たけしは「震災後」とどう対峙するのか

 「震災後」という前提に立ってものを言ったり考えたりする風潮が強まっている。冷静な思考と判断とを一気に放り出して楽になるための免罪符という意味では、かつての「非常時」「新秩序」などのもの言いと選ぶところはない。何かそのようなもの言いによって素直にうなずき、うっかり腰すら浮かせてしまう気分がすでにここまでこの国の社会に根を張っていた、そのことは今回の震災によって図らずも明らかになったことのひとつだ。

 たとえば、今回大きくクローズアップされた「ボランティア」について。 “役に立たない行政”に対して市民のボランティアが頑張った、というのは事実だろう。そのことはもちろん高く評価すべきだ。だが、その行動の向こう側にある個の内実や、社会的実効性にあいわたって考える可能性まで一律に切り捨てていいわけではない。なのに、自分が果たして現地に駆けつけるべき立場の人間かどうかについての自省は、ともすれば「気持ち」や「善意」の前に棚上げされ、「何かできることをしなければ」という強迫観念が増幅される。その意識のありようは、先を争って「現地」へ殺到したニュースキャスターたちにも通じている。その程度の「行動」ならば、むしろその費用を義援金として渡す方が役に立つ、という冷静な判断もまた人それぞれの主体的な自省のうちに宿り得る、そういう余裕が常識になることが、風通しのよい市民意識の真の成熟の証しではないのだろうか。

 そんな「震災後」の空気の中、たけしが七ヵ月ぶりにテレビに「復帰」した。

 復帰番組となった四日夜の『平成教育委員会』(フジテレビ)の視聴率は、瞬間で四〇パーセントを超えたという。だが、見ている限り熱狂的な印象はなかった。むしろ、その場の出演者みんな微妙に腰の引けた対応をしている感じだった。彼が自分の事故をネタにすればするほど、場にとまどいの波が走る。約束ごととしてウケ笑いをしてみせてはいるが、しかし誰もたけしの顔を直視しない。瀕死の重傷から生還した人に対するいたわり、といった単純なものではない。はて、この居心地の悪さは何だろう、とあれこれ思いめぐらせているうちに、エイズ患者や身体障害者など、いわゆる「差別」問題をめぐるメディアの雰囲気に通じる、ある匂いがわだかまっていることに気がついた。それは、そのような人間がそこに存在していることに対して腹くくって関わり、つぶさに言葉にしてより良い関係を構築してゆこうとする意志の欠如からくる判断停止の気配である。嫌悪や憎悪の感情と共に主体的積極的に無視するのではない。漠然とした、しかしその分誰にとっても

適度に便利な大文字の正義となった「善意」や「やさしさ」任せにして、言葉へ向かう主体的な意志を蒸発させてしまう。つまり、「善意」によってなかったことにする、のだ。

 単なる「お笑い」芸人だったし今もそのはずのたけしが、ここ十年足らずの間に半ば論客や思想家のような語られ方を獲得していった経緯は、最近の小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』や、テリー伊藤の『お笑い日本共産党』といった仕事を支える気分を先取りしていた。これまで一律に価値あるもの、権威あるものとされていた言葉やもの言いが、同時代のリアリティから絶望的にズレ始めていることを「お笑い」を武器に露わにしてゆく。それは、すでにひからびたかに見える現実を、身についた言葉ともの言いとでもう一度語り直してゆこうとすることへ向けての、意図せざる解放運動の性格を持っていたと僕は思う。その結果、「お笑い」は若い世代を中心に普遍性を獲得し、単なる娯楽のジャンルにとどまらず、現実に対する批判的感性の水準を計測するものさしにまでなっていった。

 だが、そのたけしの方法が今、たけしを呪縛する。すでにある広がりを持ったはずの「お笑い」の批判力を凍結してゆく「善意」の共同性、それが彼を包囲する。ひと昔前なら、瀕死の重傷から立ち直った芸人、といった「美談」の枠組みで復帰を語ることもできたろうし、何より当人もその枠組みを拒否しなかったろう。だが、そのような「美談」の自明な語り口そのものがすでに同時代からズレているのだ、ということを「お笑い」によって明らかにし、広汎な支持と共感を獲得していったたけしには、それはできないはずだ。

 今回、彼は番組途中から大道具の裏方に扮して登場した。無茶を承知で言えば、いっそ震災被災者の格好で出てきて裏返しに「みなさん、元気を出しましょう」とやる仕掛けだってあり得たと思う。たとえば、初期の『元気が出るテレビ』(日本テレビ)が組織した共感とは、そのような「お笑い」を媒介に陳腐な「美談」を異化し、いきいきとした“おはなし”として再生しようとする、現場の果敢さの上に宿っていた。もちろん例によってまた非難轟々だろうが、しかし今、たけしの獲得した立場に立ってそれをやる限り、これまでそのような「お笑い」の批判力に覚醒してきた同時代の共感もまた同じだけ得られたはずだと僕は思うし、何より、かつての彼はそれくらいのことを平然とやっていた。

 今回の復帰に際してそのような方向を選択しなかったことは彼の方法的意志なのか、それとも、彼すらこの「善意」の共同性に翼賛してゆく前ぶれなのか、それはまだよくわからない。ただ、この漠然とした「善意」や「やさしさ」の充満する「震災後」の空気の前に彼がどのように対峙してゆくのか、それはひとりの「お笑い」芸人の馬鹿げた交通事故の後始末というにとどまらない大きな問いを内包している。漠然とした「善意」や「やさしさ」任せの無責任で、「お笑い」の獲得してきたものを窒息させてはいけない。それは、社会についての新たな“おはなし”を構築してゆく可能性を扼殺することに通じる。*1

*1:この原稿、翌春の國學院大学文学部の入試試験(現代国語)の問題文になっていた。後で大学からお茶が贈られてきて初めて事情を知り、びっくりした