学校という依代

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 今からちょうど百年ばかり前、この国の、とある小さな町の中学校の教員の書き残した日記に、次のようなエピソードが記されている。

 彼の受け持ちのクラスに横木という少年がいた。大工のせがれで、両親には彼を中学へあげるだけの余裕がなかったが、小学校時代から才能をあらわしていた彼を見込んで、ある資産家が学費を出してやろうと申し出てくれた。秀才だった。だが、勉強のしすぎで身
体をこわし、生死の境をさまようことになった。その瀕死の床で、「おまえ、何かこうしてみたいということがあるかい?」という両親や友人たちのことばに、彼は「ああ、ぼくは学校に行きたいなあ、学校がみたいなあ」と答えた。月のない寒い夜だった。綿入れのドテラを着せてもらった彼を房市という寄宿先の下男がおぶい、ちょうちんをさげた父親が付き添って、三人は学校へ向かった。

 「灰色の大きな校舎は、夜だから、見てもまっ黒であったが、横木にはそれが見えた。かれは自分の組の教室の窓を眺め、楽しかったこの四年間、毎朝そこで音のしない草履に下駄を履きかえた、屋根のある生徒昇降口を眺め、小使いの寝ている小使い部屋を眺め、星空に黒く、小さな塔にかかっている鐘の影を眺めやった。横木は、その時、低い声でささやくように言った。――『こうしていると、なにもかも思い出せるよ。ぼくは忘れていたんだ。それほど、病気はひどかったんだなあ。なにもかも思い出せる。房市、おまえは親切だな。ぼくは、学校がもういちど見られたんで、とてもうれしいよ。』」

 半月あまり後、彼はついに帰らぬ人となった。「こんにちの出雲の学生たちが、米の飯と豆腐を食いながら身につけなければならない近代知識というものは、高価な肉食を食って鍛えられた頭脳によって発見され、発達し、綜合されたものだ、ということを思いおこしてみなければならない」と嘆じたこのギリシア生まれでイギリス国籍を持つラフカディオ・ハーンという名の教員は、こう続けている。

「現在のところは、この新しい過労のために、若い肉体と若い頭脳の倒れるものが、あまりにも多い現状である。しかも、倒れるのは鈍物ではなくて、むしろ、一校の花形、級中の秀才連中なのである。」

 もちろん、当時の中学生そのものが、同世代の人間の中でよりすぐられた存在であったことは考慮しなければならない。にしても、近代の学校というのが、ある種の人間にとってここまで切実な想いをまつわらせる依代にすらなっていたことの意味を、今ではもう誰も正面から引き受けようとはしないのは、いったいなぜなのだろう。

 いつの頃からか、この国では、学校とはくだらないもの、教師はタチの悪いもの、校則は守らなくてもいいもの、ということになってしまった。学校まわりのさまざまなことをそのようにひとくくりにあげつらうもの言いだけはすでにあらゆるヴァリエーションが取
りそろえられていて、好みに応じて、あるいは都合次第で、どのような批判もこと学校まわりに関しては自由自在、何を言っても構わないかのような傍若無人ぶりだ。

 大学に入ってくる新入生の中にも、そんなもの言いをたっぷりと身につけてきた学生は珍しくない。刺激に敏感で、身体も動き、ひとまず知識欲の旺盛な学生ほどそうだ。いわく「今の教育のあり方は生徒の独創性の芽を摘むものだ」。いわく「知識を詰め込むばかりで、個性を伸ばせない教育はいけない」。いわく「校則で縛りつけるだけの管理教育による犠牲者がたくさんいる」。教室で、喫茶店で、あるいはレポート用紙の上で、彼らは小さな英雄の顔つきでこう語る。なるほど「正論」だ。彼らのその「正論」の前では現在の学校制度はすべて悪となり、学校に通わないこと、教師に反抗することはそのまま、まるで理不尽な独裁政治への抵抗運動のような輝かしさを獲得してゆく。そういう雰囲気の中では、登校拒否をする生徒は常に「普通の生徒」より繊細な、より正常な感覚をもった人間であって、今の学校にそれなりに適応して通っているその他おおぜいの生徒は鈍感で凡庸であるかのような本末転倒すらまかり通り、親はもちろん時には教師までもが殴り書きの“自由”のにじむ小旗をその本末転倒に振りたてる。暮らしの全域を覆い尽くしたサブカルチュアはその雰囲気を吸い上げ、大した切実さもないままにその本末転倒の身ぶりだけがいくらでも増幅されて、誰もが気分だけの英雄になれる。そうして「学校」はますます「牢獄」でしかなくなってゆく。

 そんな雰囲気を呼吸しながら大学までたどりついた小さな英雄たちに、僕はこう言う。

 たかだか三年間、それも一日ほんの数時間ずつで、なおかつ夏休みを含めた長期休暇付きという、少なくともこの国で大人になったら最後、まず考えられないような恵まれた条件で、なんとかうまく周囲と折り合いをつけてやり過ごす知恵も技術も宿らないようじゃ、
大人になってから何もできやしない。時間を切り売りして給料もらう身になったら、それこそ体力勝負の課長やら、愚痴をこぼすのが趣味の係長やらと一日の大半を過ごすことになる。組織の歯車にはならないって? いい心意気だ。だが、だったらなおのこと大変だ。いい加減な仕事をしてるように見えるもの書きでさえ、仕事をもらうためにはそれなりに人間関係を回していかなきゃならない。まして、世間の“フリー”など常に失業と裏表。さらにその先、結婚して家庭を持ったりすれば、ごく限られた相手との濃密な関係を数十年に渡ってつむいでゆくのだ。世間なんてそんなもの、逃げようと思っても逃げられない、逃げちゃいけない関係だってある。その“そんなもの”の予行演習の場である学校から、いきなり逃げ出しちまうことしか考えないようじゃ、この先、世間にひしめくそれこそミもフタもなくいろいろな人間たちと、どんな関係も育てられやしないんでないかい?

 だが、うまくは通じない。百年前ほどではないにせよいずれ「一校の花形、級中の秀才」のはずの彼らは、そのまま大学院や研究所、あるいはメディア関係のいわゆる“ギョーカイ”といった、学校で身につけた「正論」のフォーマットがなるべくそのままで通じる場所に身を置くことを望む。しかしだからと言って、自分がそれまで学校をうまくやりすごしてきたことと能力一杯のところで対峙しようとはしない。勉強で倒れもせず、といって、世間に対する能力に応じた責任も感じないままのこの小さな英雄たちは、なにせ当事者としてくぐってきたはずのいじめの場の体験すら、まだきちんとことばにしていないのだ。

*1:朝日ジャーナル』連載、「書生の本領」原稿。