インタヴュー・渡辺文樹

f:id:king-biscuit:20210717134935j:plain

 いきなり眼の前に現われた渡辺文樹は、入口からのっしのっしと大股で近ずいてきた。そして、大きな声でお国なまりの挨拶一発。

「いやぁ、遠いところわざわざ来てもらって、悪かったねぇ」

福島市内、小さいけれども去年建ったばかりとかでまだ真新しい映画館「フォーラム3/4」のロビーは夜七時過ぎ。彼の映画『ザザンボ』の上映会だが、ちょうど夜八時からのレイトショーを残すだけになっているせいか、客はまだほとんどいない。表に雪はなかったけれども、路面は北の街の冬独特の乾き具合と埃っぽさで、歩道と車道の段差の隅に融け残った雪が薄汚れたかき氷のようになってへばりついていた。すでに夜の暮れきった空気はキリッと冷たい。

 そんな中、入ってきた彼のいでたちは紺の丸首セーターに地味なジャケット。薄着である。肩から首、胸、そして二の腕あたりにかけての充実した肉のつき方や、それを支える分厚い胴体、そしてそれらのありように見合った高電圧な質感の顔。印象としては、前田日明に似ている。あるいは、ドキュメントフィルムで見るモンゴル相撲の力士とか。それは、決して世渡りに器用ではないにせよ、ひとりの生身の人間としてはある風通しの良い内面を持った“器の大きな自由人”のそれだった。

 ああ、こういう人か。なつかしいな。

 正直、少し安心した。それまで新聞や雑誌で報道されていた『ザザンボ』をめぐる顛末だけでなく、その他、口さがない映画まわりの人間たちの“評判”も耳にしないではなかったから、出会い頭のこの一瞬はありがたかった。よしきた、これならこの渡辺文樹という人にすでにまつわっているらしい社会的思い込みを、こっちの手もとで一度白紙に戻しておける。

 上映時間が迫っていることもあって、撮影を先にした。「いつも撮ってる立場だから、言う通りにしますよ」と笑いながら、彼は映画館の入口でカメラマンのK氏の指示に従う。撮影がひと通り終わると、そのままそこで呼び込みを始めた。地方都市の冬の宵だ。人通りは少なく、時折、自転車に乗った人が通り過ぎる程度だが、それでも両手をきちんと前のところで組み、手慣れた調子で口上を述べる。とは言え、こういう呼び込みにありがちな媚びるような印象は薄い。とにかく胸を張り、何かに抗うように堂々と声を出す。声を張る。野太い声を冷えた往来に投げ込んでゆく。

 ちらほらと客がやってくる。背をかがめ気味に連れ立ってやってきた中年の婦人たちが、高校生らしい地味なカップルが、入口正面に仁王立ちする彼の脇を通り過ぎる。と、そのいちいちに、彼は「いらっしゃいませ」と律儀に挨拶をする。顔を隠すように、恥ずかしそうに映画館に入ってゆく人々。入口を照らす灯りを彼の吐息が白くよぎる。

 そして八時過ぎ。百人あまりの客席はほぼ満員になっていた。呼び込みの時と同じ姿勢で、簡単な舞台挨拶をする。しんとした場内に、しゃべり慣れた口調が太く響く。
 そして、『ザザンボ』の上映が始まった。

f:id:king-biscuit:20210717135008j:plain

●●
 アメリカの民俗学者でウィリアム・モンテールという男がいる。“語られたもの”を資料として全体的な歴史の再構築を志すオーラル・ヒストリーと呼ばれる分野の第一人者だが、このモンテールに『キリングス』という仕事がある。副題は「アッパーサウス地方における地元の正義(フォークジャクティス)」。アメリカ南部、ケンタッキーとテネシーの州境あたり、「ステートラインカントリー」と呼ばれる地方は、殺人事件がアメリカ全国平均の十倍も多い物騒な土地柄だという。この地方で過去に起こった殺人事件を五十例以上も彼は詳細に調べ、その語られた過去を尋ね、聞き、重ね合わせて、それぞれの当時、それぞれの現場で発動されていったはずの「地元の正義」のさまを立ち上げ、ていねいに検証してゆく。

