時代小説と歴史の関係について

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 歴史小説、時代小説と呼ばれるジャンルの表現が国民の大部分にとっての「歴史」意識を作り上げる上でどれだけとんでもない力を発揮したか。奇妙な話ですが、そのことについて「歴史」の専門家であるはずの歴史学者はもちろんよく理解していないし、と言って「小説」の方の専門家であるはずの文芸批評や文学史といった分野の人たちといえども、その働きの及んだ範囲についての全貌まではうまく見渡せていないようです。
 いや、それどころか、かつてそれら歴史小説や時代小説などが重要な娯楽のひとつとして存在できていた頃から比べれば、ますますその意義やかつて持っていた影響力の大きさなどは、そのような表現からあらかじめ隔離されたところで読み書きをせざるを得ない稼業のいわゆる知識人たちはもちろんのこと、それらを素朴な楽しみとして読んできたごく普通の読者たちからさえも遠いものとなり、忘れられてきています。

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 最近あちこちで話題になっている「自由主義史観」の問題も、ひとつにはそこにからんできます。「自由主義史観」とは、とにかく戦前の日本は悪いことをした、アジアを侵略した、といった歴史、とりわけ近現代史についてのこれまでの見方(「平和史観」あるいは「東京裁判史観」「自虐史観」とでも言いましょうか)に疑問を呈する立場の人たちが示し始めた、新しい歴史観のことです。
 この「自由主義史観」を提唱しているリーダーである藤岡信勝さんという教育学者は、司馬遼太郎歴史小説を読んで感動したと言っている。明治のナショナリズムの形成過程を語るその語り口が、自分がそれまで当たり前のものだと思い、教え込まれてきたいわゆる「平和史観」の近現代史のそれとは全く違っていた。違っているばかりでなく、はるかにリアルなものに感じられた。だから、自分たちの提唱している「自由主義史観」は「司馬史観」を根底に据えるべきだ、とまで言っているのです。
 この場の目的とは別なのでこの主張の中身の当否についてはひとまず棚上げしましょう。ただ、ここで言いたいことは、歴史小説や時代小説といったジャンルの表現とこれまで公式の権威を持ってきた学問なら学問といったジャンルの言説とがどのように棲みわけられてきて、そして今、その棲みわけがどのようになしくずしになってきているかについての、これは素朴な証言だということです。
 司馬遼太郎の小説を読んで感動したところで、その感動を自分の専門の学問の分野の仕事にどうつなげてゆくかなど普通は考えもしない、そのきれいな線引きがされているのがこれまでの「知識人」だったりしたわけですから、そのような「知識人」の情報環境の変貌を反映しているこの証言は貴重なものかも知れないわけです。なにしろ、これまでの考え方からすれば、これはフィクションとしての小説を、科学としての、そして学問としての歴史学が責任を持つべき歴史の水準と平然と混同してしまおう、ととんでもないことを言っているのですから。そして、この藤岡さんの主張を批判する論調というのも、おおむねこの「とんでもなさ」を槍玉にあげる態度に依拠しています。
 けれども、それでは実は批判になっていないのは言うまでもありません。なぜなら、歴史小説よりも歴史学の語る歴史の方がたとえば学校教育の場においては信頼され尊重されるべきものである、ということがはっきりと説得的にならないことには、この批判は成り立たないわけです。「そんなことは当たり前じゃないか」と眼を吊り上げて怒鳴ってみても、その「当たり前」をいきなり蹴倒しているのが藤岡さんの主張なのですから。(もっとも、ご当人がそのとんでもない意味についてどこまで自覚されているか、よくわからないところがあるのですが)
 「リアルだった」というのは言い換えれば「面白かった」ということでしょう。「興味を持てた」でもいいし「共感できた」でもいい。少なくとも司馬遼太郎の小説はそのような感情のレベルを動かされてしまうようなテキストであった、ということです。もっとも、そのことだけで教科書的な歴史の叙述がいきなり否定されていいのかというと、それはまた別の問題だろうと僕は思いますけれども。
 つまり、どちらにしても、歴史もまたひとつの“おはなし”だよね、ということについての前向きなあきらめがまだできていない。そのあきらめが共有された上で、ならばわれわれに共有されるべき“おはなし”としての歴史とはどのようなものか、ということについての議論も初めて可能になる。そして、学者や評論家やジャーナリストといった「知識人」たちの考えてきたのとは別に、これまでだって「歴史」とはそのような“おはなし”として人々の間に共有されてきていたのです。


