか? しっかり喰っとかんと、今日はもってかれるからな」

 低い、よく響く声でそう言うおっちゃんはいつもの馴染み、頼めば開店前からでも開けてくれるあの焼肉屋で、今朝落としたばかりの牛の肉をきっとまた二、三人前も朝っぱらから胃袋に詰め込んできているに違いない。それが証拠にほれ、胸元にいつもの汚れと違う茶色いハネがついてる。あれはきっとあの店特製、こってりと得体の知れないうまみの溶け込んだ謎のタレ。「健啖家」という古いもの言いがぽん、とそのままそこにいる、いつもそう思う。きっと今日もこのひと仕事終えた後は、これまた馴染みのサウナにしけ込んでいやというほど汗を取るのだろう。そこまでつきあわなければならない今日これから先の長い一日を思って、胃のあたりがまたどんより重くなった。

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 おっちゃんは、獣医だ。

 と言って、犬や猫を相手のそこらのペット獣医じゃない。この牧場からクルマで小一時間ほどのところにある小さな競馬場で開業している、競馬ウマ相手の獣医師である。

 いつもは競馬場の厩舎地域の片隅にあるバラックみたいな事務所兼診療所で、永井くんという弟子っこの若い衆を追い回しながら仕事をしている。

 と言って、そこにずっと陣取っているわけではない。むしろ、いないことの方が多い。永井くんも、そしておっちゃん本人も、普段はママチャリにまたがって厩舎から厩舎へと回って歩いては、頼まれている馬の具合を御用聞きのように確かめてまわる。日々面倒を見ている担当の厩務員――おっちゃんは昔の呼び方のまま「ベットウさん」と呼ぶ――や、ふだん調教に乗っているノリヤク、そして調教師などにも様子を尋ね、体調の変化に気を配って歩く。

 もしも、何か手当や治療が必要となれば事務所にとって返し、今度はとっくに車検切れ、ナンバーも取れない年代ものの錆びたライトバンを改造したご自慢の診療車を引っ張り出し、荷室いっぱいまるで蜜蜂の巣箱のようにみっちり整然と詰め込まれたいろんなクスリや注射液、はたまたこれも町工場の作業場のように並べられた器具や診療機器を取り出し、必要な処置を馬たちに施してゆく。

 もういくつになるのか、誰も確かな歳を知らない。当人も言おうとしない。尋ねてもそのたびに違う答えが返ってくる。見てくれは五十代でも十分通るけれども、古くから厩舎にいる人たちの話などを総合すると、どうやら七十歳を越えているらしい。

 樺太生まれで同じく軍の獣医だったというおやじさんにくっついて家族ともども行ってたもので、敗戦直前、国境を越えてロスケがなだれ込んできた時にゃ着のみ着のまま、仲良くしていた朝鮮人の漁師をなだめすかして船を出させ、夜陰に紛れて命からがら北海道まで帰ってきたという話だけは、たまにひとつ話として語ってくれることもあるから、ヘタをすれば八十歳でもおかしくはない。

 以前は、このおっちゃんの他にも開業している獣医がいたけれども、ご多分にもれずどこも競馬場が不景気でひとり減りふたり減り、今ではおっちゃんひとりでこの小さな競馬場の馬たち全部の面倒を見る羽目になっている。


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 厩舎というのはそれ自体、小さな町工場みたいなものだ。

 経営者は調教師、そこに馬を入れてくれるのが馬主でこれは言わば出資者にあたり、ぼくらのような厩務員や騎手は経営者の調教師に雇われて働いている形になる。これに出入りする言わば業者さんとして「テツ屋」と呼ばれる装蹄師さんや「エサ屋」の馬糧屋さん、そしておっちゃんのような獣医などがいる。調教師は預かった馬たちを日々調教して、概ねひと月に最低二回は競馬を使い、そのためにかかった経費を出資者である馬主に預託料として請求する。馬たちのエサ代や治療代、消耗品である蹄鉄の打ち替え経費はもとより、ぼくらの毎月の給料もそこから払われていることになる。おっちゃんたち出入り業者は業者で、月々の経費を厩舎に請求するのだが、そこはそれ、世に遠い片隅の、こんな小さな競馬場ならではの事情もある。