 スクリーンに向かいながら、僕はこのモンテールの仕事を思い出していた。

 『ザザンボ』は、まさにそんな「地元の正義」に真正面から疑問符を突きつけるフィルムだった。モンテールアメリカ南部が抱えてきた暴力を許容する文化を内在的にえぐり出そうとしたように、渡辺文樹は日本の東北地方の貧しい部落に潜む“政治”に、それも厄介な“歴史”がらみで焦点を当てる。違いは、前者がそのつかんだ“真実”を折り目正しい学問という枠での文字表現に託したのに対し、後者はあくまで娯楽映画の素材として、映像による“おはなし”へと収斂させたことだ。

 文字と映像。学問と“おはなし”。かたちとなった現われはまるで違う。違うが、しかしそこへ至る過程で踏まれた手続きのありようは、あるところまではいずれもほぼ同質の誠実さと技術とに裏打ちされていたはずだ、と僕は思う。

 これまでも紹介されてきているが、念のため『ザザンボ』の素材となった「事件」の概略をもう一度さらっておこう。

 一九七六年一二月、福島県田村郡三春町で、やや知恵おくれの中学三年生「善一」が、自宅のタバコ乾燥小屋でビニール紐で首をくくって死んでいるのが発見された。「学校がこわい」という内容の遺書が残されていた。その半年程前、彼の通っていた中学校の職員室で教師の貯金通帳などが盗まれる盗難事件があり、彼はその犯人と目されて追及されていたことなどから、警察は教師たちの過剰な「犯人探し」が招いた自殺として発表。マスコミも学校の体罰が原因と報道したが、実はその直前の十一月末、盗まれた貯金通帳を持ったある高校生の手によって口座から金が引き落とされていたことがわかった。高校生は補導されたが、「善一」の“自殺”についての再捜査はついに行なわれなかった。

 この「事件」から十四年の後、渡辺文樹は地元を歩き、関係者に話を聞き、「事件」の真相をあらわにしてゆく証言を拾い集めた。死んだ「善一」のいた中学校の校長が彼の親戚にあたり、しかもその「事件」の責任をとらされて辞職していることが大きなきっかけだったという。上映パンフに十二ページにわたって掲載されている文章「ザザンボの村と私」は、その作業の記録だ。

 武骨な文章ではある。だが、妙に熱っぽい。節目節目でグッと速度が上がる。言葉が走る。微細な事実でたたみかける。それを読む限り、彼が行なった作業はまさに敏腕ルポライターの取材であり、実直な民俗学者聞き書きであり、セールスマンの営業であり、探偵の調査であり、不動産屋の測量であり、刑事の捜査であり、いずれそのような「調べもの」の、それもかなり執拗で獰猛なものであることがわかる。ただ、読み進むうち、それがどこか異様さも漂わせてくるのは、たとえば「善一」の墓あばきまでして真実を調べようとするような、その姿勢の過剰さだけではない。「事件」と自分との関わりにのめり込んでゆくあまり、ひたすら自分に至る“歴史”の細部を具体的な固有名詞や写真や系図と共に、まるで呪文のように連鎖させて〈こちら側〉の眼の前にさらけ出してゆく、その自意識のあり方が文章の背後に、ある濃密な“気配”を漂わせていることに気づくからだ。

 微細な事実へもぐり込み、歴史をほぐし、それらを素材に新たな“おはなし”をつむぎ出しながら、その“おはなし”に駆り立てられて別の何かに変貌してゆく自意識。そしてその過程に宿るこの上ない昂揚感と緊張感。彼の『ザザンボ』が巷間言われてきたように“アブない”フィルムだとしたら、それは「事件」の真実の“アブなさ”というより、むしろそのようなスクリーンの〈向こう側〉に潜むある自意識のありようの“アブなさ”かも知れない。なにせ、その当の渡辺文樹はスクリーンの中、「善一」の担任教師として実名で闊歩しているのだ。