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 たとえば、「新選組」です。
 多くの若い世代の日本人にとっての「新選組」のイメージには、すでにひとつの形式ができあがっています。新選組をそれ自体として描いた『新選組始末記』を始めとする作品はもちろんのこと、同じ幕末を舞台とした司馬遼太郎『龍馬がゆく』などでも欠かせない仇役として登場しています。もちろん、それら活字の作品だけでなく、映画やテレビドラマや劇画などさまざまなジャンルで、さまざまな脈絡において彼らは何度も語り直されてきている。近年ではつかこうへいが牧瀬里穂を擁して作り上げたヴァージョンに至るまで、僕などは鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』のトシちゃんとソウジくんとを思い出します。トシちゃんは間違いなく土方歳三。それに対して、ツッコミまくられるのが沖田総司新選組の人間関係をそのようにどんどんパロディにしてゆけるほどに、すでにある種のバイアスをかけたうえで(「やおい」的解釈の網の目のうちに)とらえ、「新選組」は別のものにされています。沖田総司が胸を病んだ美少年剣士で、土方歳三近藤勇とが彼をめぐる三角関係めいたものになっていて、でも、そういう「友情」や「信頼」とでもいったものが前提になってある「青春」としての物語が成立していて、といったあの“お約束”はいつ頃から、どのような経緯をたどって出来上がってきたものか。実はそのへんのことを真剣に考えた人はまだあまりいない。
 どだい、沖田総司が胸を病んでいた、ということからしてあやしいわけです。この「あやしい」というのは歴史的事実として疑わしいというのではなく、そのような要素に焦点が当てられた語られ方がされてきている、そのこと自体が考えるべきことである、という意味です。結核というのはどういうわけかロマンチックな病気だったらしくて、明治時代の書生の間には、どうせ死ぬなら口から絹糸のような血を吐いて死にたい、などというわけのわからない願望まであったそうです。けれども、いかに同じ結核を病んでいたといっても、幕末の青年沖田総司がまるでそのような近代ブンガク丸出しなインテリめいた悩み方をしていたかどうか。素朴に考えても眉つばものです。
 胸を病んでいたと言えば、浪曲などでも知られる『天保水滸伝』のヒーローの一人、平手造酒も同じような類型です。実は江戸の千葉道場で修業した遣い手で、といったあたりも似ています。もちろん、これはもっとていねいに探ってゆかねばならないのでしょうが、少なくとも沖田総司と平手造酒とがそのように読みなおされ、語りなおされてゆく間に、人々の想像力のパレットの上で溶かし合わされ、複合していったことは十分に考えられる。歴史的事実としてでなく、それらを読んでいった読者の側のある望ましい英雄像として、「胸を病んだ、孤独な腕達者」というイメージは作られていったはずなのです。


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 このような新選組のイメージ形成については、先に触れた子母澤寛の『新選組始末記』が大きな力になっていたことは間違いありません。初版は昭和初年。新選組を人々の意識の銀幕に輪郭確かな像として立ち上げてゆく過程で、紙の上に定着された活字メディアとしてはこれが最大の影響力を持っていた。それ以前はというと、せいぜいが口伝え。旅回りの講釈師や浪曲師がネタを聞き込んでまわり、“おはなし”にして寄席にかける。それを聴いた聴衆が勝手にまたイメージをこしらえて口頭で伝えてゆく。さまざまなメディアとさまざまな場のからみあいの中で、人々の想像力の中の最大公約数の「歴史」が作られてゆく。歴史とはそんなものでした。
 ちなみに、『新選組始末記』における沖田総司登場の場面はこんな具合です。古老の八木為三郎という人の思い出話という形になっている。この人は小さい頃、京都壬生の新選組屋敷近くに住んでいたという人です。

沖田総司は、二十歳になったばかり位で、私のところにいた人の中では一番若いのですが、丈の高い肩の張り上がった色の青黒い人でした。よく笑談をいっていて、殆ど真面目になっていることはなかったといってもいい位でした。酒は飲んだようですが、女遊びはしなかったようです。」

 これだけです。どこにも「美少年」などという記述はないし、その後もない。さらにあげれば、慶応四年五月三十日、千駄ヶ谷池橋尻際の植木屋平五郎の納屋で二十五歳で亡くなるその最期の場面もこんな具合です。
 死ぬ三日前、にわかに元気になって外へ出てみたいと言う。庭の梅の木の根方に黒い猫が一匹しゃがんでいる。そばにいたのは介抱役の婆さんひとり――。

「『ばアさん、見たことのない猫だ、嫌やな面をしている、この家のかな』と訊く、そうじゃアなさそうだと答えると、『刀を持って来て下さい、俺アあの猫を斬って見る』という。仕方がないから、納屋へ敷きつめの床の枕元に置いてある黒鞘の刀を持って来てやると、柄へ手をかけて、じりじり詰め寄って行く。もう二尺という時に、今まで知らぬ顔をしていたその猫が、軽くこっちをひょいと見返った。老婆が見ると、総司の唇は紫色になって、頬から眼のあたりが真紅に充血して、はアはア息をはずませている。総司は、『ばアさん、斬れない――ばアさん、斬れないよ』といった。それっきり、如何にもがっかりしたようにひょろひょろと納屋へ戻ってしまった。」

