野放しの「趣味」のたよりなさ――尾崎豊「一周忌」、その他

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 先日、尾崎豊の一周忌にあたってさまざまな催しがあったらしい。お定まりの追悼集会はもちろん、酩酊状態で素っ裸の彼が庭先で倒れた民家にまでファンが押しかけたというし、墓地は墓地で今や半ば名所化しているという。

 ただ、自称ファン、あるいはその他ご贔屓方面には申し訳ないが、尾崎豊について僕はあまり同情的になれない。かつての『ヒストリーズラン』に象徴されるような、八〇年代にいきなりタガを外された「若者」のあまりに性急な立場表明の記憶を自分の内側で相対化できずにそのまま焼き切れてしまった、そんな印象なのだ。歌そのものについてもある切実さを抱えているのは認めるがそれ以上ではない。ありていに言って、ポスト高度経済成長期に生まれ育った過保護な中産階級子弟の、未だ不定形な自意識の垂れ流しという評価に落ち着いてしまう。では、そのような表現がなぜ、たとえ一瞬にせよあれだけの「量」を稼ぎ、ある幻想の依代になることができたのだろうか、という現象面からの関心は充分にあるけれども、だ。

 だが、今、ある「量」を伴って流通する音楽についてこういう何らかの立場に拠った「評価」を明確に表明するもの言いをすると、結構あれやこれやの厄介が立ち上がる。それは、政治的立場や思想的信条を固有名詞の責任と共に表明することとはまた少し違った質の難儀を引き寄せる。

 政治にせよ思想にせよ、そのようないずれ大文字の「社会」に収斂してゆくような領域でならば、どんな立場表明をし、どんなもの言いをしてもそれに対する反応としてどんな方向からどんなものが飛んでくるかはおおむね予測できる。逆に言えば、たとえことばの上ではどんな「暴論」に見えたとしても、そしてまたそのことで反論糾弾雨あられ泥仕合になったとしても、それが大文字の「社会」にまつわるモティーフを持つものである限り、いずれある一定の幅に収まってしまい、異なる立場に依拠した議論の愉快につながってゆかないということでもある。


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 確かに、新聞や雑誌、あるいはテレビなども含めていい、そのようなメディアの舞台でどんな「問題」が立ち上がっても、そこから僕たちそれぞれの日常に突き刺さってくるようなことばが生み出されなくなって久しい。「問題」は「問題」の範囲で必ず丸められ、みるみる失速し、そして初発のみずみずしささえ忘れてゆく。八〇年代をくぐったこの国のメディアの身食いのさまは、今やその程度にはすさまじいものだ。そのような意味で、今のこの国のメディアの舞台に関する限り、ごくごく世俗化した鈍い気おくれ程度のものはあっても、ある強固な共同性を背景にした冒し難いタブーなどもうどこにもあるもんか、とさえ思う。

 だが、そこからずれた場所、つまり音楽であれ映画であれ何であれ、それら大文字の「社会」からは一応“それ以外”とされた領域でのもの言いについては、少しばかり様子が違う。たとえごく個人的な印象や感想程度のものであっても、ひとたび表明されたが最後、予期できない反応がいくらでも喚起されてゆき、意外な速度でこちらから見えにくい部分にまで広がっていったりする。最も個的な、まさに言葉本来の意味で「人それぞれ」の部分であるはずの「好み」や「嗜好」、ないしは「趣味」の領域に抵触するようなもの言いこそが、今や最も鋭敏で深刻な反応を喚起する。なまじの「社会」的もの言いなどより、それは書き手によほど緊張を要求するものだったりする。


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 それは文字の立場に足つけた「評論」が成立しなくなっている分野ほど深刻だ。とりわけ音楽。音楽の「評価」について下手に発言するとどれだけキチガイじみた反応が起こるか、多少この道でメシを食ったもの書きや編集者なら誰しも経験しているはずだ。

