「団塊の世代」と「全共闘」⑪――前衛、ということ

●前衛、ということ ――今だとサヨクとかプロ市民とか、とにかく状況の変化について行けないオヤジ世代の思考回路の典型みたいに言われて、それがまたさっきから出ているように「団塊の世代」と直結されてくるわけですけど、これはまあ、いまの若い衆に特徴的…

「団塊の世代」と「全共闘」⑩――「豊かさ」の中で「反米」を叫ぶ

●「反米」を叫びながらパンを食う、という身体との乖離 ――最初の方でも言いましたけど、呉智英さんって、本質的に歴史家なんじゃないかと、以前から思ってるんですよ。それも民俗学的な、あるいは言葉本来の意味での民衆史でもいいんですが、何にせよ、いわ…

「団塊の世代」と「全共闘」⑨――「反米」と戦後左翼思想の起源

4.戦後左翼思想の起源●「反米」――六○年安保世代と団塊の世代の差異 ――話をまた少し引いたところに、いったん戻します。 「反米/親米」ってのが最近また、クローズアップされてきてるじゃないですか。例の小林よしのりや西部邁のアメリカニズム批判をもと…

「団塊の世代」と「全共闘」⑧――秋田明大という漢、その蹉跌

●秋田明大という漢 その蹉跌 六九年に山本義隆(物理学者・予備校講師/一九四一~)が全共闘の議長、秋田明大(一九四七~)が副議長となって、彼らが警察から指名手配を受けたときだって、日比谷での集会のときに彼らを守ったのは中核派だった。中核派のヘ…

「団塊の世代」と「全共闘」⑦――全学連から全共闘へ

3.全学連と全共闘――成立の時代背景●全学連から全共闘へ――六○年安保の挫折と再建 ――さて、団塊の世代批判にお約束のように付随してくるのが、いわゆる学生運動の問題です。 このところの「団塊」批判でも陰に陽にこのへんは意識されているわけで、さっき呉…

「団塊の世代」と「全共闘」⑥――団塊の小学校時代

●団塊が変えた小学校の校舎事情と、通り過ぎた示準化石 はっきり記憶しているのは、小学校のクラス割りだね。名古屋市立の小学校で、小学校一年のとき五クラスだったんだけど、私の上の学年(昭和二十年生まれ)は三クラスだった。そこでもう二クラス増えて…

まるごと、としての「うた」の可能性

● いま流行っている音楽、という設定が、いつの頃からか、われわれの日常の中から失われたように感じています。そして、そのことの意味というのも、もうあまり立ち止まって考えることもされなくなっているようにも、また。 思えば、テレビのいわゆるヒット・…

「団塊の世代」と「全共闘」⑤――その一個人的体験

2.団塊の世代と全共闘――その一個人的体験 ●名古屋の団塊少年が大学に入る頃 ――そもそも、呉智英さんの個人的な生い立ちについて、いい機会なんで、ここは少していねいにうかがっておきたいんですけど。六〇年安保の時には、おいくつでしたっけか。 昭和二…

「団塊の世代」と「全共闘」④――同じぬるま湯の中からの「団塊批判」

●同じぬるま湯の中から噴出した「団塊批判」 ――そのへんの「豊かさ」が日本の社会的意識に具体的に何をもたらしてきたか、については、オウム事件の総括の時から、呉智英さんとは共通の認識になってましたね。「外部」がいきなりやってきて「戦後」パラダイ…

「団塊の世代」と「全共闘」③――「世界」と団塊

●団塊の世代と「世界」 ――最近の「団塊」批判の通俗性、という意味で、その団塊の世代がトップバッターとして経験してきたパラダイムの内側から行っているに過ぎない、という、呉智英さんの批判の論点のひとつをもう少し掘り下げてもらえませんか。 そのへん…

「団塊の世代」と「全共闘」②――昭和30年代ブームの不幸

●昭和三十年代ブーム――豊かさの影の不幸 ――その六十年代から七十年代にかけての文化的断層、というのは、実感としてもよくわかりますね。 教科書的に言ってしまえば、高度経済成長がもたらした果実が具体的な日常生活の局面に形として現れ始めた、そういう時…

「団塊の世代」と「全共闘」①――よくある「団塊批判」の誤り

もう15年、いや、それ以上になるか、2005年から6年頃にかけてだと思う、何にせよ今は昔、まだ平成の御代で、かのゼロ年代半ばあたりのことだったとおぼしめせ。 呉智英夫子との対談本というか、こちらが聞き手となって、当時あれこれ言われ始めていた「団塊…

もうひとつの現実、を織り込むこと

● 19世紀末から20世紀にかけて、当時の近代化先進地域から始まった「大衆社会」へと向かってゆく様相というのは、それまでの社会にあたりまえにはらまれていた「違い」――個々の人間の持ち前の性質や体質から、その出自来歴、地縁血縁含めた逃れようのない規定要…

続・阿久悠と都倉俊一――あたらしい〈おんな・こども〉の感覚

● 阿久悠と都倉俊一の「出逢い」が、どれだけ互いに異質なもの同士の遭遇だったか。それは後世の後知恵でごくあっさり言ってしまうならば、「育ちの違い」というひとくくりな言い方に還元してしまっても、ひとまずいいようなものではありました。 だがしかし、と…

