「団塊の世代」と「全共闘」㉙ ――本音と建前、二分法の前景化

――「国家」ってのがもうあらかじめそんなに大変な争点になってた、ってことなんでしょうね。で、そんなものは崩壊する、死滅する、というのが理想郷である、と。なんというか、ラスボスとしての「国家」を想定してそれを倒すことが正義、というのは、まず想像力のありようとして興味深いなあ、と。後の「反体制」とか「権力批判」なんてのも、基本的に同じ流儀なわけで。自分もまたその「国家」なり「体制」なりの一部であって、そこに関わりながら変えてゆく、という発想にはならないし、と言って、鼓腹撃壌でそんなの知ったことか、と開き直りも当然しない。

 つまり、モルガンの賛美した「古代社会」観が、エンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」にそのまま移されたということだよ。吉本も当然、マルクス主義を意識していたから、それを踏まえて考えている。だから吉本は、「家族、私有財産、国家」を言い換えて、「家族、国家、そして芸術行為」の起源だと考えたわけだ。

――大枠はよく似てますよね。というか、下敷きにしてるんだから当然なんでしょうが。

 構造的に非常に似ている。これは何も吉本だけが似ているんじゃなくて、誰でも当時、既成の枠組みを睨んで、新たに自分の理論を出しているのが当たり前だったから、そうなるよ。ただ、吉本はここに「対幻想」ってのを新たな加えた。それが、当時の学生には非常に斬新だったんだよ。

――あれ、わかりにくいですよね。「対幻想」。「たいげんそう」なのか「ついげんそう」なのかでまず読み方からして悩む(苦笑)。

 私も最初に読んだときは、「対幻想」って何なの、としか思わなかったけど、でも、吉本の言っているのは非常に単純で、要するに、革命家が命をかけると言っても女に惚れたらどうしようもないだろう、と、それだけのことなんだよ。

――また輪をかけて身も蓋も……(笑)。

 どうして吉本がそんなことを言いだしたか、なんだけど、やっぱり彼は、文学を読んでいた、ってことだと思う。つまり、文学作品にある恋愛のリアリティに影響を受けたんだろう。もともと詩人でもあったしね。

 ただ、何か目的を遂行する過程で、個人的な恋愛感情でその大義を裏切る人間という類型は、文学史上ずっとあるわけだ。それは、日本においては忠臣蔵とその裏の世界だったりする。広末保(国文学者/一九一九│九三)がよく言うように、表の大義の世界の忠臣蔵に対して、裏の世界として生の恋愛というか、愛欲だ。そして、愛の情としての東海道四谷怪談などもあるしね。

 同時に、当時、西洋文学の方面では、たとえば伊藤整(詩人・小説家・評論家/一九○五│六八)、福田恆在(評論家・劇作家/一九一二│九四)、中村光夫(文芸評論家/一九一一│八八)のフローベールとか、そういう領域に関わる仕事がずいぶん出てきている。福田恆在なんかは、例のD.H.ロレンスの問題に関連して『現代人は愛しうるか』なんていうのを書いていた。そこで当然、吉本は、その伊藤整、福田恆在などが、いわゆる共産党的な価値観に染まらないところで発言したものを読んでもいる、と。だからこそ、革新系の人たちならば当時、その手の作品をくだらないものとして唾棄するのが当たり前だったのに、吉本はというと、「江藤淳は、何冊かを除いて、残りは評価できる」、福田恆在は「これとこれとこれは評価できる」、といった形で、逆にそういう共産党的、左翼的教条による作品評価を批判していたんだよ。


――江藤淳の方が福田より少し上だったんですね、吉本的には。

 そう。江藤淳は、いくつかの例外を除いて原則的に評価できる。福田恆在は、いくつかのものだけ評価できるという言い方をしていて、微妙に違うんだよね。だけど、保守系の中でこの二人は、その辺のチンピラ右翼とは違うんだ、という別格の扱いをしている。どちらもちゃんと評価はしてるわけだ。

 これはまさに、思想が等身大の日常にどう寄与するか、という話だと思うね。吉本の一つのイデオロギーがあるとしたら。そういう意味で評価できる。思想だ何だかんだ言ってても人間、寝て、惚れたら終わりだってこと。吉本は自分でそれを知っているし、まただから、誰かが女を好きになってそれで駆け落ちして大義を裏切るということもあり得る、と認める気持ちも当然持ってたんだよ。本居宣長(国文学者/一七三○│一八○一)なんかも近いようなことを言ってる。戦のとき、武士も残してきた妻子のことが気にかかる、これは女々しいんじゃない、現実そのものなんだ、と。まあ、吉本もその程度のことを言えるくらいの教養はあった、ってことだよ。というのは、それまでの文化人、知識人は共産党的なものしかなかったから、みんなどこかで疑問を持ちつつも、やっぱ「獄中十八年」に対して何も言えなかったんだよね。でも、吉本はそれが言えた、と。

――だからヒーローになれた、ってことですね。

 そのへん、畏友浅羽通明がかつて『ニセ学生マニュアル』で明言してます。80年頃、吉本がコムデギャルソン着てファッション誌のグラビアにまで出て、資本主義を肯定するようなことを言い始めた、ってだけで「転向」だなんだ、と当時一部で騒ぎになったことについて、吉本隆明を左翼おじさんだと思ってたのは団塊の世代だけで、こっちにとってはそんなの当然だった、だから呼応しよう、こいつは味方だと思った、と。価値相対主義的な当時の気分と、吉本のそういう「芸としての論争」のケンカ屋作法とが期せずとしてシンクロしたんですよ。結局、吉本=左翼、という理解の仕方自体が、彼をヒーローに仕立てた同時代の気分というか、まさに構造のなせるわざ、だったわけで。


 ついでに付言しておくと、80年前後の状況で当時の学生に代表されるような層――浅羽のもの言いに従えば「知のおたく」の気分としては、現実の肯定、もっと言えば高度経済成長による「豊かさ」の肯定、ってことが共通してありましたね。もっとも当時、それはあまり表だって言われなかったし、ほとんどは半ば無意識の同時代気分、だったとは思いますが、でも、それは自分たちの生まれ育った〈リアル〉の失地回復という気分をはらんでいたし、その後90年代半ばくらいから盛り上がったナショナリズムの前提にもなっていた。「おたく」が「保守」となじむことの意味をあの時点ではっきり考察しようとしていたのはあたしと浅羽の『図書新聞』での対談だけだったはずです。


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 それまでの思想、論壇系パラダイムの内側では、「豊かさ」はそのように肯定されるものじゃなかったじゃないですか。資本主義はいけない、だからこういう風に「豊か」なのもどこかうしろめたく思える、って刷り込みが学校含めてされてきた経緯があって、でもだからってこっちはもうかつての生活に戻れるわけがないし、何よりそういう生活の手ざわりからよくわからなくなってる、と。親たちの生活体験と全く違う〈リアル〉を生きている自分たち、って自己規定はまず骨がらみでしたね。


 その失地回復の志、みたいなものは、今でもなおずっと通底しているとは思います。最近の「昭和レトロ」的な志向にしても、その背後にはそういう現代史の失地回復がはらまれているはずです。


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 六○年世代にしろ、私たち全共闘団塊にしても、個人の主張とか、欲望、衝動を、出してもいいとまでは言わないけど、言うぐらいのことは言ってもいいんだろう、少なくとも葛藤があることは恥ずかしいことではないと、肯定してくれた。

