ホンカツとケンカしました

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 世の中いろんな人がいる。

 あたりまえのことではある。あるが、しかし本当にその「いろんな」の内実をあからさまに眼の前にすることというのは、日々の流れの中ではそうそうなかったりもする。

 でもさ、本当にいろんな人って、いるよ。どうしてまぁこんな風になっちゃうんだろう、と唖然とするしかないような硬直の仕方とか、どこでどうなったらここまで眼の前のことがまるで見えなくなっちまえるんだろう、という自閉のさまとか、別に宗教だの政治だの思想だのって“いかにも”の方面に限ったことでもなく、ちょっと気をつければ結構身近にいくらでも転がってる。そういう現われって、たとえば「オヤジ」なんてもの言いでみんな半ば無意識のうちに何とかことばにしようとしてきた部分もあるんだけど、でも「オヤジ」ってことば貼りつけて馬鹿にしたり遠ざけたりうっとうしがってるだけじゃ何も解決しないってことはもう明らか。それにもっと言えば、別にこれは単なる世代としての「オヤジ」の問題というだけでもなければ、大人の男性としての「オヤジ」の問題というだけでもなくて、何にせよある関係性の中でそういう具合にことばがどんどん不自由な方へ動脈硬化を起こしてゆき、現実を風通しよくフィードバックできなくなってゆく、そのことこそが一番根本の大問題だったりするんだし。「オヤジ」問題ってのは本腰入れてほどこうとすれば本当に根が深い。大げさにもっともらしいこと言えば、この国の「近代」そのものの問題なのだ。

 で、これもまさにその「オヤジ」問題のある典型的な現われだった。

 すでに複数の週刊誌で報道されているから、もう先刻ご存じの読者も多いだろう。毎日新聞の水曜日夕刊でこの七月から雇われ編集長として連載させてもらっている「大月隆寛の無茶修業」という紙面で企画した本多勝一に対するインタヴュー記事が、その掲載をめぐってちょっと信じられないようなもめごとを引き起こした一件である。ただ、週刊誌を読んだだけじゃ一体何が起こったのかよくわからないんだけど、という声も耳にした。そりゃそうだよな。よしわかった。およその経緯だけをもう一度ごく簡単に要約する。

 インタヴューを企画した。交渉した。引き受けてもらった。会った。なごやかにインタヴューした。原稿にまとめゲラにして見せた。テキはいきなりキレた。ボツにしろ、このまま掲載すれば訴訟する、と言われた。あらかじめ企画の性格を説明し、これまでの紙面を見せ、何より実際に対面してこっちは腹くくって聞きにくいことまで聞いたそのやりとりの後、いざゲラになるまでてめェがどのように見られてるかわからなかったという、キャリア三十年以上を誇る(実際、途中何度もそれを誇ってこっちをシロウト呼ばわりした)「ジャーナリスト」とは思えないうかつさについては全く棚上げ。「真意を正確に反映していない」「名誉の著しい侵害」だと弁護士経由で内容証明が送られてきた。原稿のどこが具体的に「名誉の侵害」に当たるのか指摘して欲しい、と尋ね返してもそれにはきちんと答えず、全体の文脈がそうだ、としか言わない。じゃあその「真意」とはどんなものか、という問いかけに対しては、「ジャーナリストであれば説明する要もない」という権威主義丸出しの答え。ったく、とんでもねえオヤジだ。

 約三週間あまりのすったもんだの末、ほぼ原形をとどめないほどの非常識な手入れをされた果てのインタヴュー原稿が9月29日付け夕刊に掲載された。途中、そんなもんテキの言う通りボツにしてそれから外で大ゲンカにしろ、という意見もあったけれども、どんな形にせよひとまず掲載することを最優先するのがたとえ雇われ編集長ではあっても仕事の責任と思い、現場の担当者ともども煮えくり返る腹を必死になだめながらなんとか掲載にこぎつけた。もちろん、紙面だけでは何のことかわからない、読者に不親切な薄汚い紙面になってしまった。申しわけない。

 その後、その記事に対して主に投書によって読者から投げかけられた疑問や意見について、こちらの基本的立場や考え方をもう少していねいに説明した文章も、10月13日付け夕刊に掲載しておいた。週刊誌の方は『週刊朝日』10月15日号、『週刊宝石』10月21日号に事実報道が載っている。また、書評誌『リテレール』11月号に、ことの発端となったインタヴュー原稿とやりとりの結果紙面になった原稿とがあわせて掲載されることになっている*1。その他、もとの一時間半あまりのインタヴューテープを文字に起こしたものも何らかのかたちで世間に明らかにすることを考えている。