「統一協会」という名詞

ああ、「暗殺」というのが、いまや実にこういう形で、平手打ちのように不意に眼前のものになるんだ――それがまず、最初の感想でした。奈良は西大寺駅頭における、安倍元首相遭難の一件です。 手製の銃、それもひとりでこさえたものを携えて、参院選終盤のこと、…

阿久悠と都倉俊一――〈おんな・こども〉への合焦

● 前回、最後に阿久悠の名前が出たので、彼の仕事を足場にもう少し、〈おんな・こども〉の領域が「うた」とそれに伴う日常の身体性とでも言うべき領域にどのように関わってきていたのかについて、続けてみます。 阿久悠という名前は、「作詞家」という肩書きが…

陳述書 2022.7.5 (抜粋)

*1 私は、原告の大月隆寛です。2020年8月28日に本件訴訟を提起いたしました。すでに、陳述書は提出しておりますが、仮処分の審理のために作成したものですので、本件の訴訟における大学側の主張も踏まえて、下記の通り陳述いたします。 私の懲戒解雇…

世相史は、いつも後知恵で

自分の生きてある〈いま・ここ〉と地続きの時代の流れ、自分以外の他人を介してもなお未だ生身を介しての地続きではある「ほんのちょっと前」――only yesterdayな過去、いわゆる現代史、時には世相史や生活史と呼ばれもするような間尺の、それも日々の暮らし…

瞑目して「うたう」こと、の来歴

先日、ヘンな夢を見ました。ふだん、あまり夢は見ない方なのですが、だから余計に印象に残ったらしい。 手もとの紙に書かれた詩のようなものがあって、それらを実際に「うたう」ことを求められている場に自分が居合わせていて、しかもそれをカラオケのように…

更新される「ロシア」

ウクライナをめぐる事態が、この数ヶ月の世界を一気に、これまでと違うものに染め上げているような印象すらある2022年の春、です。ここは何か少しはもっともらしいことを言わねばならないのかもしれない、でもさて、敢えて言うべきことは何か。 現在、現地で…

ウクライナの「うた」、五木寛之の記憶

● いまどきの情報環境のこと、無職で隠居に等しい身の上で、外へ出て人と会う用事なども基本的になく、それこそ日々ひきこもりに等しい生活をしていても、世の動きや動静は文字に限らず画像、映像、動画に音声、いずれそれら各種「情報」として平等に、なんだ…

陳述書 2022.3.22 (現在の心境)

*1 不当な理由と手続きとで、大学を一方的に懲戒解雇されてから約1年9ヶ月、現在の心境など陳述します。 不当な懲戒解雇によって、大学の教員として、担当する学生たちに何ら予告なく、十分な説明もできないまま教室を離れることを余儀なくされ、教育がで…

「みんな」と「大衆」・小考

● ラジオやレコードなど、「飛び道具」の登場してきた情報環境における「うた」の転変の周辺を、例によっての千鳥足で経巡ってきていますが、今回はちょっと迂遠な話を。それらの千鳥足の道行きの背景、書き割りの部分の整理という感じで。 「広告・宣伝」が、…

三木鶏郎にとっての「うた」の戦後

● 「広告・宣伝」に使われる音楽と、「流行歌」として半ば自然発生的な過程も含めて作られてくる音楽との間には、当時の同時代気分として大きな違いが、それなりに感知されてはいたようです。そしてまた、それらと「歌謡曲」として作られる音楽との間にも、また…

ばんえい十勝「公社化」騒動・草稿

*1 *2 去る1月27日、北海道は帯広の、ばんえい十勝・帯広競馬場で、ばんえい十勝調教師会・騎手会とばんえい競馬馬主協会が、帯広市長に対して「要望書」を手渡しました。 内容は、「ばんえい競馬の公社化に反対する」というもの。これだけでは何のことか…

「学者」って、なあに?

学者の世間離れ、というのは何も今に始まったことではありません。 一般的なイメージとしても、またある程度具体的な実態を伴った見聞、身の丈の経験値としても、いわゆる「学者」というのは「世間」「浮世」のあれこれからかけ離れた、超然とした存在という風に…

「放送」と「いなか」の耳

● 戦前の「盛り場」、それも大正末の関東大震災以降、復興してゆく東京を「尖端」として現出されていったようなあり方は、それ以前の「市」的な、どこか近世以来の歴史・民俗的な色合いに規定された賑わいとは、どこか違う空気をはらむようになっていたようで…

さまざまな「いなか」が――石原苑子『祖母から聞いた不思議な話』

twitter.com*1● 主人公というか主な語り手、主な素材供給元であるおばあちゃんは、昭和7年の生まれ。主な舞台は、岡山県北西部とおぼしき土地、おそらくは今の新見市に編入されたムラでしょうが、そういう具体的な地名もまた、まず意味がない。というか、関…

「宣伝・広告」と「放送」媒体の必然

● ラジオが「ナマ放送」であることの「臨場感」を大事にしていたこと。そしてそのような初期のラジオの媒体としての自覚が、すでに巷に出回っていたレコードを放送に乗せることをどうやら忌避していたらしいこと。 その一方で、ラジオは「家庭」というたてつ…

「古本」の記憶

● 古本とのつきあいは、それなりにある。致し方ない、それだけ無駄に長い間生きてきちまった、ということだろう、今となっては。とは言え、偉そうに言えるほどのことは何もない。 初めて古本を買ったのは――ということは古本屋に自覚的に出入りしたということ…