 建前と本音じゃないけど、本音を言ってもいいんだ、と、誰かにオーソライズしてほしかったわけだ。それをしてくれた者が今度は自分たちの知的ヒーローになる。まさに吉本はそれで、本音でいいんだぞ、とオーソライズしてくれたんだよ。しかも、それをはっきり対幻想という形で「社会は幻想として成り立っている。個人幻想と対幻想と国家幻想によって成り立っている。これは重要なものですよ」ということを言ってくれたわけだ。それは、私があれを最初読んだのは、たぶん一九歳か二十歳ぐらいのときだから、(対幻想を含めて重要とか)そんなことを言われてもなあ、としか思わなかったんだけど、一、二年たってくるうちに、ああ、そうなのか、エンゲルスと照らし合わせて考えたら、こういうことを言ったのか、と納得がいったね。

――やっぱり一般教養としてのマルクスエンゲルス、ってのが十分活きてた世代ですねえ。改めてそれを感じます。

 友人でもある糸井重里(東京糸井重里事務所代表/一九四八│)が、コピーライターだけあってときどき勘の鋭いことを言うんだよ。この男も吉本信者だから困ったものなんだけど、だいぶ前に、こんなことを言ってた。「近頃、なんでも本音、本音と言うけど、あれは変だ。本音ばかりで世の中語れるはずがない」。これはなかなか鋭い見解だと思うよ。私も言われて、膝を打つ感があったもの。

 考えたら、本音と建て前を二項対立にして、本音の方に力点を置いて語る風潮は、この三十年来のことなんだよ。私の学生時代には、本音と建て前を分け、本音に力点を置いて語るとか、建前はいけないという議論の仕方は、まずしなかった。

――ああ、それはなんでもないことのようで、ディテールとしては結構大きい意味がありますね。「議論」ってのはそういうものだという理解があった、と。本音で語るのは潔くない、って感じだったんですか?

 そういうのは禁じ手というか、そういう二項対立でものを考えないのがそれこそ建前だったわけでさ。それが本音が常に尊重されるようになったのは、やはり七○年が過ぎてからだ。議論とはある意味、建前をかわすことで、本音だったらそれはナマの政治になってしまう。目的遂行のためには手練手管も辞さないという、身も蓋もない話になってしまうじゃないか。

 でも、本音というのはやはり欲望の肯定、あるいは個人性の肯定でつながっている。前述した吉本の「女を好きになっちゃうことは、しかたない!」。これは要は本音の肯定だ。

――それを吉本という当時のビッグネームが、率先してやっちゃった、と。

 そう。しかも吉本の場合、当時まだそういう本音の肯定が一般的じゃなかったから、より衝撃的だったんだよ。

 本音の肯定でもそれが思想になり得る瞬間というものがあり、それはたとえば、本居宣長の「武士(もののふ)の戦場に出でて君のため国家のためには一命をすててつゆ惜まず、いさぎよく死するは義士の常なり。これ死するに当って故郷に残しおきたる妻や子をば悲しく思はざらんや」、これは本音だよ。で、そう言ってしまえば、こんなことを言いだす輩がいるのかと叩かれもするけど、一方で、その独自性が輝くという、そういう種類のものなんだよ、吉本の発言も。

 でも、社会が当たり前のように「本音で言えばいいじゃん」となると、敢えて発言することに風当たりがなくなる。そこではもう、単に欲望を言っているだけになるわけだ。「立ち小便したいからしてるだけだ」という開き直りに等しい。立ち小便なら、ここでしたら警官が来るかもしれないとか、人が見るんじゃないかなどと意識し緊張するものだろうけど、単に赤ん坊が垂れ流すときは、そんな意識さえない。それが自然なことで、開き直る必要さえない。それじゃしょうがないだろ、ってことだよ。

――思想なり発言なりに何らかの抵抗値が設定されてないと、その輪郭も自覚できないままってところはありますね。あたしが年来便利に使っている「あと出しジャンケン保守」というもの言いと同じことで。福田恒存江藤淳がかつて、ああいう論陣を張っていたのは、左翼/リベラル系言説がデフォルトだった当時の状況を考えれば、まずそれだけで評価はできるしするべきだと思うんですよ。呉智英さんだって「封建主義」と言い始めた頃は、そのもの言いの響きだけで耳に立つところがあったからこそやっていたはずですよね。でも、近年の「右傾化」とひとくくりされている流れの中での発言は、完璧にもう安全地帯からものを言っているわけで、そういう自覚があまりにないままというのは、あたし的にはどうにも居心地が悪いですね。何かものを言う、自分の責任で発言する、ってことが良くも悪くも敷居が低くなっちまってて、事前に構える、緊張するってモメントがどんどんなくなってるって感じはします。

「団塊の世代」と「全共闘」㉘ ――鶴見俊輔と吉本隆明、「転向論」の彼我


 で、そういう状況に少数派が出てきたわけだ。私は客観的には評価している鶴見俊輔(哲学者/一九二二│)なんかがそうだな。彼ら「思想の科学」系という、毛色の違う、異様な出自のグループがいたわけだ。彼ら鶴見たちは、たとえばジョン・デューイなど、アメリカのプラグマティズム思想を学び、それを市民的な運動の手段に応用したわけで、さっき言ったような当時のマルクス主義とその呪縛の構造からは一応、一線を画していたと言っていい。


 鶴見以外にも、関連の何人かが「思想の科学研究会」というグループをつくって、初めは研究会をしながら、後には市民運動に動き出し、人気を博したわけだ。そして、その中で『転向研究』(筑摩書房)という有名な本を出す。そして後に一部、転向論の結論部分だけを、平凡社で『共同研究 転向』(平凡社、一九五九│六二)という本にまとめあげた。これを読むと、転向というやつも、どうも共産党が言うような単純な経緯ではないらしい、ということがわかってくる。転向する人にはそれなりの事情があり、中には偽装転向という形で頑張った人もいたとか、やはりここがこんなに悪いとか、共産党の中も一枚岩ではないなど、まあ、当時としてはかなりよく研究されているよ。

――鶴見俊輔思想の科学研究会については、あたしでさえこれでもかなり評価してます。ただ、この時期の情報環境までは、という厳しい限定条件つきですけどね。


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 彼らの立ち位置が70年代に入るあたりからどんどん妙な方向になっていった、それは彼ら自身の問題と共に、思想なり言論なりが置かれている文脈、情報環境が「豊かさ」の中で大きく代わっていった、そのことを織り込んでゆけなかったことも大きいでしょうね。小熊英二あたりはやたら鶴見とその周辺を持ち上げてますが、あれ、政治的/意図的じゃないとしたらただの卑怯者ですね。でなきゃ、文盲としか思えない。鶴見信者の最終的な退廃形態なわけで、まただからこそ、ある種の連中に小熊はやたら評価されたりした、それもまたさっきの構造のなせる現象だと思います。理屈はどうあれ、そこにぬくぬく安住したままというのは知的怠惰でなければ、ただの俗物、バカですよ。


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 吉本と似たような意味で、鶴見とそういう信者の関係というのは根深いわけで、しかもそれが『話の特集』周辺から発散されていたようなぬるい市民感覚、いまだとまさにプロ市民的なノリの元祖みたいなところがありますよね。マスコミ業界界隈にそういうノリは70年代、急速に浸透していって、そうやってメシ食っていった手合いの中には吉岡忍とか、先ほど話に出た山口文憲とか、その他有名無名のライターや新聞記者、編集者なんかにはゴマンとそういう鶴見系ビリーバーがわいていた。先に出てきた吉本信者とそれは重なっていながら、でも吉本信者よりもさらに「新しい」部分があったとしたら、いわゆるサブカルチュアに対する嗅覚というか感覚というのを良くも悪くも持ち合わせていて、それを武器だと自分たちも信じてしまっていたところがあるんだと思います。マンガや映画、ジャズ、歌謡曲(これももう歴史的過去のもの言いになりつつありますが)といった領域に節操なく発言して、思想的にディストーションのかかった「読み」を発動してゆく、というスタイルの「評論」の悪弊は、そういうベ平連サブカルサヨクに骨がらみになっていて、これは呉智英さんなんかのやってきたことととは微妙に仇敵関係が違っているはずです。

