死んでこい、という非情

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 今年の正月のことだ。家の者も出かけてしまい、これ幸いとひとり寝正月を決め込んでいた昼下がり、突然、玄関のチャイムが鳴った。寝巻姿で出てみると、きちんとダブルのスーツを着込んだいい若い衆が、ちょっと照れ臭そうな笑顔で、頭をかきかき立っていた。一瞬、誰だかわからなかった。が、すぐに記憶がよみがえった。去年、ある雑誌の取材で陸上自衛隊体験入隊させてもらった時、係としてなにかと身のまわりの面倒を見てくれたT士長だった。年末、形ばかりの歳暮を贈っていた。その礼をかねて、せっかくの休暇の一日を潰し、わざわざ年始に尋ねて来てくれたのだという。

 彼は、習志野第一空挺団に所属している。陸自の中でも最精鋭と言われる空挺部隊だ。日航機の墜落事故の時に御巣鷹山で事故処理に当たった部隊、と言えばおわかりだろうか。そこにわずか三日間とは言え、実際に身を置かせてもらった。

 この仕事ではいろいろな問いが残った。が、その多くに僕は未だ答えを見つけていない。

 たとえば、こういうことがあった。僕の大学の所属学科には、留学生が三分の二在籍している。取材で自衛隊に行くことになったことを教室で話すと、日本人の学生が露骨に困った顔をするのに対し、韓国や台湾といった国からやってきた留学生たちの多くは、なん
とも言えない微笑を浮かべた。その微笑には間違いなくある種の親しみが込められていた。中には、「あぁ、先生、それはいいことです。男は一度兵隊に行かなければ一人前ではありません。クウテイ? ああ、パラシュートですか。いいですねぇ、軍隊にいる時、私もやったことありますよ」とニコニコして肩を叩いてくる学生もいた。 

 「考えてみたら、日本人の学生は兵隊に行ってないんですよね」

 そう尋ねてきたのは、韓国から来ていたある女の学生だった。

「そう考えると、なんだか変な感じしますね。私たち、男はみんな兵隊に行っているものだと思ってましたから」

 国会ではPKOが云々されている。さまざまな意見、さまざまな立場が入り乱れ、メディアの舞台も賑やかだ。ただ、それらの喧噪とは全く別のところで、自衛隊の抱えた現実がことばにされていない、といういらだちが僕にはある。難しいこっちゃない。自民党
社会党でも共産党でも社民連でも、いや、議員さんだけではない、そこらの理屈好きな市民運動方面の方々でもいい。一度自衛隊の営内に身を運び、実際にその眼で見ればいい。広報課に申し込めば、今の自衛隊はできるだけの配慮をしてくれるはずだ。彼らがどれだけ老朽化した施設と、まずい食いものと、この国のさまざまな葛藤の中に日々過ごしているのかを、少しは眼前の事実として眼の当たりにすればいい。断わっておくが、僕はいわゆる右翼でも左翼でもない。足腰だけが頼りの民俗学者、そんな大層な思想的立場などあるもんか。この国にはそういう仕事の現場もある、という、ただそれだけの話だ。

 たとえどのような契機でそこに身を置くことになったにせよ、自衛隊とは、まごうかたなく彼らにとっての仕事の場である。その仕事がまず憲法で認められていず、それでなお国境を越えて外国まで出かけ、直接にこの国のためでなく、ひとまず漠然としたものでしかない“国連”という大義名分のために死んでこいというのは、素朴に考えてあまりに情のない話だ。もしも負傷者や死者が出たとして、この国の人間の多くがその彼らの犠牲に本当に感謝するだろうか。おまえら感謝されないだろうが死んでこい、とだけ言う、その感覚が僕にはまるで信じられない。平和憲法? いや、そんな大層な話じゃない。そんな大文字よりはるか以前、彼らこの国のいい若い衆にロクなメシも食わせず、充分な道具も施設も与えず、仕事がどういうものかもはっきりさせず、それどころか、仕事そのものとして認めず、それでも数十万人がそこを仕事の場とし続けていることをずっとことばにせずなかったことにしたままなんて、こんなむごい“差別”ってありかよ、とまず思うのだ。

 去年の湾岸の一件で、イラクに囚われた日本人ビジネスマンの家族たちが、日本の大使館は何もしてくれなかった、イギリスや他の国の大使館の方が私たちに親切だった、としきりに訴えていた。なるほど、そうかも知れない。だが、さすが帝国主義の伝統の長い国は土人の手なづけ方を知ってるなぁ、という感想だってある。あの家族たちの被害者感覚は、次の瞬間「在外邦人を保護するため」という大義名分での海外派兵を平然と支持するだろう。そして、これは偏見と言われても構わないが、その場合の「在外邦人」とは「会社」の金看板を背負って国境を超えた人々のことであって、裸一貫で余儀なく国境を超えた、超えざるを得なかった人々のことではない。そういう国境の超え方は今もいくらだってあるし、そっちが大部分かも知れないとさえ思う。だが、そういう「国際化」の現実はこれまたなかったことにされたまま。あの家族たちには「会社」以外、眼中にない。「在外邦人」の内実を平然とある偏りに依拠させて恥じないその「市民」感覚に、僕は隠微な“差別”の気配を嗅ぐ。国境を超える、ということが未だどれだけリスクを負うことなのか想像力がなさすぎるという前提は、今のこの国の一般情勢としてあるにせよ、だ。

 それでも、これから先、事態がそうなれば自衛隊は「在外邦人」を守るだろう。海を越え、命を賭けて守るだろう。それが彼らの“仕事”であり、彼らはこの時代なお、そのように日々訓練をしているからだ。そのことをひとまず僕は信じる。しかし、その“仕事”によって守るものが、ああいう「市民」ヅラの商社マンやその家族や、つまりは「会社」の枠に身を置くものだけという“差別”を前提にした「在外邦人」ならば、おいTくん、いくら“仕事”だって命の捨てどころはもっと別にあるぜ、と、僕は本気で意見する。

 その日、T士長は夜遅くまで遊んで行った。この春、「士」としての三年の任期の終わる彼は、除隊せずこの先も自衛官をやってゆくことを決め、「曹」になるための訓練課程に半年間入るのだ、と言っていた。自衛官は、この先もずっと彼の仕事なのだ。

「桜が散る頃には、出てこれるって言われてるんスよ」

 彼らもまたこの時代、この国に生きている。そのことをきれいさっぱり忘れるようなうわずり方のまま、ものを言ったり書いたりする人間に、僕は絶対なりたくない。多少は文字を扱い、世間の人よりは静かにものを考えることくらいしかこの先世間の役に立つ余地
のなさそうな僕が、ささやかながら望んでいることと言えば、たとえばそういうことだ。

*1:朝日ジャーナル』連載、「書生の本領」原稿。