いいことなし、の弁

 

 何もいいことがなかった、と思う。

 学生時代に柳田国男に出くわし、民俗学に首突っ込むようになって今年で足かけ十五年。曲がりなりにも民俗学者の看板掲げるようになってからでも、すでに十年近くたつ。

 この三月で三十五歳。理科系より気の長い文科系の学問とは言え、まずは最もイキのいい往き脚ある若い衆としてバリバリいい仕事をすることを期待され、また事実そのように学界の屋台骨支える頼もしい成果を出してゆかねばならない、そんな年回りにさしかかっているのだと一応は思い、萎えた気力をなんとか駆り立てようともしてみる。

 けれども、静かに思い返してみると、民俗学に携わって本当によかった、と心底思える機会はこれまでなかった。何より学会から恩恵を蒙った経験がない。いや、恩恵どころか、目の当たりにしてきたのは他人の書いたものを読もうとせず、語りかけることに耳傾けようともしない、そんな味気ない自閉のさまばかり。林芙美子ではないが、「書生の命は短くて、情けなきことのみ多かりき」だった。

 何か世のため人のために役に立つ、志ある歴史の学問という意味での民俗学は、もはやどうひいき目に見ても脳死状態。洒落にも何にもならない混乱が日々そこここで起こっている。それでも、なぜか「民俗学」という単語だけは結構世間にばらまかれていて、それどころかそれなりに認められてたりもする。

 ああ、民俗学ですか、いろんなところへ行けていろんな人に会えていいですね、てなことも言われる。頼まれもしないのに見知らぬ場所にノコノコ出かけ、おとなしく暮していればまず一生会うことのないような人に会い、話を聞く。聞いて、ゆっくり考える。考えて、ああでもないこうでもないとおよそ「書かれたもの」になっていない水準の現実をもう一度手もと足もとにかき寄せ、とりとめない“まるごとの歴史”の輪郭をなんとか取り戻そうと七転八倒する。そういう七転八倒が「いいですねぇ」と人様にうらやましがられるような日本晴れの愉快にまっすぐつながるってぇのなら、なるほどそりゃ幸せだろう。

 だが、昨今この国の社会はそんなに牧歌的なものではない。

 とある大手ゲーム機器メーカーの開発担当の人間に話を聞いていた時のことだ。地域密着型の大型ゲームセンターを全国展開させるのが仕事の彼は、それぞれの地域に住む人たちになじんでもらえる空間を作り出すために、民話やそれに類した“おはなし”の意匠を積極的に取り入れているのだ、と胸を張った。

「たとえば、その土地が海のそばなら海賊がいたんじゃないか、そしたら海賊同志の争いがあってお姫様もいたんじゃないか、そういう風にどんどん話を広げてくんです」

 本当に愉快そうに、彼は瞳を輝かせる。

「……だから、我々も民俗学はよく勉強させてもらってるんですよ」

 だから、じゃねぇよな。

 民俗学という学問がこの国に出現し、いろんな軋轢や葛藤や挫折を折り重ね繰り返しながらもそれなりに形を整え、書物はもちろん、その他さまざまな形をとりながらこの社会の上に情報を書き込んでいった過程というのがすでにある。言葉本来の意味での“歴史”と言い換えてもいい。で、そのような“歴史”をくぐりながら蓄積されていった「民俗学」のありようは、すでに当の民俗学に携わる人間たちが考える範囲をはるかに超えた、かなりとほうもない量と広がりとを獲得していたりする。だから「民俗学」の意匠はいくらでも複製されるし、そのように使い回され「役に立つ」ものになってゆく。とすれば、なるほど世間からは「認められる」ものにもなる。

 で、それで万事めでたしめでたし、やっぱり民俗学は永遠に不滅です、てか?

 そんなわきゃねぇだろ、と、このいいことなしのまま息絶えようとする学問に屈託する僕はまた吐き棄てる。吐き棄てて……

 しかし、そこから先はまだ濃い霧の中だ。