書評・小関智弘『町工場の磁界』

町工場の磁界

町工場の磁界

 

 本書の著者小関智弘は、一九七七年の『文学界』一一月号に発表した「錆色の町」で第七八回の直木賞候補になったこともある人。*1 肩書きとしては作家になるのだろう。だが、小説作家としての創作活動の一方で、旋盤工としての自らの生活体験に密着したルポルタージュ・エッセイも発表し、その仕事は処女作『粋な旋盤工』(一九七五年 風媒社)で各方面から注目を浴びた。その後、和多田進率いる晩声社より好著『春は鉄までが匂った』(一九七九年)を上梓、同社の「ルポルタージュ叢書」の隆盛にひと役買い、『大森界隈職人往来』(一九八一年 朝日新聞社)では第八回日本ノンフィクション賞を受賞している。

 その著者が、三年の間、全国の町工場を歩いて書いたものがこの『町工場の磁界』である。著者としては『鉄を削る――町工場の技術――』(一九八五年 太郎次郎社)以来の作品となるわけだが、技術が身体を軸に構築されてゆく本源的な経験の中にこそ根づいてゆくものであるという地点から出発した著者の視座は、自らの現場を離れて歩き回ったこの仕事でも微塵もぶれていない。むしろ、日に日に抑圧を増してくる時代の中で、見えなくなってゆく身体のありかを「職場」という言葉で探し続け、そして、そこでの「ことば」に活路を見出そうとする戦略は、見知らぬ「職場」に入り込むに従って以前より肩の力の抜けてきた文体とあいまって、ますます確固としたものになっているように思える。

 技術にも歴史がある。いや、これはより積極的に、技術にこそ歴史があると言い直すべきだろう。そのことは、それを支える身体にあるひとつの技術を活きた技術たらしめているかけがえのないフォーミュラが秘められているということでもある。僕たちのあるべき民俗学の地平では、「技術」は「身体」によって身に付けられるものであると同時に、「身体」を間断なく彫啄してゆくものとして捉えられる。それをより具体的な次元で媒介するのが「道具」であり、その結果外化されてくるのが「もの」だ。そして、それらの相互作用が日常的にとり行なわれる「場」が「職場」に他ならない。著者がこの語を「いま日本には企業だけがあって、職場はない」*2というようにかなり意図的に使用してきていることには一考の余地がある。

「町工場を渡り歩く職人は、ゆるやかな渦を巻いて流れたが、どこかの杭にひっかかっては新しい技能を身につけ、工場世界についての見聞をひろめて、また杭を離れた。…(中略)…彼等はけっして技術書を読まず、まして六法全書など広げるはずもなかった。渡り歩きをする職人たちは、それらを自分のことば、つまり彼等のことばで語ることができるのだった。」*3

 いわゆる渡り職人たちのメディエーターとしての性格に着目した著者は、かつてそれを「伝承者としての渡り職人」という言い方で表現しようとした。この場合の「伝承者」とは、形骸化した「伝統」(この場合「技術」)を後生大事に抱えて「保存」している立ち腐れという意味ではない。交感可能な生きた身体を持って生活世界に生きている主体としての「伝承者」なのであり、まただからこそ、彼は自らの「技術」を圧倒的な説得力を伴ってメディエートすることが可能になる。そのようなパフォーマティヴな相互作用がいきいきと行なわれている「職場」としての町工場という視点が、著者の記述の前提になっていることを見落としてはならない。

 だが、民俗学において、このような技術と身体との間の相互作用的性格について積極的に論じられてきたことはほとんどない。例えば、民俗学や文化史学の領域で「職人」が問題にされる場合、そこには次のような問題点があるように思える。

 第一に、「職人」というカテゴライズの仕方が「農民」に対して「特殊な」生産技術やエートスを持った集団という意味での、農民を前提にした上での特殊性であるという視点が対象化されていないこと(農民中心イデオロギー)。第二に、それらの集団を集団たらしめていた統合の原理を信仰とか親分・子分関係、せいぜい最も教条的な意味での経済基盤といった表層的な社会的現実の次元に全て収束させてゆこうとしていたこと(悪しき機能主義)。そして第三に、多くの場合「技術」それ自体が主体を離れて運搬可能なひとつの閉じた領域として外的に措定されたところから議論が開始され、主体の側としては全く固定的なそれらの「技術」をいかに習得するかという受動的な面にのみ主として関心が寄せられてきた傾向があること(ユニットとしての「技術」主義)だ。*4

