●
別に大学に限ったことではないが、学校を運営してゆくさまざまな仕事の中で、教師と事務との関係というは常に微妙な緊張をはらんでいる。
他でもない僕自身が教師の立場にあるから、ここらへんあまり棚に上がったもの言いもできないのだが、それでもその緊張をはらんだ関係というのは興味深いなあ、と思うことはこれまでにも何回かあった。
たとえば、非常勤で予備校の講師をやっていた頃、テキストの作成や模試の成績提出などで一緒に仕事をせねばならなくなった事務の人間たちの、僕個人というよりも類としての「教師」に対する世界観の輪郭がバレてしまった時などがそうだった。「教師」とは事務仕事の実務においては世間知らずの社会不適応に過ぎない、というその世界観の前に、何か「世間」の視線の前に丸裸で立たされたようで、正直、僕はショックを受けた。
誤解のないように言い添えるが、事務の「教師」に対するそんな世界観はおそらくその世界観が形成されてくるのも無理ないだけのとんでもない経験が蓄積された上でのことだし、棚上がりして言えば圧倒的に正当だと思う。そのような世界観から発される視線は、学校という閉じた場所の中で数少ない有効な「世間」であり「他者」であり得るようなものだとさえ思う。
だが一方でそれは、「先生」だの「お原稿」だのという空虚なもの言いをちりばめながら無遠慮に距離を詰めてこようとする、未だ文字の“教養”が無条件に至高のものである時期のパラダイムの中に生き続けるある種の書籍編集者たちにいきなり直面した時のあの困惑するしかない“いやな感じ”に近いものもまた感じさせる、そんな面もある。
●●
最近、こんなことがあった。
こんなもん隠し立ってしようがないからはっきり言おう。僕の勤務先の大学のことだ。
ある男子学生がいた。四年生だった。いわゆる優等生ではなかったけれども、大学へ入るまでに二浪していたせいもあるのか、まわりの学生に比べてひとまわり世慣れた感じで、また今どきの大学の講義の要求する程度の学力は良い意味での「要領の良さ」でクリアできる、そんな男だった。ゼミではリーダーシップを発揮して、見かけ以上に海千山千の多い女子学生たちもうまく統轄していた。町のクラブでサッカーもやっていて、休日には流学生たちも引き連れてボールを蹴っ飛ばしていると聞いた。
ちょっとナイーブな学生ならばさまざまに屈託することの多い昨今の就職活動も、ドライに割り切ってマメにやっていた。数少ない先輩のつてをたぐって金融と商社とを軒並み受けて回り、どこでもその世慣れた感じが買われたのだろう、某都市銀行に就職することも決めてきていた。秋ぐらいからは、数年つきあっているという短大出の彼女との結婚も具体的に考え始めているらしく、暇な時など研究室にやってきてあれこれ話をし、「まあ、これでちょっとは落ち着くことになりますよ」と少し照れ気味に頭をかく感じが、なかなか微笑ましい印象だったりもした。
そんな彼が二月になっていきなり、君は卒業できない、と事務から言い渡された。さすがの彼も、突然のことに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたらしい。
事情をかいつまんで言うとこういうことだという。
四月、新年度の科目登録の書類を事務に提出する時、四年次以上の額面上卒業年次に達した学生たちは、当然自分が卒業するに足りるだけの単位数を計算して登録する。そして、その年に卒業して就職しようと思っている学生は、科目登録に続いて訪れる五月からの就職活動シーズンに企業回りをするために、卒業見込証明書というのを学校から出してもらう必要がある。
もちろん、就職協定というものが一応存在するからこの時期の就職活動は協定違反ということになるのだが、そんなものは有名無実であることは自衛隊が軍隊であるのと同じくらい公然の秘密。公式には杓子定規な就職協定の遵守を言う大学側からしてこの時期に日付を操作した卒業見込証明書を大量に発行するのだから、そんなこんなの「現実」の前に誰もそういう「手続き」を疑おうとするものはいない。
