「トスキナア」というオペラが上演されている。場所は東京、浅草は観音劇場。時は大正八年の春。遠い、しかし〈いま・ここ〉の僕たちと地続きの昔だ。
逆さに読めば「アナキスト」。スリが役所公認の稼業になり、赤い帽子に青いマント、免許を懐におおっぴらに稼ぐという設定。楽屋口には「犬ト刑事ハ入ルベカラズ」の貼紙。上を下へのどんちゃん騒ぎの舞台を前に、臨検席の警官は憮然としている。
筋書きを書いたのは貘与太平。本名古海卓二。明治二十七年の雛まつりの日、北九州は八幡に生まれた。十四の時から八幡製鉄所で働いていたが十八で東京へ飛び出す。手にはわずか二銭。職を転々とするうち新聞社にもぐり込み、浅草をうろつくようになる。仲間ができる。たまり場はカフェーパウリスタの二番テーブル。さまざまな若さがさまざまな装いで通り過ぎる。
演歌を書き、童謡を書き、当時流行っていた浅草オペラの台本を書いた。雑誌の編集もやった。やはりオペラの雑誌だった。宝塚少女歌劇の懸賞台本に応募もした。アナキズムを信奉し、大杉栄らとも交友し、おかげで警察から眼をつけられ、しかしその実ただのボヘミアン、偉そうなもの、権威づくのものに盾突くのが命のわがままいっぱい、客気あふれる若い衆だった。
大正十年、映画を撮り始める。映画を見て興奮し俺も撮りたいと思った、ただそれだけの全くの我流。それでも、市川右太衛門、坂東妻三郎らを使った映画を何本も撮り、チャンバラに新境地を開いた。立回りだけで一本通すというムチャもやった。昭和十二年、突如八幡に帰り鉄工所を始める。帰郷の理由はさまざまに憶測されたが、真相は今もわからない。
故郷の後輩で戦時中、陸軍の報道班で一緒に仕事をしたこともある火野葦平は、彼をモデルにした伏見という人物を小説の中に登場させている。
「伏見は疾駆している馬のような印象をあたえる。オペラや映画の時代、伏見が薫陶した連中の大部分が今ではひとかどの芸能人になって、第一戦で活躍している。彼らは伏見のように駿馬でなかったために、走らずに止まって成長した。しかし、伏見は走ったことをすこしも悔いてはいないし、なお走りつづけている。」
そして、こうも言う。
「伏見にははじめから思想などはなく、気質だけがあったのかも知れない。」
愛称「与太さん」。大正九年、浅草金龍館の稽古場でオペラ仲間の伊庭孝と共に撮ったいかにも鼻ッ柱の強そうな、正しく街のアンちゃんの顔した彼の写真は、今ならばライブハウスにたむろするミュージシャン志望の若い衆にいくらでもいそうな、“気に入らねぇぞ俺ァ”の変わらぬ気分を七四年の後の〈いま・ここ〉に運び届けている。