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 ちょうどそのほぼ同時期、一九六○年だけど、吉本も新たな形で転向論を出してたんだよ。そこで吉本はこう言った。つまり革命家、前衛たる同志がやるべきは、労働者とスクラムを組んで、権力に対して闘うことである、と。ところが共産党員は刑務所に入ってしまったことによって、本来やるべきスクラムを自ら断ち切ったのだ、それは民衆を裏切ることだから、実は「獄中十八年」の彼らこそが転向者なのだ、という言い方をした。

――ムチャクチャですね(笑) でもまあ、ケンカ技としては捨て身でオモシロい。

 まあ、控えめに言っても、これは言語のアクロバットだよ。

 そのとき鶴見俊輔は、いくら何でも刑務所に入った人を転向というのは、これは論理のあまりの飛躍である、それはないでしょう、と批判した。そうではなくて、そのとき刑務所に入ってしまえばすむという安易な姿勢を批判するのなら、それは駄目な思想であると言えばいいのだ、と。駄目な思想だということと転向とは別のことだよ、と、鶴見は吉本を批判したわけだ。

 私は鶴見の批判は正しいと思う。思うが、そのときの吉本の言葉のマジックというのは、それはそれで本当にすさまじい威力があったんだよ。刑務所で拷問を受けているやつに、おまえらこそ転向じゃないか、という論理はそりゃ大月君じゃなくてもメチャクチャだと思うけど、でも、実際になかなか言える言葉ではないよね。でも、吉本はそれを言ってのけたわけだし、現にそれを聞いた学生たちは拍手喝采したわけだ。なぜなら、六○年当時、学生にとってすでに共産党は目の上のたんこぶだった。いつも上から命令して、何かというと「若造が何を言う。おれたちは十八年、刑務所で頑張ってきた。反戦運動をやってきたじゃないか。言うことを聞け!」と一喝された、まあ、そういうわかりやすい恨みつらみが蓄積していたんだけど、それを鶴見たちのように、論理的に五・一五事件のときは何人検挙されたとか冷静に説明しても、そんな学生たちにはわかりゃしないよ。それより「いや、違う! あいつらこそ転向者だ」と叫べば、「なんだ、そうか!」と膝を打つわけだし、何よりスッキリして気持ちいいわけだ。これは強いよ、やっぱり。

――平岡正明もそれに近いことを、早い時期に言っていましたね。彼は、谷川雁についても同じようなこと言ってたかな。要は、ケンカ芸としての論争、という部分を平岡正明は当時としては敏感に反応できたんでしょう。メディアとジャーナリズムのありようが変わってきたことで、それまで狭いインテリの内輪の、その意味じゃ道場の寸止め剣法だったのがいきなり何でもあり、になり始めたようなものですかね。でもそれもまた、ほんとの何でもあり、というより、「何でもあり」という芸、だったわけなんですが。


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 それから七年後、六七年の全学連とか羽田闘争の話になってくると、そんな吉本節が、六、七年たって、ようやくじわじわ浸透してくるわけだ。別に政治的な学生でない一般学生でも吉本隆明を読むようになってきていた。たとえば、一九六○年に吉本が転向論を書いている頃は、前にちょっと出た川本三郎松本健一の話にあったように、そんなもの普通の人は読まないし、大学生だってほとんど知らなかった。知ってたのは都会出身の、早くから政治的にかぶれてた一部の学生だった。やっぱりものごとが浸透するには時間が必要なんだよ。そんな風に普通の学生も読むようになってきて、吉本隆明って名前がある種のブランドとして流通するようになってきたところで、まさにその吉本が今度は、共産党よりもアンパン屋のおじさんの方が素晴らしい、ということを教えてくれたわけだ。この中にこそ大衆の原像はある。いま、この政治的状況で、大衆の心をつかんでいるのは実はこのアンパン屋であって、共産党ではない! というわけだよ。

――有名な「アンパンおやじ」伝説、ですね。六〇年安保の国会前のあの時、アンパンを売り歩いていたオヤジがいた、という話。で、大衆ってのはまさにこういうものだ、という全面肯定をやって、政治に奔走している連中をひとまとめに相対化した。

 で、今になって改めて思うんだけど、あのとき、たかだかそんなことで目から鱗が落ちた学生というのは、どう考えても知的に情けないんだよ。私はそんなものはバカにしていたから、何とバカなことを言っているんだろう、と思ったけど、でも、当時の学生一般の吉本信仰というのはそれほど凝り固まっていたんだよね。

――空気と燃料の混合率がほどよくいい具合になったところにその発言がスパークして一気に、って感じでしょうね。でも、そういうタイミングでそういう発言をすることの効果、ってのも、吉本はある程度直感的にわかってたのかも。

 『共同幻想論』でもそうだよ。あれ、言ってることはものすごく簡単なことでさ。国家って何なんだろう、と、実はこれだけ(笑)。

 で、もちろんこんなことは昔から多くの人が考えているわけだ。ヘーゲルは逆に、国家のリアリズムは大事だ、ということを言いだして、それからフォイエルバッハがこれを批判するという構造になっている。そんなものははいつの時代にもあるわけだけど、国家っていったい何なんだろう、ということを独特の言い方で敢えて言った、それがウケたんだ。国家になる共同体、そんな共同体があるのだったら、ならばそんな共同体と国家は果たしてどっちが偉いんだろう、とか、そういう手順で考えてゆくんだからさ。

 それが集約的に出てくるのが、結局、エンゲルスの『家族、私有財産および国家の起源』だよね。あれがマルクス主義における「国家と社会」の見取り図の典型になるわけだ。ほかのところも、まあ、批判はあるにしろ、そもそもあれ自体モルガン/エンゲルス学説だから、モルガン説が否定されてしまうと成立しなくなるんだけど、でも、骨格はわかる、と。仮にモルガンが間違っていたとしても、国家、家族、私有財産というのは、誰かがやはり創り出した擬制=フィクションである、だから、これは何かの拍子に崩れることはある、と。その崩れ方がどういう形になるかはわからないが、おれたちはそういう擬制に対して距離をもって見なきゃいけない、どっぷり浸かることはないんだ、そしてそういう見取り図、いつか国家という擬制は崩壊し得る、ということの骨格は変わらないんだ、というのがずっとあるわけだ。

「団塊の世代」と「全共闘」㉗ ――吉本隆明ブランドのご威光

第四章 同時代の知の巨人たち、もしくは知のはぐれものたち

● 吉本隆明

 吉本の影響力は、やっぱり絶大だったね。でも、その理由というのは、ものすごく単純なことで、要するに若者はヒーローを求めていた、そういうことだよ。

――それはまたわかりやすすぎるというか、身も蓋もない話ですね(笑)

 身も蓋もない話だけど、でも、やっぱりそうとしか思えない。要するに何でもいい、長嶋でも力道山でもいいから、国民的ヒーローが欲しかったんだよ。まあ、これは私も三、四十歳になってわかったことなんだけどね。そういう意味で、吉本もその当時、若者のヒーローだったんだよ。

 ちょうど今、私は産経で吉本の批判を書いているけど、信じられないことに、いまだに吉本の本は売れている。そりゃあ、昔に比べれば部数は落ちたけど、今は体が悪くてあまり書けないからかえって飢餓状態みたいなところがあるのか、ちょっとしたメモを引き延ばしたり、あるいは口頭でしゃべったものを出すだけで、やっぱり一万部くらいは売れるという。

――うわあ、いまどき一万部出る書き手って、それだけでもう希少価値ですよ。

 そうだよ。今のこの出版不況下で、めちゃくちゃな話だ。いまどき、なかなか一万部なんて本は売れない。でも、それが売れているんだよ。しかもそれを、これは私も友人も多いから具体名は出さないけど、団塊の世代の連中が喜んで褒める、ヨイショする。

――なんでしょうねえ、未だにそれですか。まあ、言葉つきからほめ方まで手にとるようにわかるような気もするんですが。でもそれって敢えて商売としてほめてるんですかね、それとも本気?

