若き民俗学徒からの手紙

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 大学生になってからの3年間、自分の中で、眼前の「民俗学」に対する何らかの不信の思いは、どうにも払拭される気配がないままでした。


 その間、例の「市町村史編纂」の長さにもだいぶ身を染めまして、一応は「聞き書き」に励みながら、地元側から「こっちは忙しいのに、つきあってるヒマはない」程度の苦情がいつ来たって不思議はないだろうに、と常に考えてもいた訳です。しかし、幸か不幸か、そうした声はついにあがらず、代わりに、「調査」に出向いた我々は常に「大変ですねぇ」等との「親切な」声に迎えられ、お茶やお菓子をご馳走になって話者の「ご厚情に浴し」て帰ってくる、そういう機会が圧倒的でありました。「そんな筈はない、これが本当な訳はないんだが」と、常に自問自答はあったのですが、しかし、こうしたぬるま湯の中で「民俗学」に関係していると、いつも自分を、そして常識を見失いそうになる危険と背中合わせです。感性も鈍ればものも考えられなくなる、その一方の様でした。


 こんなこと調べて何になるのだろうか、調査で得た資料を地元の人々に「還元」することが大切だって言ったって、一体どこの誰がこんな「資料」とやらを必要としているのだろうか。「民俗学」を根本から見つめ直そうとする近年の幾多の論考を目にしながら「やっぱりそうだよなぁ」」と一人で勝手に賛同し、しかし一方で、依然としてある「“権威ある”民俗学」の姿だか幻像だかが、どうしても重荷ではありました。


 とにかく大学へ入って驚いたのは、何と言っても「“権威ある”民俗学」という「奢り」(本当に「奢り」なのでシャレにならない)に浸りきって動いている具体的な「先輩」の姿が現実に、本当にこの世に存在することをこの目で確かめたことでした。別の見方をすれば、これが大学で「民俗学」に携わった最大の「収穫」であった、とも思います。

 他でもない、とある若き民俗学徒から舞い込んだ手紙の一節である。本当は去年の秋に書かれたものだが、卒論を書いているという彼に迷惑がかかわるといけないので紹介を控えていた。もう卒業したはずだから解禁してもいいだろう。

 筑波大学民俗学コースに在籍して目の当たりにした頽廃、混乱、惨状について本当に困惑している姿が目の当たり見えるような切々たる調子は、なるほど誠実であればあるほど苦悩せざるを得ない今の講壇民俗学の断末魔を繫栄している。まともに考えりゃ誰でもこうなるよな。

 上田正樹ばりに肩叩いて励ますのがまずは一番の妙薬。そやそや、シンパイスナ、アンシンスナ。

*1:『俄』062 「前線からの1,200字」欄掲載