震災後の軽挙妄動

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「どうなるだろうと皆が案じている。どうにかなるだろうと何かわからないものに頼っている。国を挙げて上から下から何とかしなければならないと考えているが、どうしたらいいかということははっきりしない。「今は実行の時だ、議論をしている時じゃない」などといってどなりたててごまかそうとする人はいる。どうしてこうなったか、こうすればどうなるか、何故かくかくの処置をとらなければならないか、ということを大衆に向かってじゅんじゅんと説明してくれる人はないい。いないはずである。それらの音頭をとっている連中からして何らの見通しもなく、漫然といわゆる当面の糊塗をやっているに過ぎないからである。」

 最近どこかの新聞に載った論説の一節かとお思いかも知れません。どういたしまして、今から五十六年前、昭和十四年に書かれた文章です。筆者は斎藤*という人。『戦後の思想問題』という軽装版、オムニバス形式の小さな一般啓蒙書に収められた「戦後の思潮」と題された原稿の冒頭の部分。この「戦後」というもの言いはもちろん、今の僕たちが普通に共有している辞書機能におけるそれとは異なり、日華事変をものさしにした「戦後」です。

「日支事変がこの時代の方向に影響をもつであらうことももとよりである。われわれ今日以後においては、もはやこの戦争を語ることなくしては、日本について、東亜について、或いは世界についてさへも語ることがゆるされないであらう。この戦争は一つの決意の表明であり、この決意の線に従って発展する。戦後に予想されるものはその収穫である。しかしまたこの戦争が時代の線に沿ひ、時代精神の表明であることも争へない。われわれはこの時代をほかにして、日支事変を説明する言葉を知らないのである。」

 こちらの筆者は室伏隆信。同じ本に収められた原稿の一部です。

 よくあるやり口ですが、これらの文中の「日支事変」や「戦争」を「阪神大震災」に、「戦後」を「震災後」に、それぞれ置き換えてみて下さい。いかがです? 自分が当たり前に持っているはずの「歴史」像の遠近法がだまし絵のように揺らぐ、そんな感覚、ちょっとありません?

 あ、まだピンとこない。ならば、こういうのはどうでしょう。昨日、天野祐吉がテレビの朝のワイドショーのコメンテーターでさも得意げに言ってたんですけど、なんちゃって。

「一言にして云へば、指導者達の間に於ける「思想の貧困」が現段階日本の一つの世相をなしてゐる。(…)「思想の貧困」といふことは少なくとも今日の段階にあっては「人物の欠乏」といふことを招来してゐるといふことができる。現在の指導者達は要するに「烏合の衆」である。世界観的に何等の連絡が無い官僚群であるか或は自己の利権漁りに終始する時勢遅れの政治家達、即ち「思想を所有しないでも生きてゆかれる人々」である。ところが、国民大衆にあっては却て「思想」が緊要欠くべからざる生活の糧となりつつあるのである。」

 「歴史は繰り返す、ほらほら、またあの暗いファシズムの時代に回帰しつつあるのだ」てな“おはなし”の定型は、『日刊ゲンダイ』の一面あたりから誠実オヤジ左翼系雑誌の言論に至るまで、すでにこの国のもの言いの古典芸となっているようで、今さら別に珍しいものではありませんし、僕もわざわざこの場でそんな古典芸の下手な物真似をするのが目的ではない。第一、こういう「歴史は繰り返す」式もの言いのいやらしいところは、「俺にはわかっているんだ」的な何やら預言者めいた特権性に今からちょいとツバだけつけといて、そのくせそんな歴史が繰り返すのは困ると言いながら、ならば〈いま・ここ〉で具体的にどうすればいいのか、有効な実行案を絶対に示さないところにあります。ご本人は「危険な世相に警鐘を打ち鳴らす」つもりでいたりするのですが、世間の方はそんな「警鐘」をまともに聞いてくれたためしはありませんから、いずれそんなご本人の意識は屈託してゆき、ますます居丈高になったりする。そのあたりの不自由は、そういう人たちが嫌いがちな、世間をひとくくりに「愚民」と見下してニヒってしまう新・保守主義系論客の悪弊と選ぶところはありません。

 なるほど、最近の世相を表層ですくいとり、不況と震災と爛熟した消費文化と、といったアイテムを「世紀末」てな調味料で味付けしながらつなげてゆけば、「歴史は繰り返す」のもの言いもうっかりもっともらしく聞こえてもきます。でも、「歴史は繰り返す」のが真実だとしても、ならば余計に、何をどうすれば繰り返さないですむのか、そのことの方策についてきちんとそれぞれの作業として身についた言葉で考えられるような条件を整えてゆく。それが、かつて柳田国男の言った「自省」へと至る道すじでもあるわけですから。

 
 