 本気だろう。もし商売として提灯つけているというのなら、むしろ褒めてやるよ。でも、彼らは本気で書評で提灯をつけている。今でも吉本の書くもの、しゃべることがいいと信じているんだ。つまり、そういうまさに信者のような吉本ファンの団塊の世代が、いまも吉本ブランドを支えているってことだよ。

――まあ、そういうブランドって意味では、立花隆もある種そういうところがありますけど、やっぱり吉本隆明の方がそういう時代性や世代性とからんだ根深さが、ちょっとケタ違いかも知れませんね。当人がそれをどう自覚してるのかどうか、そのへんわからないんで興味ありますが。


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 あれは一九八七年だったかな、「吉本隆明25時」というイベントがあったんだよ。弓立社という出版社がそのイベントを本にしているけど、その時、たまたま私も呼ばれて「吉本隆明はなぜ強いのか」というテーマで喋った。そのとき私は、本当は吉本批判をしようと思っていたんだ。でも、吉本は朝からイベントに出て、次の朝まで出っぱなしでやるのに対して、私は自分の番が、確か夜の十一時だったんだよね。相手が半日以上やって疲れているところへ、私は当時まだ四十歳くらいだったけど、自分より二十歳も年上の疲れたじいさんを正面から批判するというのはいかがなものか、と思ってさ。正直、私は吉本に心酔したことは一度もないから、まあ、客観評価を言って、批判の中身についてはにおわせる感じで終わったんだ。しかも、私のパートの持ち時間自体も、あとが押してます、と主催者側に言われて、そうしたんだけどさ。

――なんだか、極真空手の百人組み手みたいですね(苦笑)。マス・オーヤマ伝説と似てるなあ。

 いや、そんな感じだったよ。ただ、空手の百人組み手はかかっていく方も必死だけど、この場合はそうでもない。私の出番が十一時だから、自分の出番の二つほど前、八時か九時くらいに会場に行って様子を見ていたんだけど、やっぱり異様な感じがしたな。なぜかというと、まず、組み手で打ちかかっていく担当がしゃべり、次に三十分ぐらいそれに対して吉本が話すというスタイルなんだけど、脇から見ていると結局、相手が何かしゃべっているときは吉本はみんなと一緒にいるんだけど、たとえばストリップのコーナーになると、ささささっ、と前に行ってかぶりつきで観ていたりとか、そんな感じだったんだよね(笑)まあ、二十四時間ずっと真剣勝負ってわけでもないんだ、これが。

 

――そういうところを聞くと、一気にいいハナシになりますねえ(笑)吉本のジイさまにとっちゃ、単につきあってただけで、やりとりの中身なんざ実はどうでもよかったんじゃないかな。

 かも知れない。で、イベント自体は二十四時間ぶっ続けだから、基本的に無礼講で、途中で腹が減ったら飲み食いしてもいい、という了解があってさ。みんな、朝からやっているから疲れたな、とか言って勝手に寝転がったりしていて、主催者側の代表の三上治が出てくると、吉本もパンをかじったりしながら見ているわけだ。じゃ、次に今の問題について吉本さんは、と指名されると、ささささっ、と前に出ていって話す。そんな感じだったよ。

――吉本隆明に二十四時間つきあわせる、って発想そのものが時代を感じますね。おそらく、後の『朝まで生テレビ』なんかにも通じるものがある。田原総一朗にしても、そういう「徹底的に話し合う」的な幻想がある程度まで共有した体験があるんでしょうし。もっとも彼はテレビの場で明らかにそれをダシにして「ショウ」に仕立てたとは思いますが。

 もともと吉本は、何を話しているのかよくわからない人なんだけど、あの時も突然オーバーヘッドプロジェクタで何か映像を写し出して、HF何とかという、五年後に発病するか、六十年後に発病するかわからない白血病の因子がある、白血球の因子を何とかかんとか、とか言い始めた。「何だ、この人の話は」と、みんなよくわからないながら吉本がしゃべってるんだから食い入るように見て聞いている。その因子が西日本にはこれぐらい、何パーセントぐらいいて、東日本が逆に少なくて、これがパーセンテージをこう考えると、こちらの方にもともとあった集団がだんだん東の方に移っていったのがわかる、というようなことを延々としゃべってた。で、ずっと聞いていると、要するに日本人は大陸から来たのが九州に入って東の方に行った、という話なんだよね。それが、話し始めて十五分たたないとわからなかった。

――ああ、つまり、日本人はどこから来たか、という、日本民族の起源の話だったんですか。当時、流行ってましたからねえ。

 そうなんだよ。でも、それなら最初に「日本人の起源はいろいろありますが」と言ったらいいだろ? 私は、大学の日本語文章教室で教えているとき、「まず、これから何を話すか要点を言いましょう」とよく言ってたんだけど、吉本の話はまさにその逆で、ほんとによくわからない。いつもだいたいそうらしいんだけどね。でも、それがまた一部の若者にはものすごくありがたく聞こえたものらしいんだ。まあ、そもそもお経と同じで、わからないからありがたいということなんだろうけどさ。

――その「わからないからありがたい」あるいは「カッコいい」ってパターンは、後の80年代のニューアカデミズムまで確実に尾を曳いてましたね。例の『構造と力』とか最たるもので。あたしの知り合いで、今もまだ大学の教員やってると思うんですけど、そいつが当時、ニューアカ全盛の頃に読んだその手の本――おそらく翻訳ものでクリステヴァとかラカンとかそういうんでしょうけど、それをあとになって読み返してみて、どうしてこれをオレは当時、わかったつもりでスラスラ読めてたんだろう、としみじみ言ってたのがいましたからね。訳文が悪文だったかも知れないことを割り引いても、その感覚はなんかわかるところがあります。つまり、ニューアカはつまり戦前の「福本イズム」みたいなもので、その意味で日本浪漫派なんかにも通じてゆく、明治の初期に意味なく漢語をありがたがった頃からのニッポン近代のインテリに骨がらみなコトバのビョーキ、というのがあたしの持論ですが、そういう近代百年になんなんとしてきた「わからないからありがたい」を発症するコトバのビョーキが、少なくとも90年代以降、オウムの一件くらいを境にみるみる棚落ちしていったのは、とりあえず健康なことだったかも、と思ってます。


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 当時吉本をそういう具合に信仰していた若者は、自分たちは前の世代と断絶があって、大人が嫌いだ、って言っているくせに、やはりそういう大人をヒーローとして求めていた、ってことだよ。そういう類のインテリにとってのヒーローの人材というのは、戦後に限っても何人かいたけど、中でもやっぱり吉本は特別だったな。

――その呉智英さんが吉本隆明を評価するポイント、ってのは、端的に言ってどのへんですか?

