照葉、バーのママになること

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 束の間の女優稼業の後、再び大阪へ舞い戻った照葉はバーのママになった。店の名前は「テルハの酒場」。前述『照葉始末書』(昭和四年)の記述によれば、昭和三年の五月末頃らしい。

 尾羽打ち枯らして帰ってきた古巣関西で借金がらみのいざこざに巻き込まれ、刑事事件にまでなりかかって世間に面白おかしく報道された。すでに村松梢風の肝煎りで『照葉懺悔』という本も書いていた彼女は、すでに当時の情報環境におけるメディアの舞台上のある種“有名人”だった。「女優」にまつわっていたような「自由」と「気儘」を謳歌する新しい種類の悪女として、世間に認知されていたのかも知れない。今なら、たとえば松田聖子のような。

 ともあれ、汚名を雪ぎ、借金を返すために店を出した彼女の仕事ぶりは次のようなものだった。

「夕方の五時から夜中の二時まで毎晩々々カウンターの中に突立つてお客の送り迎へに頭を下げるだけでも可成りな仕事の上に、スペシヤル、オーダアが通れば自分でシエーカアを振らなければならない。忙しくなれば氷も砕かなければならない。シヤンパンを抜く時にはテーブルまで出て行って自分で抜かなければ女給さんたちには出来ない。(…)『あの女もたうとう道頓堀に顔をさらして洋酒のはかり売りをするやうになった。一円もって行けばカウンターの前に立って彼女にシエーカアを振らしてコクテールが呑めるといふんだから安価なものさ。』と云って嘲笑してゐる人もあるさうに聞いてゐる。」 

 このような洋酒を主に呑ませる「バー」や「クラブ」といった場所に表立つ女主人を「ママ」とか「マダム」と呼ぶ呼び方がいつ頃から一般化してゆくのか、まだよくわからない。だが、少なくともこの時期、彼女はまだ「おかみさん」であり、時になじみの客などからは親しみを込めて「おばさん」とさえ呼ばれている。ちなみに当時、照葉は三十代半ばだ。

 その「おかみさん」としての彼女の主な仕事場はカウンターの中。服は和服に割烹着。呼ばれれば出ていって挨拶くらいはするが、テーブルについての接客は基本的に雇っている女給たちの仕事で、なおかつ朝鮮人のバーテンも別にいる。だが、特定の客ではなく、店の中の客をまんべんなく相手にしながら、自らも酒を呑んでみせ、時に酔っ払っても見せる、そんなかなり拡散した自意識の構え方を要するような、それまでの水商売にはなかった種類の緊張が彼女を襲ったとして不思議はない。

「無理にも心を掻き乱して、少しの間でも物を考へたり我身にかへつてしみじみ物を思ふたりする暇のないやうに、いつも何か烈しい衝動がなければ私は気持ちの遣場もない、それが現在の私なのだ。(…)何も彼も焼け爛らせてしまうやうな強烈な酒を売って、その酒の為に泣いたり笑ったりする人達の気持に刹那刹那に共鳴を感じて、自分も又酔ふ――強烈な酒の刺激を求めて自分を忘れる迄呑む。私のこのごろは恰度自分を殺す為に酒を売ってゐるのが本当で生きんが為の商売ではない。」 

 先の客の口吻にある「洋酒のはかり売り」という言い方は、もちろん蔑んだものだ。当時ならばまだいくらでも酒屋の店先でやっていたはずの、角打ちと呼ばれる一杯単位の計り売りは、決して上品なものとは思われていない。わずかな金さえ払えばあの照葉の作る酒が呑める、その大衆化に伴う手軽さの魅力はまた、それまでの水商売にまつわっていた作法や格式の障壁との落差によって、容易に軽侮にもつながる。

 だから、「私はちつとも恥しくない」と、かつて芸者だった彼女は懸命に胸を張り、ツッパらねばならなかった。

「お客さんたちは、わざわざお金を持って私の御機嫌を取りに足を運んでくれる。テーブルへ挨拶に一寸頭を下げに行ったらすぐシャンパン位は抜いて私の為に祝福してくれる。お酒を呑むのかお金を噛むのか分からない程の高価なコクテールをいくらでも呑ませてくれる。私が呑めばお客さんたちはいよいよ悦んでくれる。酔ふてクダを巻けば又悦んでくれる。(…)私の気に合ふレコードを掛けて次から次へ変った音楽をきゝながらコクテールは飼ってに口に合ふやうに自分で混合するし、話の合ふお客さんが来ればテーブルへ行って呑んで愉快に話をする。この酒場へ一歩足を踏み入れた私には誰も私の頭を押へる者がない。」

 客の御機嫌を取りもつのが芸者の仕事であり、客商売とはまさにそのような目的のための技術と知恵の上に成り立つ仕事だったのが、ここでは微妙にねじれてきている。「私の店」という意識はそれまでの水商売とは違った規模、違った文脈で肥大して、そこにもまた「自由」や「気儘」といった表象がまつわって新たな“女”の価値を導き出してゆく。いずれかりそめの自分を演じて見せねばならない水商売にせよ、その演じ方の方向や微細な内実はこの時期、それまでとは違うものになってゆき始めていた。