大きな生きもの

 厩舎にはいろいろな馬がいる。そして、いろいろな場所から、いろいろな経路で、いろいろな人間たちもまた、馬のそばにやってくる。そんな場にいると、たまにはびっくりするようなこともおこる。顔見知りの厩務員ケンちゃんの場合もそうだった。

 ケンちゃんは、いつもニキビいっぱいの顔をほころばせ、めいっぱいの大声で挨拶してくれた。

「よおッ、センセイッ、おはようッ、早いねッ」

 馬場から引き上げてくる馬を引いて戻る朝四時三〇分。厩務員食堂の前で立ち止まり、自動販売機の缶コーヒーを買いながら、眼ざとく僕の姿を見つけた彼は、顔だけをこちらに振り向け、そうどなっていた。馬は、彼の後ろでじっと待つ。砂が汗にこびりつき、胸前に波模様のような縞を描いている。馬の具合を尋ねると、

 「ダメダメェ、馬場掃除ばっか、今度(のレース)も引き付け(手当て)だけが楽しみだァ

 そう言って、歯の抜けた口を開けて笑う。そして、仕事着にしている黄ばんだポロシャツの裾で手をぬぐい、片手に缶コーヒー、片手に馬の引き手を持ち、また大股で歩いてゆく。

 その日、彼は五メートルもゆかないうちに、思いだしたようにまた振り向き、口に手を当ててそっとこう言った。

「あ、そうだ、オレ、来週いなくなっからね」

 確かに、彼の厩舎はあまり成績のパッとしない厩舎だった。入っているのは下級条件の馬ばかり。浮き沈みはこの稼業のならいとは言うものの、少しは成績が上がらないと、厩務員たちの気持ちもすさんでくる。そんな時、気分転換という意味も含めて、厩務員のクラ換えは珍しくない。だから、またどこかの厩舎に移るのかな――その時は僕もそのくらいにしか思っていなかった。

 それっきりケンちゃんの姿を見なくなって半年。なにげなく見ていたテレビのドキュメント番組に、彼らしい姿を見かけてハッとした。サーカスの少女を追った企画、捨て子だった彼女がサーカスの一座の中に居場所を見つけてゆく過程をとらえたフィルムの背景、ライオンにエサをやるケンちゃんの姿があった……ような気がした。

 翌朝、厩舎に行き、彼の仲間のひとりだったマサルに尋ねてみた。

 「アレッ、ハカセ知らなかったっけ、ヤツ四国の動物園行ったんだよ」

 話を総合すると、そのテレビに写っていたのはケンちゃんに間違いない。そのうちにその番組を見たという仲間も現われ、朝の洗い場はちょっとした騒ぎになった。

 その新しい仕事場について、ケンちゃん自身は「私設動物園だ」と言っていたという。仕事は動物たちの世話と調教。うわさでは、ライオンの調教などもやっているという。

「大丈夫なのかな、いきなりライオンなんか扱って」

 思わず口にした僕の心配を察するかのように、マサルはたたみかけ、胸を張った。

「あのね、ハカセね、馬とかね、こういう大きい生きものやってっとね、みんな同じ、変わんないんだよ」

 馬という、自分の身体よりも大きな生きもの。その生きものとつきあう術を身につけた彼らは、他の仕事の場にもその感覚を横滑りさせる。それは、彼らの生きる存在理由の根ざす場所だ。

 ケンちゃんはその「私設動物園」に住み込みで雇われた。食事と部屋はほぼ無料。そこに来るお客さんたちにオデンやヤキソバの屋台を出し、その売上げが小遣いになる。半月ほど前、残っていた荷物をとりに来た彼に会ったひとりの証言では、競馬場にいた頃よりも太ってまた一層ニキビが増えていたというから、元気でやっているのだろう。

 この夏、全休日を利用してみんなでケンちゃんのところへ遊びに行く話が持ち上がっている。もちろん、僕もついてゆくつもりだ。