 ここには昔ながらのウマヌシベットウというのがまだ生き残っている。これは馬主であり担当厩務員でもあるような奇妙な存在で、要は自分の持ち馬を自分で日々世話をして競馬に使う稼業の人がたのこと。もとはこういうウマヌシベットウ、少し硬い呼び方で「競馬師」とも言われていたこんな人がたが小さな競馬を支えていた時代が長かったのだという。だから、請求書も厩舎単位でなく、それぞれのウマヌシベットウ宛に切らねばならなくなる。とは言え、それは決して表沙汰になっていない、杓子定規に言えば立派な競馬法違反だからいろいろ気も遣わなければならない。何より、どの馬が本当は誰の持ち馬で、その馬に関わる経費を誰が支払うことになっているのか、といったことまで全部腹に呑み込んだ上でうまくさばいてゆかねばならない、そんなちょっとややこしい事情もあったりする。

 その日、ぼくがおっちゃんに言われて待ち合わせることになったこの牧場には、そんなちょっとややこしい事情がらみの馬が一頭、待っていた。


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 いまから四年前のある日、その馬は、ふだん見かけない陽に灼けた水色の馬運車で、競馬場にやってきた。

馬運車というのは昨今、たいてい大型の観光バスくらいの大きさの、それも専用のつくりになっていて、どうかすると冷暖房まで完備したものになっている。週末は土日に開催され、全国にテレビ中継され、もちろん馬券も各地の場外発売はもとより、いまどきのこと、インターネットを介してどこにいても気軽に買える中央競馬で走るような馬たちは、必ずそんな立派な馬運車で移動する。

 けれども、それはきらびやかな賞金の高い競馬で稼げる馬たちの話。それ以外の馬たち、いやそうでなくても、ひとつそのような晴れ舞台から外れたところでは、どんな馬も同じこと、思い切り型落ちな古いバスを改造した、サスもゆるけりゃシャーシも頼りない、その分たっぷり揺れる馬運車でゆらゆらと運ばれてゆく。時には、そこらのトラックの荷台にアルミの弁当箱を取り付けたような、牧場お手製のクルマのこともある。

 運ぶ業者もさまざまだ。中央の大きな競馬場やトレーニングセンターをつなぐ幹線のルートの、週末毎に開催場を往復するルーティンの時間帯ならば大手の業者も引き受けてくれるが、それ以外の路線、地方の小さな競馬場や奥まったところにある牧場だと、便の都合もなかなか難しい。まして、北は北海道から南は九州まで、長距離の輸送になると費用のこともあり、一頭のためにわざわざ四頭や六頭積みを一台仕立てるわけにもゆかず、結果、あちこち行き先の違う馬たちが混載で、それこそ宅急便のように途中でいくつかの業者に手渡し中継すらされながら、それぞれの目的地に運ばれてゆくことにもなる。

 その馬もまた、そうやって競馬場にたどりついたその他おおぜいの馬の一頭だった。

 この国の競馬ウマの多くは、北の国で生まれる。生まれて、そして南へと運ばれてゆく。南へ行った馬は帰ってこない――そう言われていた。

 経済動物と呼ばれる競走馬のこと、生まれ故郷に戻ってこれるのは繁殖牝馬種牡馬だけ。ほとんどの馬たちは北で生まれて南へ流れてゆき、どこかの競馬場で走り、そしてそのまま帰ってくることはない――そのイメージはおそらく戦前、軍馬としてこの国の馬たちが海の向こう、大陸に大挙して渡ってゆき、そして帰ってくることはなかった、その記憶がどこか下敷きになって、今も馬のまわり、馬と共に仕事をする人がたの間に語られるようになったのかも知れない。

 かつて、軍馬のために全国津々浦々で馬産が手がけられていた頃はいざ知らず、農耕馬も作業馬も日常からほぼ絶滅してしまった高度経済成長期このかた、競馬目あての競走馬しか生きた馬の需要のなくなった国のこと、まして近年はほとんどがその北の国、北海道で生まれることになる。