 そりゃ本多サン、あんたに比べりゃこちとらジャーナリズムのシロウトではあるだろうけど、ならばそのシロウトにはシロウトのやり方ってのも今やもうありましてね。ゴリ押しにこんなにスジ通らないことやらかしといてそのままシラ切ってなかったことになんか、そのシロウトの誇りに賭けて絶対させませんぜ。

 繰り返して言うが、インタヴューそのものは何の問題もなかった。なごやかでさえあった。場所は都内竹橋の毎日新聞社内、窓から皇居のお堀の見渡せる一室。写真部のカメラマンがインタヴューの始まる前、撮影のため同席していたが、写真撮影についてはあらかじめ連絡して同意を得ていた。テキは、写真撮影の時は変装しますから、と言い、ショルダーバッグから黒くて平たいせんべいの缶のようなものをおもむろに取り出した。なんだろう、と思って見ていると、中には白髪混じりのかつらとグラデーションのサングラス。右翼に狙われてるから、というその理由についても話には聞いてたけれども、いざ本当に変装するのを眼のあたりにするとまた格別の趣きがあった。

 名刺も交換した。肩書を見てまた唸った。「新聞記者・本多勝一」。確かこのオヤジ朝日新聞はもう辞めたはずだし、連絡先には『週刊金曜日』の編集部の名前と住所が記されているけれどもあれは「新聞」じゃないし、じゃあこういう場合の「新聞記者」の「新聞」とはどういうことなんだろ、そうか、新聞は辞めたけれども「新聞記者という肩書にとんでもなく強烈なプライド持ってて、われこそは「ザ・新聞記者」、天下御免の「正義」の味方、てな気持ちなんだろうか、とか、いろいろ感想が頭をよぎった。

 インタヴューは約一時間半に及んだ。きわどい質問にも動じることなく淡々と応対するあたり、なるほどこのオヤジやはりなかなかのもんだわ、と思ったくらいだった。事実、インタヴュー後に担当者とひと息入れながら、いやぁまだまだこっちが修業不足だよね、てな殊勝な話もしたのだ。

 だが、甘かった。面と向かって話したのにテキは何も聞いてなかった。あるいは、てめェの聞きたいような文脈でしか聞いてなかった。「こんな文脈で扱われると知っていたら断っていた」と眼吊り上げてたけど、こっちはそれまでの紙面も見せたし、きびしい質問をするかも知れないことも説明したし、あらかじめどういう企画か判断できる材料を最低限きちんと示して交渉したはずだ。何より、もとの原稿のどこにいきなり訴訟されるような「名誉の侵害」があったのか、今からでもいい、はっきり指摘して欲しいもんだ。

 その後は弁護士を通して「訴訟だ」と騒ぎ、しかもそれを大月個人に対してでなく毎日新聞という「組織」に対して仕掛けることで「めんどくさいなぁ」気分を引き出してことを有利に運ぼうとする。それがダメとなると初めて個人に働きかけて、なんとか水面下で「話をつける」ことを目指す。ほんとだぜ。キミは話のわかる人間だと思っている、ふたりきりで話をしたい、と本多勝一に電話でささやかれ、『週刊金曜日』に原稿を書いて欲しい、とまで言われたんだから。そりゃ一応仕事の話だからこっちも仕事として考えたいけど、こういう文脈で言われると普通「あ、これって裏取り引き」って思うよな。とても「正義」や「言論の自由」をカッコ良く叫んできた「ジャーナリスト」のやるこっちゃない。すごいよなぁ、この手口。

 このオヤジ、きっとこれまでもこういう手口でうまく「正義」の体面保ってやってきたんだろう。そして、それを平然と通用させてきたメディアの世界ってのもなんだか知らないけどあるんだろう。実際、毎日新聞も現場はともかく上の方は一度ボツにすることを決めてたわけだし。何より、めんどくさいことは誰しもいやなもんだし。 でも、もうそういうのっていい加減終わりにしなきゃいけない。別にジャーナリズムでもなんでもいいけど、何にせよ現実に足つけて顔上げて生きてゆこうとする上で、そういう風通しの悪さがどれだけ人をを性格悪いものにし、どれだけ世間に役に立たないものにしてゆくかをはっきりさせなきゃならない。でないと、そう、こちとら何のためにあの八〇年代のスカをくぐってきたのか、まるでわかんなくなっちまうもんな。

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