で、その場合、これは他の大学でもおおむねそうだと思うが、そのように卒業見込証明書を申請してきた学生の獲得単位数が実際にその年に卒業するに足りるだけ獲得されているか、あるいは、その学生がその年に卒業するのに四月に登録した科目の単位数で足りているか、といった要件について、事務は何らかのかたちでチェックすることになる。それに今どきのこと、科目登録関係の資料などはコンピューターに打ち込んであるのが普通だから、そのチェックも事務処理としてはそうそう面倒なことでもなくなっている。何百人何千人といる四年生(あるいはそれ以上)の学生の獲得単位などをいちいちチェックするのは厖大な労力が必要だし、何よりそんな単位関係のことは学生の自己管理が大原則ではあるけれども、しかし一方で、大学の事務というのはそのような手当の作業を毎年こなしてゆくものという側面は厳然として存在する。学生と直接に対面する窓口に立ってきた私大のベテランのオバちゃん事務員などには、そんな不条理な大学事務の側面にかかる水圧を長年の手練手管でかわしてゆく達人級の人物がいたりする。何にせよ、少なくとも理屈としてはそのような手続きをくぐった後に、大学はその学生がその年に卒業する可能性がある、卒業見込である、ということを証明する書類を出せることになるわけで、なんでもかんでも卒業見込証明書を欲しがる学生に対して公文書を作ってばらまいているわけではないことは、理の当然である。
その彼が二月になって、卒業できない、と言われたのは、四月に提出する科目登録書類に不備があることが発見されたからだった。どのような不備かというと、自分が卒業するための単位数を勘違いしていて、実際に必要な単位数より四単位、つまり一科目分足らないかたちで科目登録をしてしまっていたのだ。
もちろん、世慣れたところのある彼のこと、そんなボーンヘッドを見逃したまま一年近くも過ごしているわけがない。五月頃すでに自分のミスに気づいて、こりゃいかん、とばかりに足らない分の一科目分は自分の所属学科の顔見知りの教員の講義に出席し始め、前期試験も学年末試験も共にクリア、二月までに単位数だけは規定通りに揃えてはいた。ところが事務の方で、四月の科目登録書類に記載されていない科目については、いくら出席をし試験を受け教員の方が及第の評価を出しても、教務担当の事務としては単位認定できないということを規則をタテに主張したから、彼は卒業できないことになってしまったというわけだ。
就職は決まっている。一流の都市銀行である。彼自身二浪でもある。理由は何であれここで留年すれば次の年には年齢制限にもひっかかって、就職に支障が出てきかねない。あれは明大だったか、数年前、学生たちのあまりの成績の悪さに頭にきた教員が卒業年次生に対しても大量に「不可」をつけ、当人どころか親までノコノコ出てくる大騒ぎになった馬鹿な事件があったけれども、同じような醜態や愁嘆場が引き起こされても不思議のない状況ではある。しかも、彼の場合は単純な書類上の手続きミスであり、別に成績が悪いとかサボっていたということではない。
それでも彼は、卒業単位の計算ミスは自分の責任だし、四月の科目登録書類に記載していない科目はその後いくら点数がクリアしても単位認定できないというのが事務の規則ならばそれはそれで仕方ない、と腹をくくっていた。開き直り、というにはそれは野太い印象だった。と言って、自信、というほど単純でもない。どんな悪条件になっても自分は腐ったりしないで前向きにやっていける、というふてぶてしさに近いものすら感じた。それは確かに、お、こいついい若い衆だな、とほめてやるに足る充分に好ましいものだった。
けれども、と彼は冷静に考えた。四月の科目登録書類に記載された科目通りでは今年卒業できないのが明らかになっている状態でありながら、五月なり六月なりの時点で卒業見込証明書を公式に出しているという点についてはどうにも納得がいかない。だから、そのことについて大学側はスジの通る説明をして欲しい、という要望書をいかにも世慣れた彼らしい調子の整った文章にして提出した。
事態は一気に紛糾した。困ったことに、調べてみると彼以外にも何人か同じような学生がいることまでわかってしまった。卒業見込であることを「証明」した書類を出した根拠について問われた事務は、困惑したのか教授会に尻拭いを持ち込んだ。自分に関係のないことはその場にいても何も聞こえない世にも稀な耳を持つ大学の教員たちのこと、ここは「教授会の方針で」というお墨付き一発で責任回避しようという作戦らしかった。
あれこれの経緯ははぶいて結論だけ言うと、事務のミスとそれを学生から問い詰められた困惑を教授会の執行部が一手にひっかぶることで、彼と彼同様の立場に置かれた学生たちは額面通りに留年することになった。
事務という、学校の場の教師にとってもしかしたら豊かな他者であり世間でもあり得るような存在が世界観としてもっている類としての「教師」像は、時にこのようなかたちで最も悪い意味での抑圧装置として使い回されることもある。世間知らずで無責任で事務の実務は何ひとつまともにできない社会不適応者であることを、全くそのままにしておいてそのどうしようもなさを利用しようという知恵。大学というこれもひとつの学校である場での経験として、この一件、皮肉ではなくちょっと忘れられないものになりそうだ。