原稿

ラジオドラマのモダニズム&アメリカニズム

● 改めて言うまでもない、「うた」が生身に宿る、それは人間にとって自然な感情表現のひとつのかたちでした。おそらくそれは、時代の違いや文化、民族の差などを超えた人間本来、天然の本質といったところがあったはずです。 ただ、それが人の耳と口を介して…

【改稿分】TOKYO2020の見せた「希望」

*1 *2 *3 ● 「老害おじさん炙り出し競技でもあるのかと思ったオリンピックでございますわよ」 閉会式の8月8日夜、Twitterに流れていたとりとめないつぶやきの中の、ほんのひとつ。何気ないひとことで何かをうっかり射抜いてしまう――ああ、世間一般その他お…

「わたしにもできる」ということ

www.youtube.com● 「わたしにも写せます」というフレーズを、おぼろげながらも自分ごとの見聞として覚えている向きは、ゆるく見積ったとしてもいまやもう50代も後半以上、まずは還暦超えた年寄り世代ということになるのでしょう。いまどきの若い衆世代の語彙…

広告・童謡・歌謡曲

● 流行歌の歌詞を作るということが、世間一般その他おおぜいにとってのわかりやすい「一発当てる」という夢の依代になっていたこと。特に稽古をしたり、師匠や先生について修行を積んだりすることをしなくても、またそのための特別な道具をそろえたりするこ…

「作詞家」になりたい

● 敗戦直後、『夢とおもかげ』所収の論考において、南博が正当にも言及していた「大衆娯楽」の「産業構造」の部分への視線は、その後の彼ら思想の科学研究会の進路はもとより、「戦後」の過程における本邦日本語環境での人文社会系自体の脈絡においても、それほ…

対談・朝倉喬司・頌

*1 現代書館から『朝倉喬司芸能論集成』が刊行された。ルポライター・朝倉喬司氏(1943~2010)の芸能関係の文章を集めた968頁の大著である。刊行を機に、編集委員会のメンバーである、株式会社出版人代表の今井照容氏、民俗学者の大月隆寛氏に対談してもら…

『夢とおもかげ』の時代

敗戦後、流行歌は世相と結びつけられ、語られるようになりました、それまで以上にあたりまえに。「歌は世につれ、世は歌につれ」というあの有名なもの言いも、玉置宏が自分の番組で使い始めたのが、一説には昭和33年とか。この「世相」と「流行歌」の関係があた…

「作詞家」と「作詞」の今昔

● 「作詞家」という肩書きも、もうあまり見かけなくなった。 いや、商売としては現存しているのだろうが、それが仕事の肩書きとして眼に触れる機会が少なくなったというだけのことなのか。web検索を叩いてみると、それら「作詞家」志望をあてこんだとおぼしきサ…

雨情は必ず「うた」にした

詩が「うた」であり、「うた」である以上、それは実際に声に出し「うたわれるもの」であったということは、今のように活字・文字を介して詩を「よむ」のがあたりまえだという認識になっていると、すでに気にかけることすらないままに忘れられている。同じく…

「外国人留学生ビジネス」利権の背後にある文科省

*1 *2 ● ごぶさたです。大月隆寛です。かつて、「つくる会」2代目事務局長をつとめさせていただいていたこともある、あの大月です。 とは言え、いまやもう四半世紀も前のこと、今の会員には、何のことやら、という感想が大方でしょう。今回、何かのご縁でま…

「読者の集い」にお招きを

*1 『宗教問題』読者の集い、という催しにお招きを受け、出席しました。 昨年暮れ、押し詰まった東京は池袋。コロナ禍はすでに日常化していたものの、例のGO-TO政策もあってご当地北海道から東京へ行くのは、飛行機代と宿泊費コミで申し訳ないくらいの値段に…

「小唄」ということ

小唄、というもの言いがある。 学術的な定義その他についてはあれこれ沙汰あれど、とりあえず自分ひとりにとってなじみがあるとすれば、いわゆる流行歌の中の「●●小唄」。やはり大正末年から昭和初期、震災後に流行ったと言われる新たな小唄、改めて「小唄」…

福本日南とマクルーハン

言葉にまず意識を合焦させて「うた」を聴く。それが音楽であれば、歌謡曲でも洋楽でも、歌詞があるならまずその歌詞に耳がゆく。こういう性癖みたいなものは、個人差や濃淡はあれど、誰しもある程度持ってしまっているのだろう。少なくとも、戦後の本邦の教…

再度、「懲戒解雇」のその後

*1 ● 「懲戒解雇に処す」 そう言い渡す顔は、気持ちゆるんで、軽くせせら笑っているように見えました。札幌国際大学理事長であり、弁護士でもある上野八郎氏、西暦2020年令和2年は6月29日の午前10時過ぎ、学内法人会議室でのたたずまいであります。 不肖大…

「うた」と言葉について

「木綿のハンカチーフ」にしても「ウエディング・ベル」にしても、未だそこまで自分の内面、やくたいもないこのココロの銀幕に鮮烈な印象を残しているらしいのは、単にその「歌詞」、言葉としてそこで歌われている言葉の意味内容においてだけでなく、それが具…

「陰謀論」の逆襲?