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 軽挙妄動、という言葉があります。一般的に言ってあまりよろしくないイメージで流布される言葉ではあります。この軽挙妄動を自ら反省して抑え込むことが、どこかで薄くなり始めているんじゃないか、そういう恐れがまさに「震災後」の今、僕には強くあります。

 例をあげましょうか。たとえば、メディアの舞台などでは極めて言いにくい状態になってしまってて、それ自体かなり驚きつつ、こりゃ何なんだろう、と僕は思っているのですが、今回の震災で大きくとりあげられたボランティアにまつわる問題です。

 とにかく「現地」へ行かねばならないんじゃないか、という気分は、実際に足運んだ人以外にもかなり広く共有されていたように、僕は感じています。「いてもたってもいられない気持ち」といったもの言いで、急に視線を斜め上方にあげ、“絵になる”表情と共に意識まで作っちまう雰囲気は身の回りでもそこここで見られました。テレビなどはそれがあちこちで捕捉されていて、これはある報道番組でしたが、被災者で身体の不自由なお年寄りのいるあたりに放火して回っている奴がいる、という通報に、そんなお年寄りを救う活動をしていたボランティアの一人が「どうしてそんなことをするんだよッ」と実にこう芝居がかった身振りで机につっぷして、カメラに向かって泣いて見せたシーンなどは、未だに総毛立てるくらいにいやらしくわざとらしいものでした。その活動自体はもちろん尊敬に値することですが、こういう意識の水準も含めた軽挙妄動の痕跡は、「役にたっているのだから」一発で全部問わないままにしておいていいものでもないはずです。

 僕自身は「現地」に行くことを意識的に避けました。連載で仕事をしていた『毎日新聞』などは、震災当日から「行きますか?」と言ってくれたのですが、僕ごときが行って何ができるあてもないし、何よりそんなもの、テレビから新聞、雑誌に至るまで本当に山ほど報道関係者が殺到しているのが明らかな中にわざわざ邪魔になるようなことをするつもりもありませんでした。その代わり、そんな軽挙妄動気味の気分を先取りして増幅し、「現地」に殺到する報道のありようから、一歩ズレたところから見えるものは仕事の範囲で確実に拾おう、ということを担当記者と話していて、実際それは後に災害用トイレの製造メーカの取材などになりました。本業が学者としての僕の仕事として関われる範囲としては、まずこんなところだったはずだ、と思っています。

 と同時に、「現地」へ行ってきた人たちの話は積極的に耳傾けようとしました。その中でもまた、ひとくくりに言われるボランティアがかなり玉石混交であることを、自らの体験を語る彼ら彼女らの言葉の水準から改めて思い知った面もあります。

 たとえば、NHKの連中の話を聞きました。地震が起こった翌日の朝から現地へ投入され、半月ばかりそこで頑張ってきた連中です。以前、一年間一緒に番組を作ってきた時のスタッフがたくさんいました。

 その見聞によれば、ボランティアをやりたい、とまさに「善意」でうっかりと腰を浮かせてしまった人たちが、神戸市役所にたくさんたまっていたそうです。ほとんどが若い人で、外国人も多かった。彼ら彼女らは全くの個人でやってきたわけですから、土地カンもなければ人脈もない。そこで仕方なく市役所にやってくるんですが、そんなもの市役所も対応できるわけがない。理想論を言えば、そういう善意の個人の申し出をきちんと役に立つよう配分するのも役所の仕事のはずだ、ということにもなるかもしれませんが、僕はそこまで今の日本の役所に要求するのはひとまず酷だと思っています。だとしたら、その「善意」でうっかりと腰を浮かせてしまう自分をそれぞれが制御して、まさに「現地」で役に立つようにゆくしかない。でないと、ボランティアに実効性に見合った「質」が内側から宿る可能性はつみとられてしまう。

 「何かできることを」という「善意」は確かに尊いかも知れない。しかし、その「できること」から何を選択して行うのか、という判断についてはよほど慎重に考える必要があるかも知れない。そのことも同じだけそれぞれの責任において考慮されるべきでしょう。今ある軽挙妄動に対する批判力の抜け落ちたボランティア翼賛は、僕などに言わせれば、NGOや市民運動の現場での経験を蓄積したあたりからまっさきに批判し、自ら「質」の論理を創出してゆかねばならないような代物だとしか思えないのですが、いかがでしょうか。

 
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 「気持ち」というのが結構重要なもの言いとして流通し始めているような気もします。「被災者の気持ちを考えて」というマクラでどれだけいらぬ「自主規制」がメディアの現場から発して日常にまで浸透していったか、考えるにあまりあります。*2

 これは他でもない僕の経験ですが、先日夜中にクルマで走っていてちょっとした検問にひっかかった時、若い警官が僕の免許証に記載された本籍地が兵庫県神戸市であることを発見するやいなや、電気に打たれたように緊張して言葉遣いまで敬語になったのには笑ってしまいました。