●●●

「こんっな面白い映画ないと思うね。俺ね、スイスで自分の映画見ててほんっと感動したもんね。どうしてみんな見にこないんかなぁ。馬鹿でないかと思うね」

 外は雪が降り始めていた。映画がはねた後、屋根に手製の広告塔を乗せた自分のクルマを運転しながら、彼はそう言った。スイスで、というのは一昨年夏、ロカルノ国際映画祭に参加した時のこと。心底うれしそうに、そして心底誇らしげに、彼は自分の映画『ザザンボ』を語る。だが、もともとスポンサーだった松竹が公開拒否。七千万の借金を抱えて上映権を買い取っての上映活動も、地元の三春町では上映を拒否された。

「なんだっちゅうのね。自分の街のことなのにどうしてわざわざ郡山まで、それも顔隠してみんなコソコソ見にこなきゃなんねんだろうね」

 いずれ絶対地元で上映する、そのための作戦も考えてある、と彼はにっこりする。

メガデスっての、あれ、いいね」

 と、突然そんなことを言う。はぁ、ヘビメタですか。

「若いのが、いいですよ、って言うから聞いてみたんだ。いやぁ、あれいいわ。あんな
のガンガン流してさ、天皇やら皇族やらかたっぱしからコロッコロ機関銃でブッ殺してく
ような、次はそういう娯楽映画を徹底的にやってみたいなと思うね」

 ――「娯楽映画」志向ってありますか?

「あるね。大学の時から映画ばっかり見てたんだけど、俺、マカロニウエスタンが好き
でねぇ。あと、やくざ映画もよく見たな」

 この「娯楽映画」という言い方には少し説明が必要だろう。

 たとえば『ザザンボ』の幕切れ近く、「事件」の張本人である橋本家の屋敷に殴り込みをかける渡辺は、待ち構えた村人たちに囲まれ、罵声と怒声を浴びて袋叩きになりながら、人質になった妻子を助けるため大暴れする。もみくちゃの中、カメラも巻き込まれてのひたすらの長回し。「善一を殺したのはおめぇだろ!」という渡辺の絶叫も、「殺しちめェッ」「死んじめェッ」という村人たちの声にかき消される。ラグビーでモールの密集を内側から撮影しているようだ。

 そうか、これをやりたかったんだな、と確信した。「正義」の古典的趣味のかたちがくっきりとそこにあった。

 そしてラスト。全てが終わった後、トラックに乗って街を出てゆく渡辺一家。「あだしはここでお世話になっておりますから。わだしはどこにでもおられますから、どうぞいってらっしゃい」というオバさんの言葉。動き出すトラック。運転席から顔を出す渡辺。「善一」の母と姉が雪の沿道にたたずむ。もうほとんどマカロニウエスタンのカッコ良さだ。ドキュメントがどうの現実の事件との関わりがどうのという理屈は、映像に関する限りそこではもうブッ飛んでいる。おそらく、この人は本質的に「娯楽映画」作家なのだ。

「俺、この間地元のラジオで次回作のこと言ったんだよ。千代田区一番町一番地の住人たちを殺す映画を作る、って。そしたらたまたま高校二年になる俺の女房の甥っコが聞いてたんだ。おかあさん大変だ、あのおじさん今度天皇殺す映画作るよ、って大騒ぎ。天皇尊敬してるってんだってさ。愕然としたよ。俺の女房もそうだからね。あんたそんな映画作ったら離婚だ、って。おお、離婚で結構じゃねぇか、って言うんだ」

 ――その内容なら、また山ほど妨害があるでしょうね。

「そうだね。右翼、やっぱり来るだろうねぇ、でも俺、やられてもやられても映画撮るからね。俺がやられて、なんであの人あそこまでやって映画撮ったんだろう、って思われたらそれで意味あると思うからね。なぁにが天皇に戦争責任ないんだ、ふざけんじゃねぇ、って思うよ。長崎の本島市長ばっかりにあんないい役やらせるわけいかないからね」

 ――いい役、ですか?