 少し前、『クレア』誌上でやっているナンシー関との連載対談でドリームズ・カム・トゥルーをまな板に乗せたところ、それまでロクに反応もなかったのがその時ばかりはドッと読者からの手紙が殺到して編集部が面喰ったことがあった。記事の内容は、あっという間に三〇〇万枚を越える売り上げを達成した商品としての彼らの流通のあり方にそれぞれの立場から違和感を表明するといったものだったのだが、どれだけこちらが彼らの音楽を理解していないかについて綿々と能書き垂れるものや、妄想としか思えない筆致で懇切丁寧に歌詞の意味を読み解いてくれたものなど、何にせよ相当にエネルギーだけは費やしたんだろうなぁ、というものが結構あった。さらにご丁寧にも彼らの所属事務所の方からもクレームがつき、その後別の企画で彼らの写真が必要になった時に編集部が貸してもらえないというおまけまでついた。三〇〇万という、文字にすれば日刊紙並みの「量」で流通するようになった商品を扱いながら、どんな毀誉褒貶もないままでいられると思っていたのだとしたら、あるいはそうありたいと本気で思っているのだとしたら、その欲望の脳天気さってのは凄いもんだな、と僕などはつくづく感心してしまう。

 「社会」と連絡し、脈絡をつけてゆくことばの場が磨耗したまま野放しにされた「趣味」の領域。それが「社会」にまつわるもの言いを宙に浮かせ、切実な「問題」を化石にしてゆく。ファンってのはそういうもんさ、というしたり顔でやり過ごしてしまうには、そこに示されたことばやもの言いの妙な熱っぽさ、ピッチのずれ具合はどこかひっかかるものだった。


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 たとえば、尾崎豊がああいう顛末で不慮の死を遂げた後、彼がらみの本が本当にひと山いくらのずさんさで乱発された。けれども僕の見た限り、文字の表現を介した「評価」としてある突出した水準を示したものはなかった。 もちろん、斟酌すべき事情はいくらもある。ブームに乗ってまさに先の読者の手紙レベルのもの言いでもまとめて一発儲けてやろう、という企画のあり方の問題もある。さらに、いくら人気ミュージシャンとは言え、文字の水準ではもともとその程度の市場しかなかったのかも知れない。にしても、同時代の人間にロクな語られ方もされない、させられないような表現は、やはりたかだかその程度のものなのだ、と僕は思う。それは個人の思い入れの深さや熱さといった水準の問題に全てすりかえてしまっていいものではない。

 美空ひばり竹中労の『美空ひばり』を引き出した。矢沢永吉糸井重里の手による『成り上がり』というモニュメントを残した。同時代の厖大な社会的意識を吸い上げ、ある変形を施して再び社会へと投げ返すノズルとなるべき彼ら「その他おおぜい」の時代の司祭たちの貫禄を決定するものが、しかし最終的にはやはり文字の語りである限り、尾崎豊という存在はたかだかそんな電圧の低い語りしか残せないようなものだった、という評価を今のところきちんとしておくべきだ。そうじゃない、と言いたいのなら、ちゃんと「社会」と脈絡つけることばを鍛えてゆっくり提示するくらいの手間ひまをかけたってバチは当たらない。それがなければ、そう、あんたらの大好きなあの「伝説」ってもの言いも、絶対に時代を越えてゆきはしないのだから。

 だが、今やその「趣味」に呪縛された不自由は「若者」だけの問題ではない。尾崎の死後にファンになったというオバさんたちが、最近では結構いるのだという。 僕が目撃したのはテレビのニュース番組の一部だったけれども、確かにその映像は異様だった。カセットで尾崎の歌に聞き入る中年女性。追悼集会だかに喜々として参列する数人の主婦とおぼしきオバさんたち。尾崎のあの表現にあそこまで足とられるようなたわいもなさが、どうして今、四十代五十代の、世間的にはオバさんと呼んでいい大人の女性たちの間にぽっかり口あけているのか。繰り返すが、尾崎の表現がそこまで世代を超えた普遍性を持っていた、なんて説明では全く不充分だ。子育てと夫の世話から解放された主婦たちが忘れていた素直な心を思い出した、なんてもの言いはなおさら届かない。説明のつかないものをじっと見つめられるのが文字の知性の才能だとしたら、あの異様さの根にあるものをこそ、つぶさにことばにしようとしなければならないはずだ。

 時間があればゆっくり話を聞いてみたい。当人だけでなくダンナや子供にも。僕の尾崎に対する評価はこれから先もおそらく大きくは変わらないと思うけれども、そういう「評価」とは別の、言わば「趣味」で短絡する感応の共同性のようなものが文字の速度と違うところにあってしまうのだとしたら、その茫漠さ、たよりなさこそを僕は問題にしたい。そう言えば彼女たち、映像で見る限りみな一様にふわふわしてて、どこか綿菓子みたいな印象だった。

*1:『宝島30』版「書生の本領」2回目