 馬産も商売、生まれる馬は売り物だから売れなければ一文にもならない。生きものだから日々食い扶持がかかる。生産農家の牧場はどこかで処分するしかないのだが、そこはそれ、生きもの相手の商売のこと、簡単に潰して肉にしてしまうのでは、商売だから仕方ないにせよ人情としてはできれば避けたい。肉にしてしまえば一頭せいぜい十数万円、昨今は馬刺しや馬肉がブーム、さらに馬油が美容にいいとやら、あれこれなんだかんだで肉値の相場も高くなってるとは言え、重い荷馬車を曳く図体のでかい重種馬ならともかく、いずれ駆けっこするしか能のない軽種の競走馬のこと、どうやったところでそう高くは売れない。

 親の欲目にゃ人も馬もない。売れ残りのこいつももしかしたら走るかも知れない、能力があるかも知れない、よし、いっちょ自腹で競馬場に入れて、うちの牧場の名義で走らせてみるか、というくらいの勝負ごころが宿るのも景気の良い時の話。長引く不景気でそんな馬力のある牧場ももう少なくなった。ならばさて、どうするか。

長年牧場やっていれば縁はある、とは言え未だ実際に行ったこともなければどこにあるかすら実はよくわかっていない、そんな日本の片隅の小さな競馬場の調教師に、かつてせり市にやって来た時もらってあった名刺一枚を頼り、慣れぬ手つきで電話をかける。ありきたりの挨拶からあたりさわりのない世間話の合間に、頃合いを見計らって放つ渾身の勝負ダマ。

 「テキィ(調教師のことをこの稼業ではこう呼ぶ)、すまんが、馬送っといたから、ひとつよろしく頼むわ」

 否も応もない、電話を掛けた時点ですでに馬運車は手配され馬たちは積み出され、先方に到着する予定の日時まで決まった上での確信犯。え、そんなちょっと、と相手に言わせる隙もあらばこそ、そそくさと電話を切って、すまんなあ、と片手拝みで眼をつぶる。

 朝の調教がひと通り終わって片づけかかった頃、あるいは逆に夜の夜中、いずれ厩舎の日々の仕事にしたら迷惑至極な時間帯に、そんな馬運車が着く。降ろされるのははるばる北の国からやってきたそんな売れ残りの馬たち。要は態のいい捨て馬なのだが、しかしここからが小さな競馬場ならではの人の良さ、いやそれとももっと別の根の深い何かなのかも知れないのだが、とにかくことこの事態を目の前にして怒るでもなく困惑するでもなく、たいていはみんなして馬の前で顔を寄せ合い思案投げ首。そのうち、誰かが必ずこんなことを言い出す。

 「まぁなぁ、言うてもここに来てしもたもんしゃあないわなぁ、ものになるかならんか分からんけど、せっかく来てしもとるもん、ひとつ仲間で使うてみよか」

 そうやって、その馬も何となく、ここで競馬ウマに仕立てられることになった。

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 とは言ったものの、はい、馬でござい、というだけでは競馬に使えない。

 まず馬主がいる。地元のなじみの旦那衆、いずれ土木の親方やパチンコ屋の社長といった人がたに因果を含めて馬主になってもらい、書類万端整えて正式に入厩させる。

 だが、そういうわけありでやってくる馬のこと、ひとすじ縄でゆくはずもない。まともに鞍置きくらいやってあればまだいい方で、下手をすれば鞍置きはおろか初期馴致すらロクに施されておらず、そもそも人の手にもかからない、それこそ野良馬のような荒っぽい山出しほやほやが積まれてきたりもする。それをなだめすかしてあれこれ手を焼きながら、何とか競馬ウマとしての教育、訓練を施してやる。ああ、その手間ひま、日々かける情熱に世間並みの打算や計算の類は、さて見事なまでに働かない。

 しょせん、理屈ではないのだ。生きてすでにここにいてしまったものはとりあえず仕方ない、この先生きてゆけるだけの手当をしてやるのが約束ごと、そんな前向きなあっけらかんの諦め、これはもう、そうとしかひとまず説明できないし、ぼく自身も実はいまだによくわからない。

 何も紙に書かれた規則や罰則があるわけでもない、ただ「そういうもの」としての稼業のならわし習い性。ひと通りの調教をしてみて能力試験にうかって一人前の競走馬にしてやれば、あとはおまえの器量と運、どこまでこの先そのいのち永らえられるか、走れる限りは気張ってまあ、やってみい。

