「教育」はいかに語られてきたか

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 編集部のOさんからドカッと眼の前に積み上げられた、いずれ「教育」や「学校」にまつわる本はここ十年の間に出された都合一〇冊。具体的には以下のようなものだった。とりあえず初版刊行年代順に並べてみる。

林竹二『教育亡国』(筑摩書房 一九八三年)
小浜逸郎『学校の現象学のために』(大和書房 一九八五年)
諏訪哲二『反動的!――学校、この民主主義パラダイス――』
(JICC出版局 一九九〇年)
河原 巧『学校はなぜ変わらないか』(JICC出版局 一九九一年)
佐藤通雅『学校はどうなるのか』(学芸書林 一九九一年)
佐々木賢『怠学の研究――新資格社会と若者たち――』(三一書房 一九九一年)
夏木 智『誰が学校を殺したか』(JICC出版局 一九九二年)
西尾幹二『教育と自由――中教審報告から大学改革へ――』(新潮選書 一九九二年)
由紀草一『学校はいかに語られてきたか』(JICC出版局 一九九二年)
河原 巧『学校についての常識とウソ』(宝島社 一九九三年)

 この中には、これまで個人的に読んだことのある本も含まれてはいた。けれども、このようにある脈絡を設定した上で集中的に読んでゆくというのはまた別の作業だ。それに何より「教育」とか「学校」とかって方面についての概観を僕は持っていませんよ、と言うと、いや、その素人の立場から読んでみて欲しいんですよ、とOさんはのたまった。えい、ならば仕方ない、書評の仕事はこれまでもなるべく引き受けるようにしてきているし、これもまた勉強だろう、と腹くくり、腕まくりして読み始めた次第。

 というわけで、改めてお断わりしておくが、と言って、お断わりしたからとて世間並みの謙虚になどなるつもりもないのだが、しかしひとまず事実として、僕は「教育」や「学校」にまつわる領域についてはズブの素人である。このズブの素人ということの中味は、「教育」や「学校」にまつわる領域でこれまでどのような議論が繰り広げられてき、そしてそれらについてどのような毀誉褒貶があり得てきたかについて、専門的な知識を持っているわけではない、ということである。そういう人間がこれらの本をどう読んだか、という前提でしばらくおつきあい願いたい。



 ひとまず、個別にざっと眺めてみる。

 「教育」と「学校」についての問題が今、どういう状況にあるのか、総論的な概観を得るのにいい本から見てゆこう。一番手は、西尾幹二『教育と自由――中教審報告から大学改革へ――』(新潮選書 一九九二年)である。

 西尾氏とは一度だけ、『朝まで生テレビ』でご一緒したことがある。早くから控室でメモに目を通す姿や憂いを含んだもの静かな人当たりなどはいかにも誠実なインテリといった風情で、なるほど中教審でもあのように誠実につきあったのだろうな、と思わせるに充分だった。ただ、そのたたずまいは素直に尊敬に値するのに、しかしいざ議論の場になり、あのヤカン頭を振りたてて激昂した時のテンションの高さがその他の俗流保守反動学者並みで、原理原則としてはかなりまっとうなことを言っているのにそのことでこの御人、かなり世間的には損してるんじゃないかな、という印象だった。

 ただし、その印象は本領の活字の場合、かなり割り引かれる。びっしり書き込まれた濃密な文体だが、読み手が腰据えてつきあえば存分に役に立つ。

 内容は四章にわかれている。第一章「中教審委員「懺悔録」」、第二章「自由の修正と自由の回復」、第三章「すべての鍵を握る大学改革」、そして終章「競争はすでに最初に終了している」の四つである。中教審委員としての経験をつぶさに記述してゆく第一章などは、この国の官僚的世界観の中である主体性を持って発言しようとすると、どのようななめされ方をされてゆくか、という、言わば言語人類学的な報告としてもかなり興味深い。

 言うまでもなく、著者にとってそのようななめされ方は最も葛藤を生じさせるものである。そしてその葛藤のよって来たるところを、著者は良質の観察者の態度と文体とで内省しながらつぶさにほどこうとしている。

「いったいなぜ人は学校観の「格差」と「序列」の問題になると、半ば諦めたかのごとくに言及を避けるか、当たり障りのない教訓を語って終わりにするか、いずれでしかないのであろうか」

 大学改革が必須の作業である、それなくして偏差値的世界観に規定された「教育」問題の改革はあり得ない、という態度は原理原則として正当であると思う。そしてその問題はそのようなこの国の「戦後」が作り上げてきたある価値観、「序列」意識といった部分に関わってくる、という洞察も深くうなずける。もちろん、個別に異論はあっていい。だが、総論として「教育」と「学校」をめぐる問題が「戦後」の言語空間の内側にあり続けてきたこと、そしてその言語空間が現実と遊離したところである自律性を持って回転しており、その空中楼閣のさまがより一層「教育」と「学校」をめぐる問題を厄介なものにしていることを、中教審という具体的な局面を通じて描いた説得力は素朴に味わうべきだろう。

 もうひとつ、西尾のものと発行年はずれるが、早い時期からそのような「戦後」の言語空間の中の「教育」と「学校」をめぐるもの言いのありようそのものに光を当てようとした本が、小浜逸郎『学校の現象学のために』(大和書房 一九八五年)である。

 第一部「教育論批判」でいわゆる教育問題の評論家たちの言説を個々にとりあげ、小気味よく蹴倒して回っていることで一部で評判になったが、しかしこの本の本領は第二部「学校の現象論」の方にある。「教育」から「学校」へ問題の焦点を移していった時、必然的に、ではその「学校」の現在は一体どんな具合になってるのか、という問いが発されてくる。その場合、それまでの「教育」論のような制度としての「学校」という部分に無媒介に重きを置いた立場からではなく、教師と生徒の日常的関係性とそこに立ち上がる相互性という視点から「学校」の輪郭を描こうとしたものとして、時期的にかなり早いものだ。いわゆるいじめや落ちこぼれといった八〇年代に顕在化した問題や、付論ながら子供とセクシュアリティの問題などにも萌芽的に触れられていて、現場の当事者はもちろん、それ以外の一般の人々が「教育」と「学校」について考えようとする時の基礎文献として好適だろう。

 もう一冊、諏訪哲二『反動的!――学校、この民主主義パラダイス――』(JICC出版局 一九九〇年)は、おそらく「教育」と「学校」についての問題を語るもの言いのパラダイムを転換させるに当たって大きな影響を与えた本と言っていい。先の小浜らの先行的な仕事があり、時代としても八九年あたりを境にそれまで当たり前に呼吸してきた「戦後」の言語空間を相対化せざるを得ないような事態に立ち至り始めたこととあいまって、この九〇年という時期にこのような本が出されたことは、象徴的だったかも知れない。
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「教育は、ひととひとの争いの一種である。生徒たちが教師の歩いたあとをついてくるなどという、牧歌的な教育認識自体が犯罪的なのだ。このことをすべての教師が深く深く理解しなければならない。こういう教育認識が教師を無限に救い、生徒を地獄に突き落とすのである。学校では一年のときから生徒に「生活の型」を押しつけて、彼らの荒ぶる魂を安定させてやる必要があるのである。だが近代主義者は、自己の人格性を過信するあまり、その大切さが理解できないのだ。」

*1:初出は『別冊宝島