民主的「制限選挙」のススメ

*1


 今から六年前、アントニオ猪木が初めて出馬した八九年の参院選の時に、戦後選挙史上例を見ない大量の無効票が出た、という話がまことしやかに語られたことがあります。

 この、事実かどうか普通の人には容易に確認できないという意味ではまごうかたなく噂や都市伝説の範疇にあるささやかな“おはなし”について、以前、僕はこのように書きました。

 フォークロアかも知れない。だが、選挙運動を通じ、「猪木」ではありません、比例代表区ですから「スポーツ平和党」と書いて下さい、と猪木自身がいくら訴えても、「イノキ」としか書けない、書こうとしない、おそらくは“若い”というだけの連中が投票所に押しかけ、山ほど無効票を生んだ、その可能性は間違いなくある確かさを伴っていた。


 それはずっと“その他おおぜい”だったものが、たとえ勘違いであれ、何かを期待した瞬間だったはずだ。あの猪木が国会に行くことで何かが変わるかも知れない、と彼らは思った。もちろん、どう変わるのか、いや、それ以前に自身どう変えたかったのか、ひとりひとり胸ぐらとっつかまえて尋ねてみても、何ひとつまともな言葉は返ってこないだろう。それはその程度の“その他おおぜい”が考えなしにうわついた、ただそれだけのことだ。


 だが、それだけでしかないということをその“その他おおぜい”にきちんとわかるように教え、諭し、そこから先、ひとかどのものになる手立てを手ほどきしてゆこうという立場はついに作られなかった。その程度の、それまでロクに手をかけられず放ったらかされたままだった“その他おおぜい”がそのままうっかり投票所に来てしまい、一票を行使するかも知れない、という事態が今や眼の前で平然と起こり得ることに、こりゃまずい、と思い、“それから先”を真剣に引き受けようとする大人が、もうこの国にはいなかった。


 手垢のついた民主主義の題目をそこら中に貼りつけては判断停止の言い訳にする評論家たちのように「若者」万歳とトチ狂うか、皮肉に口もとゆがめた新・保守主義者たちやそのうわずみの批評的雰囲気だけをかっぱらって茶化す同世代の八〇年代病患者たちのように冷笑するか、態度としてあるのはおよそそのどちらかだった。
(『朝日ジャーナル』1992年4月24日号「書生の本領 /“一般的気分”だけが残った」)

 今さらもっともらしく言うまでもないことですが、選挙をめぐって語られるさまざまなもの言いと現実に行なわれる選挙との間には、すでに絶望的な距離ができてしまっています。それはホンネとタテマエといったありきたりの水準ではない。近年言われる「観客民主主義」の比喩で言えば、観客にとっての政治と、グラウンドでプレイする者にとっての政治とが、まるで異なるリアリティになっているということです。

 最も広い意味でのジャーナリズムというのは、それら異なるリアリティ相互を連絡させ、共有すべき大きなリアリティの水準を構築することに役立つのがその本領だと思うのですが、八〇年代以降急速に広がりを獲得した観客のリアリティにおもねるところから始まるワイドショー的報道が、プレイヤーのリアリティに依拠した古典的な政治報道の水準を分厚く取り巻いていて、その状況に観客もプレイヤーもいらだっているだけです。評論家も政治家も一般市民も、誰もが何かというと「メディア」や「マスコミ」といったもの言いで無条件の“悪者”を作り出し、ひとくくりに糾弾気分を増幅させてゆく昨今の状況も、本質的にはこのようなリアリティの複数化に対するフラストレーションが社会的に広まっていることにあるはずです。

 とすれば、新聞の社説あたりが未だ十年一日の如く繰り返し嘆いてみせる「国民の政治的無関心」の内実も、二十年前、三十年前ならいざ知らず、今の時点ではそのようなリアリティの複数化によってもたらされる「積極的無関心」、言わば「観客という立場の主体的選択」といった部分も含まれている。「観客民主主義」がその可能性も含めてこれまでの「政治的無関心」と異なる位相をはらんでいるとすれば、まさにこの部分です。

