言い寄られるセンセイ、の無防備

 そもそも、どうして「センセイ」は自分の近くへ寄ってくる生徒、あるいは学生に対して常に無防備なのだろう。そしてその無防備なるがゆえに、嫌われたり疎まれたり不愉快に思われたりすることに憶病なのだろう。

 僕自身には経験がないから、間違っていたら教えていただきたいのだが、女子高で教えることになった連中の話などを聞いていると、まず最初に「生徒に手を出さない、出してしまった場合は責任をとる」といったことを、もちろん言い方はさまざまだろうが、理事長なり校長なりといった役職の側から事前に釘を刺されることが、ままあるらしい。

 こういう話を彼らは苦笑しながらするのが常なのだが、しかし、同じように苦笑しながら、僕はいつもちょっと妙な気持ちになる。

 これは、生徒に対して恋愛感情を持って接するな、ということだろう。そしてそれは具体的には、いくらそのような可能性が出てきたとしてもうっかり身体の関係を持ってしまったりするな、ということでもあるだろう。その結果起こってくるさまざまな面倒は、今のこの国で学校を管理経営してゆく上で、一番忌むべきことであるということも、なるほどよくわかる。表沙汰になった日には、新聞はもとより週刊誌、ワイドショーの餌食だ。なにせちょっと制服を洒落た者にすれば、それだけで受験生の質が変わって偏差値がピンと跳ね上がるという御時世、イメージダウンは計り知れない。

 しかし、と僕は考える。同じ言葉は、男子校に赴任してきた女性の教員に対しても投げかけられるのだろうか。

 まずそんなことはないだろう。あったらその場でセクハラだ何だと、また別の文脈での大騒ぎになるのは必定。だとしたら、これはセンセイという立場が男性で、なおかつ生徒が女性である場合に限って立ち上がるもの言いだということになる。もっとも、センセイも生徒も男性の場合だってあるのに、と僕などは思うのだが、これはまた別の問題になるからここでは棚上げしておく。

 けれども、センセイに近寄ってくるようなタチの生徒というのは必ずいる。また、近寄ってくる生徒の一人もいないようなセンセイというのは、それ自体大したものではないと僕は思う。それが恋愛感情に容易につながってゆき得るようなものであることもまた当然だし、別に忌むべきことでも何でもない。センセイと呼ばれる側が、教室という約束ごとの中、「立場」を保った関係性をコントロールしてゆけるだけの技術を持っているかどうか、ということだろう。そして、それと全く同等に、嫌われたり疎まれたりすることのないセンセイというのも、それ自体大したものではないと、僕は思っている。