角川映画について

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 別に映画とか映像といった分野に携わる人だけじゃなくて、活字であれ何であれ、これから先、本気で何か表現したりいいもの創ったりしようとする人間ならば、この国の七〇年代からこっち、二〇年ばかりの間で角川映画の達成したことと達成できなかったことについて、これから少し静かに考えてみなければならないと思うよ。

 なんだかんだ言って、角川映画ってみんな結構見てるよね。少なくとも、今三十代前半から二十代前半にかけての世代ってのは、まさに角川映画全盛の頃に「若者」だったわけでさ。たとえ映画館で見てなくても、繰り返し再放映されてたからテレビで見てる。むしろ、角川映画ってのは映画館よりもテレビの枠の中で一番しっくりくるような映画だったかも知れないって気もする。実際、二時間枠のテレビ局制作のサスペンスなんかよりはるかに予算はかけてるし、役者は揃えてるし、何より映画の現場の腕っこきが撮ってるわけだし。今から考えれば、ジャンクフードとしての映画って意味じゃ、当時確かにある水準は獲得していたはずだと僕は思う。

 でも、当時から言われたあの「角川商法」ってもの言いに象徴的なように、とにかくドカンと宣伝にカネかけて煽って、それでもって何もわからない観客騙してロクでもない映画売りつける儲け至上主義で、なんかそういう見られ方がほとんどだったわけじゃない。もちろん、角川春樹自身の言動とか身ぶりとかも含めて、必要以上にそう言われる理由はいくらでもあったわけだけど、でも、「商品」ということだけで何か差別される、違ったものとして見られるという悪癖は、そろそろもう相対化しないといけない。「商品」の中から立ち上がる「文化」としての質を、言葉に責任持ってるつもりの側からきちんと引き出してやれないようじゃ、もういい加減干からびてる「エラい」の文化がいつまでもふんぞり返るばかりで、この国の「文化」の〈これから先〉なんてありゃしないもんね。



*1:『ぴあ』の依頼原稿。コメント依頼だったかもしれない。