 たとえば、近年選挙のたびごとに棄権する人が増え、投票率の低下が進行していると言われます。それでなくても、みなさん投票に行きましょう、というキャンペーンは、選挙管理委員会はもとよりテレビや新聞、雑誌に至るまで必ず行なわれています。

 だが、意地の悪いことを承知で問えば、万一そのようなキャンペーンが見事効を奏して投票率がめでたく100%になったとして、果たしてそれがどのような結果をもたらすのか、これまで誰か真剣に考えた人はいるのでしょうか。シミュレーションでいい、これは専門家の手でぜひ一度やって欲しい。今のこの国の社会のありようでは、投票率100%ということはすなわち浮動票が50%近くを占めることになるそうですから、まさに国民規模の単なる人気投票ということになるのかも知れない。あるいはまた、たとえ投票率100%でも今ある選挙結果とさして変わらない、その程度には今の高度大衆社会の均質性を反映したものになるのかも知れない。いずれにしても、有権者全てがそれぞれの責任において投票を行なう、タテマエから言えばこれは民主的選挙の理想の状態ということにな
るのでしょうが、しかし、現実にそのような事態を想定した上で、みなさん投票に行きましょう、というキャンペーンが行なわれているとはとても思えません。

 ただ投票率をあげればいいのなら、いくらでも方法はあります。たとえば、選挙を完璧にバクチにしてしまえばいい。投票券に番号でもつけて宝くじのように賞金をつけて射幸心に訴える。なにせ、選挙の投票率はいかに低くても選挙速報の視聴率だけはかなり高い数字を保っているわけですから、観客としての選挙への関心は高い。これがバクチとなれば今より確実に投票率はあがります。戦前の普選並みの80%台だって夢じゃない。

 しかし、民主的な選挙というのが望むべき状態だとしても、それは今のような社会においては、ただ一律に投票率をあげようとすることで保証されるようなものでもないでしょう。「民主的」というもの言いの内実を考えれば、逆説的になりますが、制限選挙の形をとりながら民主化してゆくような、そんな手続きのありかたも模索してみる必要がある。すでに陳腐化した「民意を反映する」というもの言いの中に、そんなものアホらしくてつきあってられっかよ、という「民意」もきちんと織り込んでゆく。それが単なる責任放棄や思考停止、あるいは無責任な面白主義でなく、熟考した上で主体的に選択した結果であるならばなおのこと、ひとつの「意志」として尊重してゆく回路は設けておくべきではないでしょうか。


●●
 ひとまず、投票率の低下と棄権の増加を眼前の事実として虚心に受け入れ、そこからもう一度あるべき「民主的」選挙のありようについて、素人の立場から素朴に考えてみましょう。

 棄権が良くないこととされる理由は、おおざっぱに言えば、「政治的無関心」の現われである、という解釈が前提になってきたからでしょう。しかし、静かに考えれば、選挙に対する棄権をそのまま「政治的無関心」に結びつけるのはかなり粗雑な話です。それでは、裏返せばどんな考えなしの投票でも投票したということでそのまま「政治に関心がある」ことになってしまう。ここでは棄権という行為の背後にある内実は問われないまま、たとえば、政治に高い関心があるがゆえの棄権、という可能性などは切り捨てられています。

 ある意味でこれはそこらの「衆愚」論よりもこの国の人々を馬鹿にした話です。普通選挙についての慣れぬ羽ばたきの訓練として、最初はそのような啓蒙の段階も必要だったでしょうが、いつしか戦後五十年、普選の導入からならば七十数年、未だに同じ水準でしか普通選挙の現実を語れない、語ろうともしないのはどんなものでしょう。

 今のこの国の高度大衆社会では、そんなものアホらしくてつきあってられっかよ、という政治に対する批判力が今や相当に濃密なものになってきています。少なくともワイドショー的な文脈での政治報道という限りでは、これまでは考えられなかったような広がりで“観巧者”としての観客だって育ち始めているかも知れない。もちろん、それは古典的な政治報道の脈絡では、政治や選挙のことをよく知らないし真面目に知ろうともしない無知な「その他おおぜい」の場当たりで気まぐれな無責任としかとらえられないようなものですし、またそれは未だある部分で真実ですが、しかし昨今、遅まきながらそれらの文脈も含めたメディア戦略が重要だということに気づいたらしい政治家たちがおっとり刀でやたらとテレビへ出て愛想を振りまいたところで、そのような“観巧者”としての大衆社会の批判力の前にはどのみち無残な見世物にしかならないのは、すでに誰もが見聞していることでしょう。ワイドショー的政治報道のもたらした現実を真面目/不真面目という軸だけでとらえ、断罪するだけでは、何もこの現状を打開する助けになりません。

