『マルコポーロ』廃刊について

 『マルコポーロ』廃刊の一件である。

 記者会見で文春が社長の田中健五名義でリリースした手紙を読んだ。ひどいものだ。いわゆる差別問題がらみの「糾弾」に対するルーティンの「謝罪」文書とどれだけ違うのだろう。いかに今回の問題がお粗末でも、こういう膝の屈し方をしなければならないと判断した、その理由を知りたい。事実、廃刊と聞いてイスラエル大使館が驚いていた、という話も耳にした。こういう見識なき卑屈さは、また別な効果を現実にもたらしてゆく。

 断わっておくが、問題となった原稿「『ガス室』はソ連の捏造だった」の内容の真偽については判断のしようがない。一読者の素朴な感想としては、二次資料の整理・紹介にとどまっている分、説得力に乏しいし、ガス室の有無をめぐる論証と民族絶滅が政策として存在しなかったという主張との間にも飛躍があるように思う。ただ、そこで紹介されていたような議論が海外で存在していることは事実だろうし、そのことについて地道に検証する作業も、そのための場も、どこかで必ず保証されるべきだろう。

 ただ、問題はその検証が果たしてどのような水準で行なわれるのが穏当なのか、ということだ。そうなると、真実は何かということだけでなく、そのような検証が保証されるべきメディアとその社会的効果に伴う責任、といった実践の領域が必ずからんでくる。このふたつの水準が混同されるから一瀉千里の「解決」を目指して、あのような性急な廃刊といった卑屈な対応も出てくるのではないか。

 たとえば、あるできごとに対して何らかの“情報操作”が行なわれ、真実が隠されていたとして、その隠された結果をもとにその後の現実が進行してゆくということは常にある。また、情勢の変化などによって、後にそのことが明るみに出るということもある。東西を問わず、冷戦崩壊後に流出してきた情報による近年の「歴史」の混乱を思えばいい。だが、だからと言って、その間進行した現実をいきなりもとの地点にまでリセットしてしまうことは、論理的にはともかく現実問題としてはできない。いかに明るみに出た真実だとしても、それをそのまま眼の前の現実に適用すると膨大な軋轢を生むこともまた確かだ。

 と同時に、そのような明るみに出た真実もまた同時代の情報環境に規定されている、という難儀な現実もある。真実はひとつだけ、というのはそのできごとが立ち上がった瞬間においては全くそうだが、それがさまざまに言葉にされ、媒介され、記憶され、伝えられてゆく経過において、さまざまな解釈のズレは当然生じてくるし、そのズレがそれぞれに枝葉を繁らせ、新たな現実を切り開いてもゆく。歴史が“おはなし”であるというのはそういうことだし、それらのズレをも含めてなお「歴史」と言い得るだけのパラダイムの転換を、今世紀半ばこのかたの情報社会化の流れは突きつけているはずなのだ。

 それが「歴史の風化」なのか、それとも、同時代の縛りが解けた結果の「真実の解凍」なのか、その判断はたぶんイデオロギッシュにならざるを得ない。だとしたら、問題はそのようなズレが眼前に生じてゆく局面に立ち会う時、どこまで穏やかに現実に対応させてゆくのか、その実践的な方策や処方箋についての議論が介在してこざるを得ないはずなのだ。だから、ことはメディアに対する自覚、歴史認識の実践といった側面が強くなる。

 少なくとも内容だけを言えば、いわゆるユダヤ陰謀史観にのっとったものも含めて、もっと粗雑でアブナい本は他にいくらでもある。日本語という天然の対外障壁のなせる部分も大きいのだろうが、にしても、向こうさんが読めない分は仕方ないというのか。それとも、広告資本を媒介にしたコントロールの効きにくいメディアはお目こぼしということなのか。ここらへんもまた、すぐれて実践的な問題になる。いずれにせよ、何ら見識もない即時の廃刊という対応は、この国の外交と同じ、ある世界観、歴史観に立った意志を現実に実践させてゆく際の、言わばパワーポリティクスの発想の欠如に根ざしているように、僕には思われるのだが。