ホワイトイルミネーションを見ると別れる?

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 カップルが別れるジンクス、のある名所なり観光スポットなりはすでに全国いくつもありますね。ディズニーランドや観覧車、水族館などに並んで、ホワイトイルミネーションのようなライトアップイベントもそういうスポットの割と定番みたいです。

 カップルが別れるジンクス、というのは、結ばれるジンクス、とある意味裏表というか、同じような意味づけのところがあります。まず、そのような「おはなし」が附随してくるスポットというのは、不特定多数の群れの中にあって「ふたり」が強調される空間なりセッティング、というのがとりあえず共通しています。まわりから「見られる」意識も同時に増幅されて、「ふたり」がなおさら際立つような意識になる。それは望ましいことであると同時に、不安なことでもあるというアンビバレンツな感情が基本あります、カップルには。一対一、個体と個体の「つきあい」が「恋愛」の基本ですが、そうなるためには「まわり」からの「承認」が必要なのは昔も今も変わっていません。承認のない「ふたり」は不安定なままです。そう考えてくると、観覧車のゴンドラ、夜のイルミネーションイベント、薄暗がりの水族館などが意味づけられるのも理由があると思います。ディズニーランドなども同じで、別れる(た)理由について長蛇の列や暑い寒いなどの環境的な説明もつけられていますが、群れの中で「ふたり」が際立つのは同じですね。と同時に、その群れもまた他の「ふたり」の集合だったりするのが、このような昨今のデートスポット的場所の特徴でもありますから、

 都市伝説の定番からすると、たとえばラバーズレーン*2などに通じる「若いカップルの不安」が前提にあるように思います。「ふたり」になる空間があれはクルマだったわけですが、クルマで「ふたり」になることの意識のされ方が日本ではそれほど際立たなくなってるのかも知れません。それはクルマがデートの空間というよりリビング的な意味あいが強くなってきていることや、何よりオンナのコも運転するようになってきていることなども関係があるかも知れません。

 また、そういう場所では、自分たち以外のその他おおぜいの見知らぬ「ふたり」と同じ存在であるということを意識せざるを得ないこともストレスというか不安のタネになるという面もありそうです。定番のデートスポットに臆面もなくノコノコやってきている、ということへのちょっとした後ろめたさというか、流行の場所にのっちゃってるよね(笑)的なある種自嘲の気分もあるでしょう。そういう意味では、一時期言われた「成田離婚」的なカップル別離譚などとも通じているところはありそうです。逆に、一方で神社や寺、橋などがそれらカップルの縁が「切れる」場所として未だに語られているのは、というのはある意味古典的な民俗意識が反映していて、デートスポットをめぐる都市伝説の背景とはもう別ものかも知れません。*3

*1:ご当地某道新の♀記者(声の感じその他からおそらくまだ20代か)から勤め先に電話がかかってきて表題のような件でご意見を、てな伝言だったのでかけ直してこんな感じのことをしゃべってやったのだが、その後何の音沙汰もなく、そもそも記事になったのかならないのかすら連絡なしでほったらかし。そういうとこやで、という事案、いまさらながらに

*2:いわゆるカーセックスorペッティングでいちゃつくクルマが集まる路地や裏通りなどの呼び方。もちろんそこでいろいろ事件が起こるのはホラー映画なども含めてのお約束なわけだが。

*3:お題がお題なんでお約束のこれ、も貼っておく。「都市伝説」って日本語/訳語をうっかり作ってしもたひとりとして。

消えるヒッチハイカー―都市の想像力のアメリカ (ブルンヴァンの「都市伝説」コレクション)

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