翌日また、「あの黒い猫は来てるか」と婆さんに尋ねる。猫がいる。総司が出てゆく。が、斬れない。そのままぐったり倒れてうつらうつらしていたが――

 「翌る日の昼頃眼を閉じたまま、『ばアさん、あの黒い猫は来てるだろうなア』といった。これが総司の最期の言葉であった。息を引取ったのは夕方である。」

 「黒い猫」が不吉な表象として使われているあたり、これ自体ひとつの“おはなし”の文法に乗ったものである可能性を十分に示唆しています。
 しかし、確認しておきますが、『新選組始末記』はほとんど民俗学の手続きにも親しい「聞き書き」によって書かれたものです。幕末を生きた古老たちに新聞記者だった子母澤寛が丹念に当時の話を聞いて回った、その素材をほとんど素材のまま、しかし微妙に工夫をこらした味つけで「小説」という器に盛りつけたのです。初版当時の読者たちはこれを明らかに「歴史」として読んだのだと、僕は判断しています。この総司の最期も、介抱役の婆さんが総司の姉婿の沖田林太郎夫婦に語った実話だと、子母澤寛は付け加えています。
 けれども、この「実話」という語られ方もまた鵜呑みにはできない。たとえば、三田村鳶魚の『大衆文芸評判記』という本があります。昭和の始め、当時新しい読者を獲得してブームになり始めていた歴史小説、時代小説のディテールに、江戸学の立場から「これは事実と違う」「こんなことは当時やっていない」とおたく的イチャモンを徹底的につけた実にけったいで面白い本です。この中で、子母澤寛もまたクソミソやっつけられている。「実話」という語り方に介在する“おはなし”の手癖がピンセットでつまみ上げられて解剖台の上に並べられています。
 胸を病んだ内面的でニヒルな男。影を背負ったヒーロー。なるほど、これはまるで戦後の劇画の主人公です。しかし、敢えて荒っぽく言えば、そんな面倒な内面など感じさせない、少なくともそんなことを第一義に要求しない、それこそが庶民の求める“おはなし”の中のヒーローの条件だったはずです。「個」に収斂してゆくような内面というよりも、むしろ貫禄や「情」に収斂してゆくような器量といった社会的役割の中での個性が重んじられていました。それが悲壮な顔つきでどんどん追い詰められてゆくヒーローへと変わってゆく。
 昭和初年から大きな力を持つようになっていった新国劇の演目のいくつかや、戦前のチャンバラ映画の傑作と言われる『雄呂血』の坂東妻三郎を思い出してもらってもいい。このような戦後の劇画に通じてゆくようなヒーローの類型は、この時期にすでに現われています。と同時に、それ以前にはまだあまり現われてこない。先の『新選組始末記』が登場して広く読まれるようになってゆくのもまさにこの同じ時期です。
 「新選組」の悲壮な最期への甘い同調の気分。それが人々の意識の中であるひとりの人物に収斂してゆくようになった。沖田総司というのはそういう意味で、昭和初年の時期に「新選組」の物語を受容していった人々の意識の中から抽出された、類型としてのヒーロー像に姿かたちを与えたものだったと言えるのかも知れません。集合名詞としての「新選組」がひとりのヒーローの姿かたちを取ったものが沖田総司である、と。そして、それを支えた読者の最大公約数というのは、大正初期の経済成長によって実現された「豊かさ」と“大正デモクラシー”と呼ばれるようなそれまでにはなかったような「自由」の野放図さの中で社会化していった「うっかりと内面を持ってしまった人たち」だった、と。
 それらは、戦後のアメリカナイゼーションと高度経済成長とをさらにくぐった後の「おたく」的心性と連続しながら、“おはなし”としての「歴史」の広大な流れを形づくってきています。あるいは、近年言われる「トンデモ本」の多くが「歴史」というもの言いへの傾きに規定されていることを考えてもらってもいいでしょう。そのような歴史小説、時代小説の流れは実は「トンデモ本」と極めて親しいものだったりもすることを認めることから、もう一度“おはなし”を健康に楽しむ訓練も始まるのだろうと僕は思っています。

*1:例によっての『別冊宝島』、確か「この時代小説を読め!」とかそういう企画の号だったと思う。ちょうど「新しい歴史教科書をつくる会」がらみの騒動が盛り上がり始めていて、他でもない当事者のひとりとして火事場に棺桶背負っておっちょこちょいにも飛び込んでいた頃のこと、「歴史」認識と「おはなし」≒フィクションとの関係について、民俗学者としての立場から一定の見解ははっきり出してもいたはずなのだが、例によって当然このへんのことはこの時も、そしてその後も折に触れて繰り返し立ち上がるこの手の「歴史」認識と「おはなし」≒フィクションとの関係をめぐるすったもんだの中で、省みられることはないままらしい。