「いい役だよあれは。俺だったらもっと血ノリバーッと出してね、もうスローモーションで撮って思いっきり派手にやるね(笑)」

 ――襲った方があきれたりして。こいつなんでこんなに反応するんだろう、って(笑)。

「高校の時、友だちに「君が代ダメだ」ってのがいたんだけど、俺はなんでダメなのかわかんなかったんだよ。別に歌うくらいいいじゃないか、って思ってた。そいつは三里塚も行ったりしてたけど、なぁに機動隊とやってんの、なんて思ってた。でも、やっぱ俺よりちゃんと考えてた人間がそうやって身近にいたんだよね。俺は映画しか見てなかったけど、そいつは俺より本読んで勉強してたんだよ。ただ、早いか遅いかの違いで、人間っていつかはたどりつくんじゃないの。人間のエネルギーってのは同じようなもんなんだろうから、それを発散するのがいつかってことでね。俺は、だから奥手なんだと思うよ」

 ――何かスポーツやってました?

「いや別に何もやってないけど、身体は健康ですよ。そういう意味では親に感謝してる」

 ――でも、いずれ年はとりますよね。

佐木隆三さんとしゃべった時もその話だったんだ。あの人確か五十五くらいだけど、もちっとハチャメチャな人かと思ってたら、やっぱそれなりに作家なんだよね。子供はちゃんと教育してるしね。佐木さん、なんかイメージ違うな、作家になってカネもできてさ、って俺言ったの。キミも五十五になればそうなるぞ、ってあの人は言うから、いや俺は絶対あんたみたくなんね、って言ったんだけどね」

 ――『ザザンボ』の今後の上映スケジュールを。

「二月の二十八日から大阪でレイトショーやって、三月の十三日から名古屋のシネマスコールでやるんですよね。あとは福山で五月にやったり、愛媛でやったり北海道でやったりね。なんか知らんけどいろいろ電話くるんだよね。いくらですか、って。フラットで十万って言うんだ。十万でプリントお貸ししますから何日やってもいいですよ、って。上映できるならどこでも行くよ、俺は」

 ――そういう実直な映画好きの人たちに支えられてるって面は、あるんでしょうね。

「まあね。ただ、映画を上映して楽しんでる人たちって、うらやましいね。だって、ほんとに映画が好きなら自分で作りゃいいじゃない。どうして踏み込まないんだ、って俺、アジるんだよね。いやあ渡辺さんカネが、って言うんだ。ダメだと思うね。情熱がない。それに欲がねんだべね。なんで欲がねんだろ、って思う。生きてる存在感ってのが希薄なんだよね。俺なんか欲だらけだよ。クルマ運転してて可愛い女の子いると、連れ込んでやっちゃいたいなぁ、って思うもんね」

 ――でも、海外も含めて仕事を認められてきたところはありますよね。

「他人から見て最悪の状態って、俺にとってはうれしい状態なんだよね。反対に俺がここで日本アカデミー賞とったり、次回作何億もの映画撮る話がきたり、いろんな女がついたりすると、それこそ最悪ですよ、これは。俺、そういうのは絶対ダメだ。チクショー、俺の映画なんでわかんないんだこいつら、って思いながら、そういうのガソリンにしてやってくしかないよね」

 ――なんかもう、永遠の“若い衆”ってところがありますね。元気だなぁ。

「幸せだと思いますよ、俺は。映画という大きな遊び通して言いたいこと言ってきたな、と思うね。深刻になっちゃしゃあねえし。俺もアフガン行ったりしてたから、今こうやって生きてることはありがたいな、って思うね。そりゃ借金はあるけど、そんなのなんでもないでしょ。暴力団がきてコノヤローって世界でもないしね。なんとかなっぺよ(笑)」