 そう、どこのどんな牧場に生まれ、どんな育ち方をし、市場でどんな高値がつけられようが、はたまた売れ残ろうが、なけなしのいのちもらっていま、ここでこうやって生きている上は掛け値無しにみな同じ、横並びにこの世に確かにある、そんな立場の同じ生きもの。そうやって何かの縁で目の前にやってきた馬たちを競馬ウマに仕立てて、持てるいのちいっぱい走るのを手伝い、見守り、共に生きてゆくのがこの稼業の人がた、なのだ。

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 その馬は、牝馬だった。

 身体もちゃっこかった。大丈夫かな、と正直思った。血統書その他、必要な書類があとから送られてきてわかった。この馬、五月の遅生まれだった。

 たいていの競走馬は二月末から四月くらいまでに生まれるものだが、中に遅生まれもあるのは人間と同じ。ただ、こういう馬はその分成長も遅く、早く仕上げて競馬に使うことが当たり前になった近頃ではそれだけでハンデになる。多くは馬格も見劣りしてせりに出しても目立たないし、仮に運良く買い手がついても、馬にほんとに実が入り成長するまで馬主さんが待てなかったりで、早めに見切りをつけられることも多くなる。まして、牝馬でガタイも見栄えがしないときたら、普通はまさにみそっかす。書きもの字ヅラで眼を引く血統でもあればまだしも、特に売り物になるような血筋でもないならほんとにどこにでもいるただの馬、こりゃ売れ残ったのも仕方ないよな、誰もがそう思った。

 それでも、運もあったのだろう、何とか人並みに競馬ウマにはなった。なって、そして競馬に使えるようにもなった。もちろん最初はついて回るのが精一杯、息ももたずに馬群から離れて入線することも何度もあった。

 ちゃっこい身体でよく走った、頑張った。ひと月に2回の開催ごとに必ず出走し、結果はともかく何とか無事に馬場を回ってくれば、賞金には縁がなくてもわずかながら出走手当が出る。自分の食い扶持に何とか届くか届かないくらいの金額でしかなくても、なにせ実質面倒見ているのは厩舎の側、食べる飼葉や乾草にしても、他の馬たちの食い残しなどもかき集めて塩梅すればまあ、何とか競馬ウマとしての恰好もつく。そうやって足かけ3年ばかり、どこにでもいるその他おおぜいの競馬ウマとして、まさに鳴かず飛ばず、淡々と自分の運命に忠実に、この競馬場で生きてきた。

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 その日も朝、いつもと同じように競馬を迎えた。勝負飼葉をつけて馬房で馬装をし、尻に盛り塩、ワタリもきれいに編んで厩舎を出た。

 装鞍所に行った。ノリヤクの鳥越がやってきた。いろんな騎手がこれまで乗ってきたが、おそらく一番多く彼女にまたがってきたノリヤクだ。一緒に鞍を置きながら、馬の向こう側で作業を見守っていたテキが冗談めかして、でもまわりにも聞かせるくらいの声と調子でこう言った。

 「なんせこんなウマやから、今日は足もと見んといてくれなぁ」

 まわりにいた、他の馬の厩務員たちも笑った。鳥越も、彼がいつもそうするようにあいまいな笑みを口許に浮かべてから、少し目を伏せた。そして、自分にも言い聞かせるようにひとり軽くうなずいてみせた。

 「まわってこれたら何とかなると思う。けんど、もしも途中で止まったら……」

 同じノリヤクあがりで今はでっぷりと腹まわりが太くなったテキは、ここは確かに声をひそめて、同じくらいの背丈の鳥越の耳元に口を寄せてそう伝えた。

 ぼくは聞こえないふりをしていた。馬は半ば眠ったように目を半分閉じて、尻尾をゆっくりと左右に揺らしていた。

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 パドックを回り、鳥越を乗せ、本馬場に連れてゆき、馬を放す。返し馬の間にゲートのところに行って、時間になれば引き手をかけて合図と共にゲートに入れる。スタートしてからはゴール地点に戻って、レースを終えて帰ってくるのを待ち受ける。それがいつもの仕事、ぼくら厩務員のルーティンだった。