 それまでの、旧来の共産党の一元支配に対して闘いを挑んだ、このことだね。当時、共産党に盾突き、批判するということは出来なかったんだよ。特に党の自慢は「おれたちは十八年、不転向でやってきた」ということで、実際、そういう人はほかにいなかったから言われても反論できない。監獄に入っても、十八年どころか三カ月だけいて、拷問され、利権をちらつかされて、みんなへたって出てきてたわけだで、その意味じゃどこかでスネに傷を持っている。それを「十八年いたじゃないか、宮本先生は、同志ナガタは!」とやられると、これは誰も言い返せなくなる。それに対して「おれは五年いた」、「八年いた」と言っても、「でも、十八年はいないだろう」と言われりゃ、そりゃもう黙って引き下がるしかない。「獄中十八年」という葵の印籠はそれは強烈な効き目があったんだよ。 でも、それを吉本は「十八年もいたから悪い」と言った。それがどうした、文句があるか、だよね(笑)

――まさに桂春団治(笑)「代々木、サヨしぐれ」ですか。

 そんなもんだ。で、そこまで言われると、今度はなかなか言い返せないんだよな、これが。

 しかし吉本は、ここで言語のアクロバットを使っている。私はその点を批判したんだ。つまり、前述したように、転向という問題を客観的に分析することは、当時、共産党のイメージがあまりにも強くて誰もできないので、言論界はごく一部の非転向と、その他の膨大な軟弱腰砕け知識人、という構図におさめようとしていた。で、それ以外は、保守系の実務家、つまり東大を出て官僚になる人、地方で頑張って自民党の議員になる人。そういう人しかいなかったんだよ。

 だから、知識人の役割が、社会に対する監視と意義申し立てだと考えるならば、その人たちは基本的に共産党の一元支配下に置かれることになる。これはもう逃れようのない時代の構造だったわけだ。

――でしょうね。思想とか論壇とか言っても、要はその「実務家」系の認識や世界観、言説みたいなものをあらかじめ排除したところで成り立っていた、ってことですよね。少なくとも「戦後」の言語空間でそれらが成立してきた経緯や来歴を考えると、まずそういう構造自体をカッコにくくる視線がないと、いまどきもう全く役に立たないわけで。それは個人の思想信条がどんなものか以前に、いまのこの状況でいくらかでもものを考えようとする時に基本的に共有されるべき認識、だとずっと思ってるんですが、でもどういうわけがそうでもないままズルズルきてる、って感じです。サヨク/ウヨク図式にだけ落とし込まれるのが関の山だったりしますし。

「団塊の世代」と「全共闘」㉖ ――「大学」の衰退、戦後の終焉の風景


●大学という場の磁力、日本人の退嬰化

――大学自体、そういう「教養」をわが身に紐付けて形成してゆくような教育を、最近はもうしていませんし。

 そう、ただ昔から大学は、そういう教育をしていたとしても、それは一般的な教養教育にすぎないんであって、制度が崩れたなかでも個々の学生はそれをしなきゃいけないと思って自分で学んだんだ。学校が、たとえば学生運動でこういうもの読めと教育するわけじゃない。

――大学という場ではあったけど、別に授業で学んだわけじゃない、と。今、その場自体が機能していないのは、内圧がないからですよ。街と一緒なんだもの。自治会がなくなったからスーフリみたいのが出てきたわけですよ。結局、革マルがいなくなったらもっと悪いのが出てきたっていうのと一緒です。以前は、大学とは四年間帰属できる特殊な場所だという幻想があったから、自治会だってサークルだってあり得たわけだけど、今、まったく通り道ですよ。


 それはむしろ、大学当局の側の問題もあるね。かつては学校に歯向かっているやつがいたんだけれど、学校側はゼミという形とかさ、教授が気に入った学生に明日うちにメシでも食いに来ないかって誘ってそこで議論をして、で、先生の書斎をみて、先生、こんな本読んでるんですか、いやー、昭和の初め頃はみんな『三太郎の日記』なんて読んだんだよ、なんて。そういう議論が当然あったわけだよ。

――今それやったら、セクハラで大問題になります。セクシャル・ハラスメント、パワー・ハラスメントですよ。「メシにつきあわされました」、「家まで来いと言われました」。研究室もドア開けてないと今、大変なんです。学生と一対一で部屋にいちゃダメなんですよ、女の子の場合は必ずドアを開けておけって。

 それさ、俺が高校時代の『高三コース』あたりに書いてあった「男女交際について」みたいだな、うちに女の子を呼んだ場合は必ずドアを開けておきましょう、とか。


――それを今、大学で公然とやっています。どんどん後退している。石坂洋次郎まで退嬰化して「青い山脈」からやり直さなければダメだ。「青い山脈」って、いま読み直すと面白いですよ。どこの国の話だって感じ。これが日本ですよ、ついこの間までの。



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 自転車に乗って歌うやつだ。俺、中学の頃は、熱中はしなかったけど、けっこうみんな読んでたね。

――それ、本気で読んでたんでしょ?(苦笑)

 中一、二の頃は、戦後十二、三年しか経ってないからね。青い山脈の、あの雰囲気は、まだ残照としてあった。

――漫画でも、東海林さだお作品における恋愛ってのも調べたら面白いですよ。いろいろ出てきます。フジ三太郎なんて、あれ三十歳そこそこの想定ですからね。年齢不祥だけどサラリーマン・マンガってみんなそうです。


 東海林さんにとっては、孫に近いような世代だ。今、七十歳くらいだから。


――サザエさんは二十四歳、たまげますね。

 それをいうなら、波平さん、今の俺より若いんだ。すごいでしょ。七十くらいにしか見えない。あの頃の定年が五十三とか五十五歳だから、俺より七、八歳は若いんだよ。帽子かぶって会社に通ってる。あと何年かしたら定年。今、俺と波平さんが飲み屋にいって、お父さんて呼んでもおかしくないでしょ。本当にこの二~四十年で日本人全員がトッチャン坊や化してきてるんだよね。

――ひとしなみに、ね。だから友達親子なんですよ、精神年齢同じなんだ。

 夏目房之介と話してたんだけど、前の千円札、漱石だったでしょう、晩年の。あれ房之介より若いんだよね。死ぬすこし前だから、四十七、八歳なんだよ。房之介は俺より五、六歳下だから五十四、五歳かな。今の彼の方がちょっと年上だから、兄貴面して漱石に「金之助、お前、こんなことも知らないのか、ダメじゃないかよ」と言う立場になってしまった。ところが顔を並べたら、今でも房之介が漱石先生をおじいさんはムリでも、親父と呼んでおかしくない。


――アメリカ人なんか三十歳くらいでも結構おっさんでしたよね。日本人異様ですよ、もともと子供っぽいところへ持ってきて過剰贅肉の付き具合がなんともまた、ウーパールーパー状態だ。生き物として活力があるとはいえない。将来的には、何らかのかたちで絶滅の危惧も充分あるように思ったりしますよ。




●戦後の終わりに何を備えるか


 基本的には経済にしろ文化にしろ、いま、ここにきて日本は、戦後の何十年か分の遺産を食い潰しているのはまちがいない。この先、よほど何かすごい内部改革のモメントが起きない限り、この流れはとまらないように思うね。
ただ、これは以前からの持論なんだけど、幸か不幸か、日本がなんとなくこの六十年間、外国から攻められなかったのは、憲法九条の問題もあるにしろ、やっぱり地理的な条件、要は島国だった、というのが大きいんだよねえ。

――それはもうどうしようもないですね。あと日本語という天然の障壁も。まず言葉として難しいから、好むと好まざるとに関わらず、これが文化的な障壁になってきた。もちろん功罪相半ばするわけで、パソコンにしても前はNECの98とか、情報システムも自分の国のものでしたから。

 ただ、戦前、日本が朝鮮を植民地にした時、日本語を強制したらみんな簡単にしゃべれるようになったじゃないか。朝鮮語と近いから。逆にいえば、朝鮮民族が日本に対して言語的に侵略しようと思えば、それも簡単なはずだよ。

