上州草競馬の記憶――稲葉八州士『競馬の底流――侠骨二代の風雪――』(1974年 実業之日本社)萩原 進『群馬県遊民史』(1965年初版/1980年復刻 国書刊行会)

 競馬がとことん面白くない。武豊は設計図通りのアイドルになった。テレビでは小林薫が人の良さそうな顔で馬券の楽しみを思い入れたっぷりに語る。競馬場に行けば行ったで家族連れやアベックの花盛り。場外馬券売場(最近はWINSとか言うらしい)もラブホテルまがいのきらびやかな建物に変わった。今や、誰もが平等に、罪悪感などなしに気軽に馬券を買うことができるし、運が良ければ配当にありつくことだってできる。

 だが、肝心のレースはますますお粗末になってゆく。馬はすぐパンクする。騎手は馬をまっすぐ走らせることもできない。ただ「経済大国」の湯水の如きあぶくゼニだけが、そんなやせ細った競馬をドライヴしている。競馬ファンは三年のサイクルで入れ替わると言われるが、今、どれだけのファンが競馬のこの頽廃に気付いているだろうか。

 競馬が健全なレジャーになったと言い張っても、突き詰めればやはりバクチであることに変わりはない。今やバクチであることと、そのことを前提にしてしかあり得ないさまざなふくらみを漂白されたところでのみ競馬が可能だというのなら、僕は、そんなものいらない、と最後の一人になるまで言い続ける。ギリギリにまで鍛え上げられたどデカい生きものが力いっぱいの地響きでゴールに殺到する、その瞬間のためにだけさまざまな力と、技術と、感覚とが収斂してゆく厩舎という仕掛けと、それがあって初めていきいきしてくるバクチの現実。それらがまるごと「競馬」の興奮を支えていた。その場に共にいることがまず感動であるような競馬、あれは本当にどこに行っちまったんだろう。

 それでも、競馬関係の本は間違いなく一定量売れている。だが、その多くは「必勝法」式の馬券本。この国の競馬そのものについての真実を教えてくれる本はごくごくわずかだ。

 この『競馬の底流』は今から一五年前に発売されたもの。だが、そんじょそこらの馬券本ではない。著者は父源次郎以来親子二代、五十年にわたるノミ屋稼業の人。上州前橋の在で、草競馬の興行、運営に裏からたずさわってきたという。装丁から紙に至るまで凝りに凝った豪華本で、児玉誉士夫から河野洋平、果てはかの中曽根康弘サンに至るまでの色紙やら何やら、さまざまな「大物」たちとの関わりを強調するあたり、いかにも「そのスジの人」らしいいかがわしさがプンプンしている。

 だが、中身はとんでもなく面白い。競馬がもともときれいごとだけの「スポーツ」などでなく、馬喰や、遊び人や、土地の顔役や、そんな「ロクでなし」たちの生を賭けた真剣勝負の場でもあったことが、思い出話として淡々と描かれる。かつて上州を中心に広がっていたハタ競馬と呼ばれる素朴な草競馬八百長に怒りアイクチで勝ち馬の尻に切りつけた男、土地の顔役の馬ならばたとえ二着でも一着にしてしまうスターター、満州へ転勤して八百長競馬の仕掛け人になった部長刑事……「ロクでなし」たちの横顔が次々に並ぶ。

 「源次郎は競馬が開催されるたびに、かならずこれに参加した。あたかも、月給取りが会社へ勤務するのと同じように、一日として休むことなく、競馬場通いをつづけた。こうして資金もできる。「顔」も関係者の間に知られていった。そして、各競馬場に、おもな客をつねに十人くらいは招待していた。客は親分衆や名士がほとんどであった。京都に競馬があれば、関東から実業家、政治家、博徒の親分格の人を招待するのである。宿舎その他はすべて源次郎の負担で、接待は至れりつくせりであった。そして場所へ着くと昼間は、それら招待客の「玉」を一手に受け、夜は夜で酒盛り、芸者遊び、花札バクチ、翌日の八百長の打ち合わせなど、毎日同じことがくりかえされる。」

 このように「夜の一三レース」に血道を上げる連中は、一部特権階級のものだった戦前の競馬と密接に結び付いていた。だが、そんな彼らの世界は、急速に大衆化が進んだ戦後高度成長期の競馬にとって、排除すべき「陰の部分」となっていった。東京オリンピックを境にして、警察がマスメディアを動員し、博徒テキヤも何もかもいっしょくたに「暴力団」という看板の下に塗り込めようとし始める動きと、その排除のサイクルは同調している。それは、小難しく言えば、この大衆社会というものが、文化本来の持つふくらみを一律に干し上げてしまい、みずみずしい「祭」を現前させないようにしてゆく性格を持っているらしいことと深く関わっている。だが、ほんの少し前まで、競馬とはそのようなほんとに小さな「祭」だった。どんなにカッコつけたところで競馬なんて所詮「こんなもん」なのだ。その「こんなもん」であることをまず正面から認められなくなった競馬は、どこかで大文字の正義をふりかざし、もともとあった、イイ加減な生の醸し出すあのとっぱずれた自由からも遠のいてゆく。それは、別に競馬に限ったことではない。

 それにしても、このような「祭」がそこここで可能だった上州という場所が気になる。江戸にとっての上州は、京、大阪にとっての河内にあたるだろう。どちらも早い時期から市場経済の網の眼にからめとられた経験を持ち、ものや人の流れの中で「自分」を主張してゆく感覚を育み、「いい男」をたくさん生んだ。『群馬県遊民史』は、そんな上州の風土の中で育まれてきた「遊び人」たちについて書かれた研究書だ。
                  
 国定忠治や大前田栄五郎といった上州が生んだ素朴な英雄たちが、どのような社会の、どのような歴史から生まれてきたものか、著者は歴史家の眼で問い詰める。市場経済を後ろ盾に街道筋に出現した彼ら「遊び人」は、バクチ場からバクチ場へとわたり歩き、そのような「流れ」の中の生を他ならぬ自分のものとして獲得してゆく無数の人々によって、共に仰ぎ見るものとして共有されていった。浪花節や講談やドサ芝居、さらには映画や大衆小説にまで浸透することで、人々の間に沈殿し、記憶されていった彼ら「股旅もの」の英雄たち。さまざまな神話の彼方にある等身大の彼らに向かうことの困難にまで著者は手をのばし、資料を駆使してナマ身の英雄を描き出す。だが、それは神話に傷をつけ、偽りを暴くためにではない。僕たちが、そのような神話を共につむいでいった僕たち自身の意識の歴史に気づくために、だ。これから先、「祭」を立ち上がらせることのできる切り札を取り戻せるかどうかは、あの「ロクでなし」たちの軌跡をあらゆる神話を洗い落したところできちんと見つめておくことにかかっている。冗談ではない。書き止められもせず、気づきもされず、そのために学校で教えられもしなかった「歴史」は、まだまだ気の遠くなるような広がりで僕たちの足もとにうずくまっているのだ。