 これらに対して批判的な視角から読み込んでゆくならば、本書において著者が主張しているのは、鋼という無機物とさえも何らかの会話を成立させてしまう構えを持った「身体」を持つことが「職人」であることの前提条件であるということが理解できる。あらゆる俳優修業が必ず身体訓練から始まるように、「技術」とは、おそらくそれらの構えを持った「身体」に何らかのふくらみと、生産点と斬り結んだところで設定されてくるであろうある方向への貫通力を持たせるための媒介に過ぎない。もちろん、これは敢えて消極的に言っているのだが、少なくとも、外的に認知できる「技術」とはそのような限界性をどこまでも担っているのだということを自覚した上でないと、あらゆる「職人」研究は本質的に徒労である。

「わたしはいま失業して、かりに板前の修業をしろということになっても、ガラス職人になれと言われても、二、三年すれば一人前になれる自信はあります。どんな仕事にも共通して必要なのは、モノを見る眼と、モノを作る姿勢と、それからまわりの人との関連で自分をどこに立たせるかを知る位置づけです。」*5

 このような構えを持った「身体」を自分のものにしている者にとって、外的に把握される「技術」の上での表面的な相違は本質的な障害ではない。それは、競馬場の厩舎という「職場」における評者の乏しい経験でも理解できる。馬の汗をなめ、鼻息の温度を感じ、炎症を起こそうとする筋のわずかな気配をも見逃さない厩務員たちの「技術」は、もの言わぬ鋼材の「腹の中」を知ろうとする旋盤工たちの全体的意志の方向性ときれいに重なってゆく。世界に対する一点突破の集中力とまるごとの包容力。それは、生きてゆくための必然的な智恵であり、工夫であり、態度なのだ。その意味では、農民、漁民のような直接に自然に関わる人々もまた「職人」として捉えるべきなのではないだろうか。

 このように考えてくれば、誰しもここにもうひとつ「労働」という民俗学にとっては少なからず厄介な概念があることを思わざるを得ない。「労働道具を部分労働者の排他的な特殊機能に適合させる」*6という意味では、これらの町工場はある意味ではマニュファクチュアに他ならない部分をも包含しているとも言える。だが、「現実の中ではさまざまな過程が同時に進行する」*7のだし、「それらが別々に進行しているのではなく、相互に不可分に結びついた過程」*8としてあるということを正しく受け止めるならば、例えば、鎌田慧の精力的な仕事によって浮き彫りにされた「近代的」な大規模な自動車工場という生産の現場と、これらの町工場との間に横たわっている相違を、より積極的な意味において逆転させたところで捉えようとする方向も戦略としてあり得る筈だ。*9

 つまり、こういうことだ。

 著者は、コンピューター制禦のNC旋盤のための訓練を受けて悪戦苦闘した経験を持つ。永年馴染んだ手動式旋盤から、パンチ・テープによって制禦されるNC旋盤への「転向」は、それなりの葛藤を著者の内部にも、そして周囲の人間たちの間にも起こした。実際、『春は鉄までが匂った』以降の著者の仕事の多くはそれらの実生活上の経緯の上に立っている。しかし、それでもなお「その道に入れば、プログラマーの組んだ紙テープの、小さな孔ぼこからだって、きっと生身の人間の声はきき出せるにちがいないということだ」*10という態度表明が、決して負け惜しみなどではなく、すらりと著者から引き出されるに至っている。ここから始めるということ、これだ。

 もちろん、同じ「熟練」による「技術」ではあっても、その「熟練」の方向が古典的な手動式旋盤ではなく、NC旋盤のような自動機械を介してのものである限り、その「技術」は本質的には労働主体の方には従属していないものになることは、労働過程分析によっても明らかにされている。このような視角からの生産点への接近は、正しく民俗学の側へと引き寄せておかなければならない。けれども、それはそれとして、町工場と大工場との相違が、経営規模や、「合理化」の程度の相違に全て還元されるものではないということは、民俗学にとっていくら強調してもし過ぎるということはないだろう。楽天的と言うもよし。見通しの利かないこの時代、知の世界の被○別部落たる民俗学楽天的でなくてどうする。この主体の側の生活世界の在り方とその裡での経験の構築とを視野に収めたところで「労働」を捉えてゆこうとする作業は、身体と「労働」という領域への切開を民俗学にもたらす筈だ。それは、経済主義的に規定された「労働」概念と、それが外化されたものとしての「商品」という図式をエコロジカルな次元で止揚する可能性をも内包している。そして、それは全体的なコミュニケーションの学としての態勢を整えた日の民俗学にこそ可能な作業だ。