――それに比べると、今のシステムはオープンになってきてますね。若いやつらは英語をそれなりにしゃべるし、翻訳ソフトも出て、そういう言語的な障壁は、かつてに比べるとかなり低くはなっていますね。

 やっぱり島国、海の問題だと思う。いくらミサイル飛ばしてきても、本気で国を侵略するには、最後に陸上部隊が入って統一しなければ話にならないだろ。地続きだったら歩いていける。でも、海の場合はいくら先制攻撃でミサイルを撃っても、じゃあ、その国を亡ぼしたあとどうするか、となると、上陸用舟艇出して所詮一回に千人、二千人単位だから、やっぱり数十万人単位で攻め込まなけりゃほんとに占領なんかできやしないわけだよ。そういう大規模な上陸作戦を仕掛けるのが大変だから、これまで日本は安穏としていられたわけだ。ただ、いつ頃からか、文化的、精神的な崩壊が起きて、ずっと続いている。このウーパールーパー状態はどうなんだろうとは、思うんだよね。

――左翼だけじゃない、保守も少し前からもう、訳わかんなくなってるじゃないですか。反米原理主義みたいなくくりで小林よしのりと斉藤貴男がひっついてるのなんか見ると、危惧というか揶揄しながら敬遠していますが。

 あれは、『わしズム』(雑誌)を運営する上での成り行きだろう。本気で、というわけじゃないと思う。

 そうかなぁ、そうならいいんでしょうけど……最近は付き合いがないから事情がよくみえないけれど、ただ、斉藤貴男が●●ガイなのは確信しているから(笑)いろいろまずいとは感じている。


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 斉藤貴男は『梶原一騎伝』(文春文庫)だけは名著で、あとはどれも面白くない(笑)。頭は悪いが、ただゆとり教育に対する批判については、貧しさの原体験があって「こんな教育制度では、金持ちは公立学校から逃げて塾に金を落とす、学校にカスばかりが残ってしまう」と、自分の体験を引き写して書いていて、もっともだと頷ける。彼は屑鉄屋の息子かな、顔は坊ちゃん風だが家は貧乏だった。親父が事業に失敗したかで没落し、本来ならば高卒で就職するところを、成績もよかったから早稲田に入ったので、その程度の頭はあった。最近の石原慎太郎批判にしても、いまどき『空疎な小皇帝』というからよほど何かを言っているのかと思ったら、どうでもいいことしか書いてない。

――どうもねえ、なんというか……姜尚中に似たルサンチマンをものすごく感じるんですよねえ。

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 ああ、それはある。屑鉄屋と、豚を飼った家というのは近いものがあるんだ。

――またそんな……(苦笑)差別だと思われますよ。

 いや、差別ではなく現実だよ。問題はそういう環境でそいつが駄目になるかならないか、ということなわけで、環境が近ければ社会に対して同種のルサンチマンをもつのは当たり前じゃないか。

――明快ですねえ。いや、確かに顔つきも考え方も近いかも知れない。今は困ったことに、その「貧乏」が顔や身振りに出なくなっている。昔は独特のにおいがあったんですが、あの二人はそれがわかりやすい。環境から来る独特の具体的なにおいがあります。

 昔の下町じゃ、どぶが実際に年に何回か氾濫していたからね。これは都市の廃水処理の問題で、ボウフラが湧きカビが生え、部落でも川が氾濫して下水に流れず、しかも家が過密に建っているから当然廃水の量も多く、処理能力が追いつかない。

 『自虐の詩』(業田良家)の熊本さんですね。一般の家でも汲み取り便所のにおいがあったけど、今の人にはわからないでしょう。


 ここ数カ月、俺は「謀略省」というものを考えている。最近の国際情勢下において現実的な平和を守るためには、ぜひつくる必要がある、と私はみている。基本的な考え方は、「謀略で、隣国同士がいがみ合おうと喧嘩しようと知りません」というものだ。

 官房副長官も同じこと言ってました。つくるぞって明言しています、公けにではないけど。宣撫工作ですね(笑)。

 戦後の、ソ連に対する親しみだって、実はロシア文化に対するもので、ソ連が政策的に流したものだし。

――だから五木寛之も、李恢成も露西亜文学にいったんですよね。

 さらに国土も利用して、バイカル湖はこんなに美しい、とか。

――寒いだけですよね。

 いや、バイカル湖はきれいらしいよ。行ったことないけど(笑)、やっぱり世界でいちばんきれいな湖なんじゃない?

――大阪万博ソ連館で、何の知識、先入観もない人を「やっぱりソ連はすばらしい」って感動させ、国威発揚人工衛星まで打ち上げた。一方、中国はパンダを送ってくる。今は女子十二楽房、こういうのが「スパイ」でしょ、やっぱ。一部で、呼んだのは実は元オウムの筋だとかも言われてますが。



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 この間死んだ橋本龍太郎が中国の美人スパイに転ばされたか転ばされかけたか、と話題になったし、ソ連はもうその当事者たちが死ぬ時期を迎えて問題になっている抑留問題とか、あれほどの大事件でありながらそれほど騒がれずにきた裏には、ソ連の仕掛けていた謀略があったわけだ。

――戦後、日本がアニメとか東南アジアに対してしてきたことを謀略だと向こうが言い出したけれど、たぶんこちらは通産省なども考えていないでしょう。

 日本は意図してはやっていないよ。

――文化も含めて戦略物資だという、そういう政策の考え方は、いまの学校教育では無理ですよね。

 できないと思う。

――ムラの外のリアルとどう向き合うか、という何十年が、ここに来てふたが開いちゃった。ミサイルが飛んできて「戦後」が終わっちゃった、ということですよね。みんな「終わりつつはあるなあ」と思っていたところに最後の幕がいきなり来た。あと水谷建設の事件で亀井静香が捕まれば、間違いなく終わりじゃないですか?。検察は狙ってるでしょうから。結局、小泉が駆逐したものは、野中、橋龍、亀井、加藤紘一……と、並べてみたらこれ、すごいですよ。時代が変わるとはこういうことかと感じ入ります。

 ただ、話はさらにずれるけど、ホリエモンと村上が捕まったいきさつは、反小泉分子がどこかで動いているってことじゃないの?

――ホリエモンは中国筋がらみもあるみたいですが。

 改革派にくっついていたホリエモンを、旧エスタブリッシュメント派の官僚が、追い落とした?

――それはあるけど、政府サイドも、堀江をまずいと思っていみたいで。というのは、当初よくわかっていなかった節があるけれど、堀江・ライブドアは最後の方、中国に相当投資しているっぽいんですよ。香港じゃなくて大連に。というのは電話サポートセンターを大連に持っていった。国際電話よりネットを使った方が安いから、日本語の出来る中国人を多く雇って安くやらせていたのがマネーロンダリングに使われて、野口英昭は沖縄で殺された、と。あの殺され方は支那人がらみじゃないか、と言われてますね。


 あり得るね。

――地方競馬の関係で二年ほど前、たまたまライブドアと現場の間を繋ぐ役回りになったことがあったんですけど、それってフジテレビを買収するとか言い出す半年前ですよ、でも、その頃から、とにかく理屈じゃないから「ライブドアだけはだめだ」って、国会議員の周辺がすごく頑なにNG出してきてたんですよ。なぜそこまで頑ななのか、訝ってたんですが、いま考えると、その前ライブドアプロ野球の件でナベツネとやりあってますよね。その時におそらく警察や公安なんかの関係から、何らかの情報がいっていたんじゃないかなぁ、と。無論、後藤組などやくざ関係はあるだろうけど、同時にきっと中国マネーがらみも何かあったんだろうな、と今となっては思ってます。

 では小泉も、ホリエモンには警戒していたの?