 この日、馬は止まった。他の馬たちがゴール板めがけて駆けてゆく、そのうしろにぽつんと取り残されて立っていた。鳥越の赤い勝負服が馬から下りるのが見えた。

 あ、やばい、声が出た。遠くにうまく焦点が合わず、視野がぐらりと歪んだ。

 おい、はよ行ったらんかい、いつもひょうきんな隣の厩舎のおんちゃんから尻を思いっきりひっぱたかれた。主催者のクルマでひとり、立ち尽くす馬のところへかけつけた。鳥越が少し泣きそうな顔で、それでも手綱を放さずそばにたたずんでいた。

 主催者側の獣医の診断は、種子骨の骨折だった。普通なら予後不良、そのまま屠殺場に持ってゆくことになるような、競馬ウマとしてはまず致命傷だった。本来なら調教師から馬主に連絡して、その判断で最終的にどうするかが決められる。だが、この馬がわけありなことはその獣医もよく知っていた。だから、予後不良という診断はつけずに、ただ骨折ということだけを記録にしてくれた。

 テキの判断は、何とか様子を見よう、だった。呼ばれておっちゃんがやってきた。まるで野戦の軍医のような働きぶりで、永井くんとふたりで脚をがっちり固める処置をした。これで様子を見て、もしも運良く動かせるくらいまでなったら牧場にでも投げてみるべ。

 彼女にはまだ運があった。何とか危ない時期を乗り越え、十日ほどたってから近くの、これもつきあいのある牧場に移された。テキは仕事の合間におっちゃんを連れて顔を出し、経過をずっと見ているようだった。具合がどうなのか、そんなことは誰も尋ねなかったし、またテキもおっちゃんも言わなかった。

 骨折で自分の体重が支えられなくなると馬は蹄葉炎を起こす。重さに耐えられなくなった脚もとが鬱血し、そこから炎症を起こして腐ってくるのだ。そうなったらどうしようもない。人の手で楽にさせてやるしかなくなる。彼女が果してそうなっているのかどうか、日々の仕事にまぎれながら、そして誰もそう口にはしないながらも、それでも厩舎の誰もが気持ちのどこかでそのことを気にはしていた。

 そうやってひと月ばかり過ぎた先週、ぼくはおっちゃんに呼ばれた。

 「おい、次の全休日あけとけよ、牧場、一緒に行くぞ。」

 馬房に行くと、馬は寝藁に横たわっていた。

 牧場に来てからずっと、飼葉を切って身体を絞ることで脚もとへの負担を減らそうとしていたので馬体はすっかりガレて薄くなっていて、それがまたすでに競走馬でなく、ただ生きものとしての「馬」であることを強調していた。競馬場で見ていた頃と比べると、顔つきまですっかり変わっていた。でも、なぜかどこかおだやかな表情をしているように見えた。

 ここで処置するんだろうか。そう思っていると、おっちゃんがふと、こう言った。

 「おい、最期くらい、青天井で逝かせてやろうや」

 もうすっかり陽は高くあがっていた。馬房の外に眼をやると、ハレーションを起こしたようなまぶしさに眼が眩むほどだった。

 引き手を持ってきて無口につけた。体力が落ちているので立ち上がれないかも知れないと思ったけれども、おっちゃんも手伝ってくれた。よろめく馬をはげましながら厩舎の外へ出た。青く抜けた夏の空が、そのまま一気に落ちてくるようだった。ひさしぶりの陽の光に当たって、馬は首を伸ばし顔をあげ、そして少しだけ鼻を鳴らした。

 干してある寝藁をできるだけ一カ所に集めて、まるく整えた。その上に馬を連れてゆき立たせた。おっちゃんはクルマからコードドラムを持ってきて、何やらいかつい器具につないだ。牧場のあんちゃんたちの休憩室になっている小屋から電源を引いてきて、手もとの電極らしい棒状のものにつないだ。

 あれ、クスリじゃないんだ。そう思ったけれども、口にはしなかった。

 クスリによる殺処分ならば、首すじの静脈に注射する。数秒から十秒前後で絶命する。けれども、死に際の生きもののこと、それこそ死に物狂いで暴れるから、気をつけていないとこちらも巻き込まれ大けがをする。数百キロの質量がいきなり斃れる。ドスンッ、と音が響く。小さな鳥ですら「落鳥」の際、びっくりするほど大きな音がする。ましてや馬だ。単なる音というだけでない重い響きになる。書類の上では「斃死」という用語が使われるけれども、この「斃」の字に込められた質感、普通の「倒れる」ではなく「斃れる」でなければならない、そのぎりぎりの切実さみたいなものをその響きが伝えてくる。