「顔が見えるところで仕事をする、というのはなにも距離や気安さのことではない。相手を等身大で語ることができることだとわたしは思う。」*11

 いいフレーズだ。「三八銃で資本の論理に対抗してゆく」*12とも見えるこの意志は、しかし安物の傍観者的ヒューマニズムにまぶされたものではない分、確かな瞬発力を秘めている。

 自らを表現する手段を「文字」として持ち得なかった人々の何らかの「表現」を解読してゆくことで、「文字」の持つ権力性に対抗することが可能になるという戦略の図式は確かに麗しい。それは、本質的には希代の内務官僚であったあの柳田国男を虜にしてしまったほどの射程の深さを持っている。だが、それは「文字」対「非-文字」という二元的なものさしに必然的に依拠するが故に、「文字」のみを逆に優越性を持って指示してしまうという反作用が考慮されにくい難点をも併せ持っている。

 そうではない。問題は「身体」を根源に据えたあらゆる回路を通じての「交感」の在り方に眼を開いてゆくことである。それを広義の「ことば」と言い換えてもいい。「職」といい、「芸」というも、本質的にはそのような「交感」の在り方を表現する言葉であったのではないだろうか。職人と芸人、スポーツ選手などが交錯するのはまさしくこの座標においてであり、大胆に言ってしまえば、ある種の宗教者も同様である筈だ。

 だが、しかし――とも思う。

 口をつぐんでしまわざるを得ないその領域にたどりつくことのできた者は、また再び「こちら側」へ帰ってくることはないのではないか。錯綜する言語の体系の中で「意味への疎外」をきたした者にとって、そこは常に到達の不可能なシャングリ・ラなのではないか。そうつぶやきながらも、僕たちは本質的には「書くこと」しか能の無い人間だ。では、そのような人間にとって「技術」の記述はどこまで可能なのか。そのような文体の、言葉の、視線の構築を民俗学は果たして行なってきたと言えるだろうか。この新たな、しかし根源的な問いかけはまだ始まったばかりだ。

 今、小関智弘と征くことのできる民俗学は、間違いなく幸せだ。断言する。その民俗学は先行できる。

*1黒井千次「「旋盤工」と「小説」」(一九七九年一一月二五日『毎日新聞』/一九八二年『記録を記録する』所収福武書店 p.156~157)

*2小関智弘『鉄を削る――町工場の技術――』(一九八五年 太郎次郎社 p.196)

*3小関智弘『大森界隈職人往来』(一九八一年 朝日新聞社 p.136)

*4:これらの項目それぞれは、我が国の民俗学総体に対しても当てはまる批判点であることに注意しておきたい。特に、第一点は今後最も問題になってくる筈だ。我が国の稲作定地農耕というのは、人類にとって相当奇形的な――と言って悪ければ例外的な、本質的に手工業的な抑圧を伴う生産様式なのではないだろうか。

*5:小関 註(2)に同じ p.165

*6:K・マルクス資本論』第一部 p.358

*7中岡哲郎『工場の哲学――組織と人間――』(一九七一年 平凡社 p.28)

*8: 中岡 註(5)に同じ p.28

*9:鎌田 慧『自動車絶望工場』(一九七四年 現代史出版会)など。また、小関の仕事の影響もあってか、近年このような視点からのルポルタージュの出版が目立つ。例えば、萩原晋太郎『町工場から――職工の語るその歴史――』(一九八二年 マルジュ社)、中村 章『工場に生きる人々――内側から描かれた労働者の実状――』(一九八二年 学陽書房)など。もちろん、S・ヴェイユの古典的労作『労働と人生についての省察』(一九六七年 勁草書房/一九五一年初版)を忘れてはならない

*10小関智弘『粋な旋盤工』(一九七五年 風媒社 p.34)

*11:小関 本書 p.41

*12:小関 註(10)に同じ p.73