――じゃないですかね。武部はバカでお調子者っぽいから考えてないでしょうが、小泉はその辺冷静だったんじゃないかなぁ。あと、あの界隈のIT長者系だと、村上世彰は父がインド系で、だから最後はシンガポールに逃げたんだ、とかいろいろ言われてたりしますよね。

 ああ、そうか。顔つきで、目がギョロッとしてるのは四分の一が印僑系だからだ。あと四分の一が華僑、お母さんが日本でしょう。


――こうしてみると、団塊だけじゃなく、日本のITバブルの内実、立役者として踊ってた界隈の背景や出自来歴などの検証も必要です。

 まあ、そういう意味で言うなら、今の日本の教養、文化はITを含め、焼き畑農業の状態なんだよ。ゼニカネの効率でそれを回している。つまり自転車操業だ。

 ただ、俺はその辺りむしろ楽観的で、金で済むことなら、あと十五年か二十年を収奪農業でうまく食っていけばいいと。

――それ、むしろ厭世的なんじゃないかと(笑)。

 そう、俺、厭世的なんだよ。

――僕は、呉さんよりまだ年下で若いせいか、根本的に不安ですよ。底辺があればこそ、ピラミッドは高い。教養も一緒です。しかし今の日本では、底辺がなくて、頂点は初めから頂点なんです。だから、底辺が頂点を支えるという物語は、おそらくもう成り立たないと思う。


 実際には、ゲームソフトなどもう韓国、台湾の翻訳物ばかりで、日本はハードは出すけど、それに乗っかるソフトで、オリジナルがほとんどない。しかたないから英単語、頭の体操など、大人向けに売るわけじゃないですか。RPGも、ストーリーはほとんど韓国、台湾です。それを焼き直して日本語版に乗せるのが精いっぱいで、さっきのゼニカネの効率で言うと、そっちの方がいいんですよ、一から作るより。


 だから通産省が何を言おうが、マンガ立国、サブカル立国などあり得ませんと、現場のやつは言いますね、バカじゃないかと。異様に早くなっているのは、その収奪農業のサイクル。その根本は、やはりさっき言ったみたいな、教養自体が自分の成長――あ、いや、成長という言葉はもうあまり言わなくなりましたが、まさにビルドゥングスとかの「過程」は本質的に変わらないはずなんです。いつアクセスしても、一定量の情報が処理できる環境が保証されているから、かつての「青春と読書」みたいな教養主義は、もう存在しないしできない情報環境になりつつあるんです。

「団塊の世代」と「全共闘」㉕ ――「教養」願望、と、おたく的知性の関係

*1
*2

●教養願望とオタク的情報量の集積

――でも今、浅田彰宮台真司がアニメ語るとカッコ悪いでしょ(笑)。もちろん、当人はそう思っていないんだろうけど。

 それは、教養になり得ていないんだよ。

――マンガでも一緒ですよ。浅田が岡崎京子を語ったら、ほんっっとにクソ、ですよ。


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 多分そうだと思う(笑)

――でもね、それでも浅田彰あたりはモードとしては、まだそういう古い知識人を引きずってる方なんですよ。それをもっと劣化させて朽ちさせると東浩紀になるんだけど。

 だからそのへんがきっと微妙なところなんだが、それは単におたく的な知識の総体であって、教養ではないんだよ。

――教養になりえない。いかに情報量があって処理できていても、教養というには自意識との絡み方が違う、おそらくそこなんですよ、問題は。あくまでも情報だけで、自分の生とか経験と結びつけたものになるかっていうと、ならないんだ。情報は、誰からもアクセスできるサーバとして別に置いてあるけど、それは決して自分のものじゃない。そこに特技としてアクセスすればいいだけ、と。

 そう。そこの世代的な違いがね、多分八○年代くらいからあるんだと思う。でも、それは必ずしも六○年代後半の問題ではないと思うけれどね。

――団塊の世代とそれ以降のターミノロジーが一緒じゃないか、って呉さんが言うのは、全くそう思うんですが、ただ、そのことに同時に違和感があるとしたら、その違和感をうまく自前で表出できないから今みたいな俗流団塊批判にいくんだよなあ、と思うところもあるんですよ、端から見てて。

 それは半分くらい、あっているような気がする。ただやっぱり半分であって、団塊よりももっと後まで続いているからそうじゃない、みたいなところもあるよ。多分七○年代に青春期を送ったやつにもまだあると思う。おそらく、もう少し後の世代までそういうのは続いている。

――確かに、幅はありますよね。まあ、あたしゃたまたま両方の世代が見渡せるところにいちゃってたみたいだからそのへん、かなりアンビバレンツですが。でも、それこそさっきの例でいけば、東浩紀たちには、もうわからないはずですよ。

 しかし、団塊批判をして溜飲を下げているのは、世代的には大月君の前後だよ。その頃まだフラグメントになった情報を、自分のバッグに入れて得意がって運搬しているようなやつはいなかった。そういうやつは、もっと下の世代だもの。

――自分ごととして言わせてもらえば、あたしらの頃、そういう連中が少しずつ出始めてたんですよ。でも、それはまだカルチャーエリートだったんですよね。たとえば唐沢俊一であり、岡田斗司夫なんかが典型で、まさにオタキングなわけです。外目には変なやつだけど、自分では確かにエリート意識を持っていた。その限りで教養みたいな意識はどこかであったんだと思うんですよね。


 ついこの間、岡田がどこかで号泣してた、って聞いたんですよ。どこかのイベントで「オタクは死んだ」と泣いた、って話。当人に確認はしてないけど、その話を若い衆なんかから耳にして、どういう脈絡だったのか聞いてみると、要は「エリートとしてのオタクは、もういないんだ」ってことを改めて認識したらしい。でも、そんなの当たり前じゃないかと思うんだけど、彼にしたらおそらく、それまでの世代の教養を知的エリートが担っていたように、正にある種の前衛意識を持っていたんだろうと思うですよ、そういうとんがったオタクの第一世代ですからね。でもその後、オタクもどんどん大衆化していったから、そんなことも言っていられなくなる。そのサイクルがわずか二十年で起こっちゃってる、ってことなんだろうなあ、と。



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 ああ、だろうなあ、中森明夫なんか全くそうだな。彼はわりと古いメンタリティを持っているよね。かつては新人類とか言われて喜んでいたけれど、よく考えてみるとかなり古い教養願望があった。


――そういうの引きずってますね、新人類というのは。意識してたかどうかは別に、ですが。世代的にはあたしくらいで変わらないけど、でも、あたし自身、現役で大学入ってることもあって、実世代的にはかなり上と親交している部分があって、浅羽通明なんかもそうだけど、まだそれ以前の教養カルチャーの尻尾がはっきり残っている。そのことは当時から自覚してましたね。ほんとうはあたしらの世代だと、福田和也みたいになるわけですよ。けれども、そこにもまた亀裂が生じていて、あたしゃ福田を最初に見た時なんか、ああ、そうか、知識・情報と自分との関係の付け方のこれだけ平然と違うやつが出てきた、と思いましたね。

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 だけど福田は、最近、断片化した量だけがたくさんある知識や情報もいいけれど、やっぱり古典と格闘するのは必要だって言ってるよ。自分ではセリーヌなんかと格闘している、と。意識はあるようだけど。

――言うだけなら言えますよ。でも「自分でやってるのか、今?」ってことですけどね。


 前から言ってるじゃないですか。山口昌男中沢新一に騙され、鶴見俊輔大塚英志に騙され、江藤淳福田和也に……と、その「構造」は基本的に全部一緒なんですよ。そこの落差を、見えていても大したものだと思わないがゆえに騙されるわけで。それは思えばオウムの時も一緒だった。



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 たしかに本は読んでる。けど、教養という地図があるとして、福田の立場で当然これは読んでるだろうというのを読んでいなかったりするんですよ。僕から見れば、アメリカのカルチュラル・スタディやってる若い連中と同じ世界観なんです。今、ネットがあるから、アメリカあたりの若い世代の院生なんかでも、こっちの日本語で書かれてきたとんでもないものを読んでる。それこそ、僕の大学院時代に書いたようなものまで読んでて、うわぁ、こいつらいったい何をどう読んでるんだ、と思ったんですけど。

 ネットで卒論を引っ張るの?