 大きな生きもの、それもわれわれ人間よりも確かに大きなもののいのちを奪う、そのことについての腹のくくり方、こちら側の意志のあり方が何よりも際立って意識されてくる。ああそうだ、さっきおっちゃん「もってかれるぞ」と言ったっけ。こちらのいのちの器量が、眼の前のいきものに負けることもあたりまえにあり得るってことなのか。

◎●

 おっちゃんが電極を馬の肛門に挿した。手もとの器具を持った。

 一瞬、跳び上がるようになった後、馬は斃れた。斃れて、しかしまだそのまま大きくのたうち回っていた。苦しそうな叫び声が夏空に響いた。瞬間、おっちゃんが同じように跳び上がった。一緒に感電したのかと思った。それくらいその動きは一瞬だった。眼が血走り、吊り上がって形相がまるで変わっていた。

 「なんとかしろぉっ! はやくっ! なんでもいいからはやくっ!」

 これまで聞いたことのない取り乱した声で絶叫すると、電源コードのつながっている小屋へと駆込み、そしてまた飛び出してきて、ヒューズはどこだぁぁぁっ、と叫びながら、狂ったように牧場中をかけずり回った。いっぱいに巻いたぜんまい仕掛けが一気にはじけ飛んだようだった。ぼくは何が起こっているのかもよくわからず、だからどうしていいのかもわからず、ただただ眼だけをしっかり開いてずっと震えていた。

馬は痙攣しながら、やせた首を起こしたり身をよじったりして、それでも少しずつその動きは小さくなっていった。口もとからは泡を吹き、鼻からも何か流していた。薄いあばらがふくらむ間合いもゆっくり大きくなっていった。

 数分、いやもっと短い時間だったかも知れない。きっとそうだろう、けれども、時間が粘り気を伴ってその場の風景全部にねっとりと覆い被さってゆくような、そしてそのままみんな動きを止めて何かの標本になってしまったような、そんな感じだった。

 夏の盛りのこと、牧場のどこも朝からエアコンをいっぱいに使っていて、そこに器具をつないだために電圧が耐えられずヒューズが飛んだらしいとわかったのは、ことがもう全部終わってしまってからのことだった。

 「……すまんこと、してしもたなぁ……」

 喉の奥、気管のさらに底の方から絞り出すような、人の声とは思えないようなきりぎりの「音」が長く尾を曳きながら、うつむいたおっちゃんの乱れたタオルの鉢巻きの影から洩れてきた。赤黒く日焼けした汗まみれのうなじが小さく震えた。

 馬はもう動かなくなっていた。乱れた寝藁の一部が、末期の失禁で夏の陽の下、くっきりと黒く濡れていた。

◎●●

 近所の農家から、植木を運ぶ小さな起重機のついたダンプを借りてきて、馬をこれも借りたトラックに乗せた。死んだ大きないきものはまるでぬいぐるみのように従順な形のまま、吊り下げられてトラックの荷台にどすん、と落とされた。

 おっちゃんが、ようやく身動きした。彫刻か何かが動き始めたような、そんなあり得ない印象を持たせる動き方だった。

 「悪かったな、手間かけさせてしもうて」

 そう言って、白衣のポケットをまさぐってタバコを差し出した。ぼくがタバコを喫わないのを忘れてしまったらしい。でも、何かここは手にとらなきゃいけないような気がして、そのゴツゴツしたかりんとうのような手の中のくしゃくしゃの箱から、一本だけ抜き取った。

 トラックがエンジンをかけた。ぶるん、と車体が身じろぎして、それに合わせて荷台からはみでた脚も一回揺れた。乾き始めた土の上をゆっくりタイヤが回り始め、荷台の重さにうねるように上下する車体に合わせて、さっきまで生きていたいのちの亡骸はゆらゆらと頼りなく揺れながら、牧場の入口から外へと出てゆき、そして右へ曲がって消えていった。