追悼・芝正夫さん、のこと

前略

 [向島の映画館と、そこにまつわる人々の口述の生活史]拝見しました。これはこれでよろしいかと思いますが、わたしが追いたいのは、もっと土地(地域)の変容に密着した細部にわたる網羅的なものでしょう。両者を一本にしようとしても、無理が出てくるのではないかと思います。溝は案外深いのではないかと思います。

 わたしは言ってみれば正当派のようなもので、どんな場合でも総合的な観点から攻める方です。今度の場合でもピンからキリまで材料をあさってみて、もういいやと見当をつけたところで、不用のものを捨てていく式です。

 で、当初の「向島百景~大東京近郊の変遷」は当面わたしだけで作るつもりで進めていこうと思います。それとは別に、メンバー各人に大月さんの場合の映画のようなテーマを決めてもらって、並べていけば、それも「向島論」ですので、その方がそちらの意に近いのではないかと思いますし、やり易いのではないかと思います。テーマさえ決めてもらえば任せっぱなしにできますので、こちらも楽です。

 近日中にもう一ぺん集まってもらって、その旨を話し、原稿〆切の年月日を決めれば、もうたびたび集まってもらう必要もないと思います。集まる場所はわたしのところでなくとも構いません。

 そんなところでどうでしょうか。ともかく電話お待ちしております。

                                  7/16

 手もとに残っている僕宛の芝さんの私信である。末尾の日付からすると、確か1987年の夏だったと思う。

 手書きではない。向島の家の玄関を入ったところにデンと置かれていた電算写植機で打ち出されたものらしい。紙はコンピュータによく使われるミシン目の入った連続帳票に、だいぶインクリボンを使い込んだと見えて薄墨色の印字が一行四五字の横組みで組まれている。

 「向島の本を作りたい」ということで芝さんに相談を受け、山本質素、秀村研二、小川徹太郎、重信幸彦の諸氏に僕を加えたメンバーが少し定期的に芝さんの家に集まっていた時期がある。芝さんは自身育った土地ということで散歩がてらに向島あたりを案内してくれたり、また、昔なじみのお年寄りを呼んでみんなで話を聞いたりもした。

 僕は、芝さんの語る映画館の記憶が面白かったので、向島でかつて映画館を経営していた人を探してもらい、そこから何人かたどってゆき話を聞いたりもした。確か、その聞き書きのレジュメのようなものを芝さんに渡して、それを読んだ返事としてもらった手紙だったと思う。

 結局、この本は陽の目を見なかった。それぞれに仕事を抱えたメンバーの日程調整の難しさや、方法上の問題、それに版元になるはずの芝さんの思惑とこちら側の立場に微妙な行き違いなども重なり、つきあいはなくなってしまった。その後もしばらく、自分の小さい頃の記憶を綿々とつづるような手紙ともメモとも個人通信ともつかない書きものをずっと送ってくれていた。おそらくキーボードに向かっていると想いあふれて収拾がつかなくなるのだろう、自分で自分の経験と記憶をほどいてゆくような文体で何の関心もない人には読みにくいようなものだったが、それでもその語りの中で立ち上がる「向島」のリアリティは僕にとっては興味深いものだった。だが、それもいつしか途絶えた。

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 この手紙の中で、芝さん自身が自分を規定するように言う、「正当派」で「総合的な観点から攻める」やり方が、あるいは、「ピンからキリまで材料をあさってみて、もういいやと見当をつけたところで、不用のものを捨てていく式」が、果してどのような仕事との距離感の上にどのような具体的作業を想定して言われていたものなのか、最後まで確かめることはできなかった。だが、そのように言うしかないある屈託と、その屈託に根ざした矜持とが芝さんに宿っていたことはよくわかる。それは、小さなもの、ささやかなもの、とるに足らないもののたたずまいやありようや声や気配についてうっかりと焦点を合わせてしまうような性癖をおのれのものにしてしまった知性が、ある必然として持ってしまう偏屈さである。その偏屈さが、おそらく芝さんの仕事を可能にしたのだろうし、と同時に、より広い世間に読んでもらい、そして同情ある読者と出会うことを妨げる原因にもなったのだろうと思う。

 芝さんの仕事が今の民俗学でどういう位置づけになるのか、と聞かれても、民俗学そのものがどこにもなくなっている現状で位置づけもヘチマもあるもんか、としか答えようがない。そんなものは未だ貧しい保身に汲々とする自称“民俗学者”どもに任せておけばいい。もっともらしい位置づけを、彼らは得意満面、ここぞと鼻ふくらませながらやってくれるはずだ。

 ただ、仕事そのものではなく、このような仕事に向かわざるを得なかった芝さんというひとりの知性のありようは、民俗学という知の領域が好むと好まざるとに関わらずこの国の近代に編み上げてきた「歴史」の水準に、正しく織り込まれるべきだろうと思う。知性とはうっかりこういう種類の偏屈に苛まれてしまうものだし、また苛まれてしまうからこそ獲得してしまう新たな現実の水準もある。その世間はずれの振幅に耐えて世間に居場所を確保してゆけるだけの強靭さを知性それぞれが確実に自分のものにする方途は、しかし未だ見つかっていない。