 誰もがそこにいない「被災者」の「気持ち」を「考える」ことをどこかでするようになってしまっている。しかし、こういう「気持ち」ほどあてにならないものはありません。「○○の立場に立って」というのも基本的にこの「気持ち」につながるような「善意」や「やさしさ」のありようを強要するもの言いでしょう。

 立場に立つ、そのことはもちろん大切です。しかし、それはそのまま他人になるということではないはずです。弱い人の立場に立つ、ということは自らその弱い人になってしまうこととは違う。他人に自分の問題をあずけて一気に楽になってしまおう、という姿勢は、大文字のイデオロギーや思想に身をあずけるのとどこかでよく似た、最も悪い意味での宗教にも通じる姿勢を作り出すもののようです。

 同じように、「戦後五十年」がらみで最近またよく眼につく「アジアの戦争被害者の立場に立つ」といったもの言いなども、だからと言って日本人であることを棚上げすることではないだろう。今のこの国は、どうあがいたところで世界一豊かな国の一員であるわけで、いくら「自分はそうじゃない」と言い張っても何しても、その一般的条件を自ら引き受けようともしない「善意」など、それこそアジアも含めた海外からはよほど信用されないんじゃないでしょうか。おまえはそれでも日本人か、てなもの言いを持ち出すとそれこそ「右翼」とまたいらぬレッテル貼られそうですが、でも静かにそのようなもの言いを吟味してみれば、おまえはどこの場所と関係とで生きねばならない人間なんだ、ということを問いかけているのかも知れない、という程度の反省は十分できるはずです。

 日本人であることを恥じる、そんな意識ももちろん持つことがあっていい。でも、それは自分を棚上げすることではないだろう。原爆を恥じてアメリカ人であることを拒否する、てな白人がいたとして、悪しざまにアメリカを悪く言うばかりの人間を本当にそのまま受け入れることができるでしょうか。僕にはできない。僕は「信頼」というのは「誇り」を持った個人の間に成立するものだと僕は思っています。もっと言えば、引き受けざるを得ない自分の立場や条件について最低限受けて立つ、そんな「誇り」によって「自分」の輪郭をはっきりさせようという意志を明確に自覚した個人、ということです。

 
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 この「震災後」に明らかになったのは、みんな自信がなかったんだな、ということです。それはわれわれがこともなげに使い回してきた「豊かさ」というもの言いの内実にも関わってくるのですが、何かそういう「豊かさ」がうしろめたい、自分たちが獲得したものとして胸張って言うのがいけない、そんな雰囲気が濃厚にあるし、またそんな人ほど「善意」の共同性任せの軽挙妄動に走ってしまう。その不安もひとまずよくわかる。

 でも、何をそんなに恐れているんでしょうか。何をそんなに、せきたてられるように自分の「善意」を証明しようとするのでしょうか。

 これはビートたけしの発言だったと思いますが、あの被災者の中には救援物資を拒否する人はいなかったんだろうか、避難所の救援活動を横眼で見ながら、あいつらの世話にだけはならない、そうつぶやいていた人もいたんじゃないか、そういう問いは、一見ためにする異論のように見えても、実は相当に大きな課題を内包しているはずです。それは、どんなに苦しくても福祉の世話になることを潔しとしない、この国の世間が育んできた「個」のある倫理の感覚にも通じるはずだと思うからです。「善意」をタテに自分の自信のなさに軽挙妄動したかも知れない、そのことを顧みようとしなかった人は、そろそろその軽挙妄動の意味を、少し静かに考えてみてもらってもいいんじゃないでしょうか。何より、時代は、決して「時代は繰り返す」などともっともらしくつぶやく者たちに都合のいいようには繰り返してくれなどしない、そのことだけはまず確かなことなのですから。

 

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*1:『社会運動』(市民セクター政策機構) 掲載原稿。生活クラブ生協シンクタンクの機関誌。なんでそんな媒体に、とお思いだろうが、実は古いつきあいだった。担当編集者のIさんという具眼の士がまだ駆け出しの頃に声をかけてくれて、連載などもしていたし、まとめて単行本にもしていた。ほれ、こんなの(´・ω・)つ 

大月隆寛の大問答!

大月隆寛の大問答!

 

 まあ、例によってもう忘れられている仕事のひとつ、ではあるようだけれども、後のウヨ/サヨ沙汰、昨今に至るまでのそういう「戦後」由来なイデオロギーの現われ方が「運動」の現場でどうズレたものになり始めているのか、あたりのことは結構マジメに、架空対談形式でしつこくやっていたし、実際当時生活クラブで働いていた若い衆と座談会などもやったことがある。そのへんの原稿が発掘できていないのが申し訳ないが、そのうちひょいと出てくるかも知れない。その時はまた改めて。……20190116

*2:おキモチ原理主義、と昨今言われるような風潮がすでに下地が整えられていたこと。2019年段階の感想。