*1 アメリカ大統領選挙がえらいことになっています。というか、まだえらいことのまんまの真っ最中。 本誌の原稿締切りを過ぎて事態が急転していたこともあり、なかなか原稿に手がつかずに推移してしまい、いや、小川編集長、ほんとに申し訳ない。 陰謀論とい…

「カバー」ということ

「カバー」という言い方がある。特に音楽の、個々のうたや楽曲について言われるようになった印象ではある。元のうたや楽曲があって、それを元の歌い手やバンドとは別の人が歌ったり演奏したりする、そのことをさして言う言い方ではある、一応のところは。辞書…

「懲戒解雇」以後――嶋貫和男という「盾」

*1 *2 前号、何やら奥歯にもののはさまったようなもの言いでしか語れなかった「内部的には醜聞、いや、外から見てもまずは格好のスキャンダル、ないしはゴシップ系のネタとしてまずは取り扱われるような案件」ですが、もう勿体つけなくてもいい状況になった…

札幌国際大学、燃ゆ

*1 *2 ● 6月29日付けで、札幌国際大学より「懲戒解雇」されたことについて、7月13日付けで札幌地方裁判所に、地位保全及び賃金仮払い仮処分命令申立書を提出し、受理されました。 大学側からの「懲戒解雇告知書」に記載されていた「懲戒の事由となる事実」は以下…

「現代文化論」のために

*1 *2 確かに大学へ入ったはずなのに、高校あるいはそれまでの日々と何も区切りのつかない毎日をすごしていると思います。 人間、生きていればいろんなことに遭遇するものですが、あなたたちがいま、10代やそこらで遭遇しているのは、敢えて大げさに言えば「…

「おりる」ということ――渡辺京二の方法意識について

――ひとりひとりの個の生は、こういう私化された小さな小宇宙の複合体であり、その複合体を鞏固な統一物と見せかけているものがもろもろの文化的観念的構築なのである。そして思想とは文学とはつねに、個的な日常の規定から、そのうえにそびえ立つ文化的観念…

新型コロナウイルス騒動の「効果」

*1 中国は武漢発の例の肺炎、当初の予想を越えて世界規模で猖獗を極め始めているような気配があります。この原稿が活字になる頃には、またどうなっているかわかりませんが、少なくとも今、1月末の時点では、政府のチャーター便で帰国した邦人たちの間にも感…

大学はどうなる?

恥ずかしながら、これでも大学、それも私立大学で禄を食んでいる身の上、それも首都圏や京阪神などの立地条件も良ければ経営規模も大きい名のある大学ならいざ知らず、いずれ地方の小規模私大、しかも昨今の少子化の荒波の中、毎年の学生集めにも青息吐息で…

生きものの「死」の現在

先日、猫が一匹、亡くなりました。新千歳空港の駐車場で推定生後2ヶ月くらいで拾って以来18年、概ね老化と老衰の結果で、まずは大往生と言っていい逝き方でした。先に昨年9月、これは名寄の保健所でわけありの飼育放棄で保護されていたのを縁あって引き…

「ムラ」と民俗誌的記述の関係について・ノート

*1 *2 ――この国の民俗学とは社会が未だ「豊かさ」が実現できない段階での学問なのであり、その意味では貧困の文化、手弁当の窮屈の中での学問だった。と同時に、「豊かさ」から疎外された恵まれない条件の下で何か知的な営みに眼を開いてしまった人間にとっ…

「馬鹿」と「純情」――山田洋次『馬鹿まるだし』と戦後の民衆的想像力における「無法松」像の変貌

*1 *2 ――小説を映画化するということは、その小説からエッセンスだけを抽出して、そのエッセンスをもう一度、映画として豊かに再展開して行くことですから、言ってしまえば、エッセンスが濃厚でありさえすれば、原作の小説がくだらなくたってつまらなくたっ…

大風呂敷の幸せ――梅原猛逝去に寄せて

*1 「教養」系大風呂敷(おそらく)最後の大物 大風呂敷を拡げる人、というのがいます。拡げるだけ拡げて畳むことをしない、いや、そもそもそんな畳むなんてことを考えないから拡げられるというのもあるらしい。 凡庸通俗普通の人たちは小心翼々、そうそう自分の…

ハロウィーン、当世風

クリスマスだのバレンタインデーだのに続いて、今度はハロウィーン。海外由来の、それも商売がらみで普及していったそういうお祭りの類、昨今のもの言いだと「イベント」になるのでしょうが、まあ、これまでもあったことだし、新手のそういう類の流行りもの…

〈おんな・こども〉ということ

〈おんな・こども〉というもの言いがあります。というか、ありました。 今やうっかり使おうものなら、文脈その他すっ飛ばして、とにかく「使った」ということ自体でえらいことになりかねない、そういう意味ではすでに死語というか、それこそ「ポリコレ」(ポ…

われらが的場文男・頌

*1 ● 「尊い」――そうとしか言いようがない。 今に始まったこっちゃない、ずいぶん前からそうだった。赤地に星散らしのあの勝負服は、われら地方競馬巡礼衆にとっては、ただひたすら「尊い」のだ。 的場文男、言わずと知れた大井のカミサマ。南関東の、そして地方…