 引っ張れます。でも裾野があるじゃないですか、フリンジの部分が。それはやっぱりそこにいなければわからないもので、そこが文化だと思うんだ。たとえば福田は、保田與重郎にはくわしい、だけどそれは復刻したからだろうって話ですよ。ぐろりあ・そさえてが保田與重郎を集めてた頃は、手間も時間もかかったけど、そういうことをしないですんで、復刻版が出たからポコッとやったんだろうって。


 西部邁さんに対してもそういう感じ、あるんです。西部さんというのは早すぎるポストモダンだと僕はずっと思っていて、ある時期長く沈んでいて、蓄積はすごいですよ。しかし当然これは読んでるだろうという本を読んでいない、橋川文三は読んでないだろうし、柳田國男は「読んでないよ」って正直に言っていた。それが、読書傾向の片寄りっていう程度ではなくて、この抜け落ち方の落差っていうのはむしろ福田和也と似ている。だからこの二人、通じたのかな、と思った。


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 そこの違和感は、僕には根源的です。つまり、たしかに団塊の作り上げた生活的なカルチャーの中で、僕たちもその連続体の中にいる、それは呉智英さんの言う、まったくその通り。でも、そこにいながら違和もあるから、なんか文句言うやつもでてくるわけで。そこの違いっていうのはそれこそオウムとかの問題に戻っていくんだけれど、なにか自意識のあり様なんですよね、もう構成のされ方が違っている。


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 たしかにね、断片的な知識をそのままたずねただけで、階層が作られていないんじゃないかな。知の階層が作られていないから不安定だ。

 そう、整理されてないでしょう。


●知識の絵図面の設計思想

 俺たちの中だったら、たとえば社会学やるなら、誰の説も誰の説も誰の説もじゃなくて、自分はウェーバーならウェーバーをやると決める。それに対してちょっと違う視点からマルクス社会学的に読んでみると、いいこと言っている。ジンメルもこれでいいんじゃないか、となる。するとマンハイムはこの辺りだな、と位置がわかってくる。

 何となくズレはあるけれど大体こういうものだっていう共通認識は、みんな持ってて、だから話ができて、議論もできてきた。しかし福田を見た時、まったく違うものが来たって思ったんですよ。なのに、上の世代がこれを評価する。なんでこのズレがわからんのだろう、っていうのがずっとあった。

 ただ、俺はそうはとらなかったな。俺は最初に『奇妙な廃墟』を読んで、コラボ(コラボラトゥール)研究をやってるわけだから、コラボを研究するっていうのは、彼自身になにか内的な基軸があって、それに合わせてやってるのかなと思った。

 うーん、自分に近いせいで余計見えていないのかな。それは僕も斟酌するけれど、でも福田だけじゃなく、近いのがいっぱいいる、宮崎哲弥なんかもそうなんですよ。本は読んでるけど脈絡がない。

 宮崎君の場合は、やっぱり幼い頃の体験があってね、家庭がどうのこうのってあって。

 言うよね、ホントかうそか知らないけど、言いたがりますよね、家庭が、って。

 それと彼は、自分は文学はわからないって、これはわりと正直に言っている。

 正直というか、ある種、政治的ともいえますが。


 まあ、俺たちの場合は文学がわからないって言うのは通じなかったんだよね。それを言うのは禁じ手だった。

 もう人間じゃないって感じですよね、当時は(笑)。

 いや、そこまでは言わないが(笑)。だから、文学、なんでもいいんだよ。自分が好きな、永井荷風でもいいし三島でも。それがわかった上に図面が書けるから、それを相手と照らし合わせた上で、その差異をどう考えるかと議論していった。

 その地図を共有していないのが、下に膨大に出てきた。

 たしかにそうだと思う。今の二十代、三十代だと、頭の中にそういう知識の絵図面ができていないんだよね。

 こっちから見てもできてない。あいつら側にあるのかもしれないんだけれど。

 それは、彼らの中でその必然性がない時代になっているような気がする。

 そう思います。必要がないからやらない。困ればやりますよ、人間。

 俺たちの場合、自分なりにたとえばマルクスを基本の重心とする配置を作って、自分はそれに対してバランスを持ったウェイトをおき、自分の人生観を作って、社会に出るなり世界を見分けたりした。今の場合は学生たちが、これも良い面悪い面あるんだけれど、真面目になっているというか、よく授業も受けて。そのままいけば普通に就職もできるわけで、自分の中で新たな社会を見るための見取り図、チャートを作る必然性があまりないでしょう。だから知的エネルギーはオタク的にトリビアなものに集中していっちゃうんじゃないの。

 量の集積はしていますよ、たしかに。今こういう時代だし、できるから。でもほんとに合切袋に詰め込んだだけ。こっちから見てると、どう引っ張りだすんだろう、って。でもって修養になってない、昔ながらの教養、修養、自我の陶冶になってない……ものすごい言葉が出てきちゃったけど、そういう意味では、全然成長のモメントがないわけです。まあ、かわいそうといえばかわいそうです、あれだけの情報が入ってきていて、じゃあ丸山眞男まで辿り着けっていったら大変だもの。

 だから、丸山眞男を一つのアイテムって形で、たとえば政治思想史をやれといわれれば彼らはやると思うよ。その中で、でも自分なりのモチベーション、必然性と結びつけた時に、重心の置き方が各人いろいろ違ってくるわけでしょう。ウェーバーがいい人、マルクスがいい人、それぞれ自分なりに絵図面を書いて、自分はこういうのを書きましたと出せるだろうけど、先生がじゃあ丸山を読めっていった時、そこに丸山がランダムに配置されるだけで、自分なりに配置をする設計思想ってのが出てきてない。


 遠近感がない。いつまで経っても浮遊した断片がいっぱいあって、それを袋に入れて運搬しているだけ。何となく好きだってのはもちろんあるんですよ。でもそれ以上にならない。好きが構造化されないからリニアな形にならないし。

 ひとつ、外的にはインターネットで情報を入手しているということがあると思う。よく言われているように、新聞とか書籍と違って、情報が全部、等価に一アクセス、一結果にしかならない。

 もう一つは、若者たちが人との深い接触を嫌がる。自分自身が傷つきたくない、ということ。一つの構造を持った世界観を自分で作るのは大変しんどいし、自分をみつめ直すことだし、人と接触してその中で自分が絵図面を提起して相手の絵図面と照らし合わせて、さらに高次な絵図面を作っていく作業は、相手にかなり踏み込まなきゃいけない。

 で、相手から叩かれます。作らなければ叩かれない。だから表明しない。

 その通りなんだ。で、そのまま大学四年間やれば一応出席は、そのエネルギーは出席の方にいってるわけだから、適当にいい会社に就職できてしまう。

*1:挿入気味に言うておかねば勘違いされそうなので。この一連のエントリー、2006年頃の未成の仕事の草稿だったもの、為念。

*2:あ、聞き書きというか、話し手の主体は呉智英夫子でありますので、そのへんも。