神話時代の英雄が暗闇からぬっと姿現わしたような、そんな不思議な雰囲気がアラブの競馬にはある。
正確にはアングロアラブという。つまりサラブレッドとアラブの混血。アラブ血量が25%以上の競走馬をそう呼ぶ。競馬新聞なら血統欄、馬名の頭に小さく「アア」と書かれるのが決まりだ。
アラブは血統である。少なくとも、僕がこれまで出会った手練れの競馬師たちは、みな口を揃えてそう言う。定評のある母系にいい種牡馬をかけたアラブは、下手なサラブレッドより高い値段で取引される。ひと昔前は、アラブと偽って正真正銘のサラブレッドをかけた「テンプラ」もいたというが、血統管理の厳しくなった今ではさすがにそれはなくなった由。それでも、サラを軒並み蹴散らした「魔女」イナリトウザイとその子供たちで一代で財をなした“伝説”などは、独特の抜けの良さで馬産地に語り継がれている。
実際、アラブの生産者には小さい牧場が多い。たとえば、同じ日高でもそれほど奥には入らない門別あたり、農家の軒先、家族の手だけで二、三頭養っているような、そんな牧場がまさに起死回生の一発を夢見る舞台としてこそアラブの競馬はふさわしい。
だから、暮れの地方競馬には東京大賞典という、中央なら有馬記念に当たるお約束の大一番もあるけれども、もうひとつ、この全日本アラブ大賞典を忘れちゃいけない。距離2,600m。東京大賞典が距離短縮された今、なまじの馬じゃとても乗り切れない砂馬場のこの長丁場は稀少価値。それに今や指定・交流競走。旅から旅の賞金稼ぎで転戦、転厩がむしろ勲章のアラブにとっては、最大級の晴れ舞台だ。
馬房のあいている厩舎に遠征馬が入る。馬運車に乗ってはるばるやってきた人と馬が、たとえばつるべ落としの晩秋の宵の口、大井にやってくる。見知らぬ馬を引いた見知らぬオヤジが、スーパーの買物籠のような手入れ箱を下げて歩いてくる。はげちょろけのヘルメット。馬の汗と垢とで汚れたジャンパー。使い込んだ引き手。寝藁の具合を確かめた後、輸送で緊張した馬を馬房に入れ、水桶に水をやり、青草のひとつかみも投げて一服。そして自分は厩の隅の四畳半にごろり横になる。そして翌朝から、彼と彼の馬は平然と馬場に向かって「仕事」の歩みを進める――全国から集まる大賞典狙いのアラブの強者たちは、こんな具合にこの“暮れの一発”に賭けている。それは、同じ遠征馬、招待馬の集まる春の帝王賞とはまた違う、アラブならではの土臭さ、力強さを師走の競馬場に運んでくる。
いやぁ、こんな馬がいたのか、こんな強い馬がいたのか、という素朴な驚きを共有できる幸福。園田で、福山で、東海で、道営で、岩手で、神話時代の「強さ」を身にまとったアラブたちは今も黙々と走っている。競馬好きならそのことを、暮れの大井の、でももうナイターではない真ッ昼間の乾いたスタンドで、ちょっぴり思い起こして欲しいのだ。