喫茶店の小僧寿司

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 とある昼下がり、ぽっかり空き時間があ゛きたので例によって古本屋をひやかし、一服しに入った神保町の喫茶店での光景。

 大きめのテーブルの一方にふたりづれがいる。男の方は特徴のない銀縁メガネ。卵形の顔に腰のなさそうなヘナヘナの髪を右に流している。薄い水色のシャツ。女はというとこれも薄い黄色のブラウス。化粧っ気のない顔は紺野美沙子を思いっきり貧相にしたような感じだ。

 別に気にしていたわけでもないのだが、男の方の話が妙に耳にたつのでつい聞いてしまう。何を話しているのかというと、何やらガクモン周辺のお話。

「ボクなんかも論文の生産性を考えちゃいますからね。それにはいいネタがないと生産できないわけで、そのあたりの見極めがシビアなんで……」
「日常生活世界の自明性に依拠した立場ってのは……」
「シュッツなんてまだ英語としては読みやすい方で……」

なんてフレーズが断片的に耳に飛び込んでくるところからして、おそらくは社会学専攻の方々なのだろう。

 「論文の生産性」や「ネタ」というもの言いできれいにくるまれてゆく小僧寿司の身体 *2 というのは、これまでも腐るほど見てきたからよくわかる。にしても、どうやって「研究室」の制度を生き延びてゆくか、どうやって学者になって行くか、といったあたりの楽屋話が中心で、それはそれでいいのだが、そのような制度の中の事情を得意げに話すその調子には、てめェがみっともない存在であることはもちろん、世間からどのように見られているのか、といった部分についてさえきれいさっぱり無自覚なままであることが野放しに垂れ流され、聞き苦しいことおびただしい。

 男の方がペラペラと一方的にしゃべり続け、学部か修士課程あたりの後輩なのだろうか、女の方は真剣に眼を見つめながらその話を聞いている。こっちは今そこで買ってきたやくたいもない古本を開いて都合2時間近くも粘っていただろうか。店を出るその時もまだその2人は全く同じようにそこにして、男はまだ同じ調子でガクモンの楽屋話に余念がなかった。レジに向いながら女の表情をちらっと盗み見た。貧乏臭い上昇志向を偏差値神話とそれを前倒しにしただけの「学者」幻想にくるんでてめェを甘やかしっ放しの、学校のセン公の子女にいがちのひしゃげた夢見るようなツラしてやがった。

 ああ、「社会学」って確か「社会」についての学問のはず、だよなぁ。こういうツラとこういう語りとこういう身ぶりとで、何ひとつ説得力ないことばと声とで云々される「日常生活世界」って、なんなんだろう。わからん、わからんぞ。

*1:『俄』051 「前線からの1,200字」欄掲載 「天野 梓」名義

*2: これは説明が必要だろう。「小僧寿し」(正確には「し」だった)という持ち帰り寿司のチェーンが当時流行っていて、その商標のゲタ履き小僧のたたずまいが、当時の大学院の「研究室」やそれに基づく「学会」制度に自ら好んでハマってゆくことに血道をあげる「入院」患者連中の卑屈で卑怯でこすっからい上目遣いのお追従笑いの世渡り身ぶりの比喩として、仲間うちで使われていた次第。「小僧寿しやってんじゃねぇぞ(笑)」とかそういう感じで。