 ならば、ここはひとつ太っ腹に構えてみましょう。それは「その他おおぜい」が政治に無知なままというだけでなく、無知だけどそのような観客としての成熟はしているかも知れなくて、しかしその成熟のありようをうまく言葉にできていないから自覚もないままということなのかも知れない。「観客民主主義」を一律に政治的無関心と無責任の蔓延と否定的にとらえるのでなく、敢えて可能性の相において考えようとすれば、そのように政治に関わる当事者性ということの意味も変わってきている可能性を考慮していい。だとすれば、投票を唯一のメルクマールにするのでなく、観客としての当事者、傍観者としての責任ということももっと前向きに考えて言葉にし、その立場を互いに自覚しておく仕掛けを整える必要だってある。少なくとも、いわゆる政治や選挙を語るこれまでの作法には、そ
のような“責任ある観客”の成育を待つ度量があまりに宿らなさすぎるように僕には思えます。

 “89年の参院選で起こっていたかも知れないこと”についての先の原稿は、このように続いていました。

 “その他おおぜい”が“その他おおぜい”であることの証しは、自分のやっていることを自分の言葉で説明できない、しようとも思わない“一般的な気分”である。それは「みんな」というもの言いに象徴的に託される。「みんなそう思ってるんだから」「みんなやるんだから」――こう言う時の「みんな」とは、自分も含めて単なる“その他おおぜい”であることに居直るための“一般的な気分”を引きずり出す呪文(コピー)に過ぎない。


  “一般的な気分”しかないから、この「みんな」に立場はない。立場はないが感情はあるし、感情があるからなんだかわからない自分はある。なんだかわからない自分があって、それでも立場はなくて、で、それが“一般的な気分”という根拠だけで動くとどうなるか、というのはもう壮大な無責任しかない。三年前のあの参院選は、喫水線ギリギリ最大限太っ腹に解釈すれば、その無責任からどのような責任をこの先つむぎ出せるかという実験の糸口にもなり得たはずだ。だが、その後の猪木や社会党がどうなったか。今や都市だろうが農村だろうが、若い衆だろうが年寄りだろうが、男だろうが女だろうが、立場なき“一般的な気分”はほぼこの国の全域を覆い尽くし、その“一般的な気分”でしか動けない“その他おおぜい”たちが、一億二千万個のさめたタコヤキのようにくっつき合う。そして、おのれを省みぬまま、選ぶべき未来の見えなさに横着な不満ばかりを募らせている。


 それでも選挙はある。投票率が伸びなければ、新聞は何か悲しむべきことのように報道し、ニュースキャスターは「有権者の無関心」を型通りに嘆く。だが、この国に“その他おおぜい”しかいなくなり、無責任が人間の条件となったことを放ったらかしたまま、ただ人を集めればいい、投票率を上げればいい、という広告代理店並みの態度を“一般的な気分”にしておいて、あんたら、この先どんな「民主主義」があるってんだよ!

 このような状況の中では、こんな「衆愚」に動かされる「観客民主主義」ならば、いっそ制限選挙の方がマシかもね、という感覚も出てきます。それは、ビートたけしの「なんでおいらの一票と風俗のおねえちゃんの一票がおんなじなんだよ」というもの言いに象徴されるようなものです。どうして「風俗のおねえちゃん」を「衆愚」の代表にもってくるのか、というあたり、突っ込んで考えれば別の大きな問題も出てくるのですが、この場では深入りしません。

 なるほど現在、これなら制限選挙の方がマシかも、という感覚にうなずける状況は確かにある。素朴な実感としてそれは個人的にも認めます。しかし、ならば実際に制限選挙の可能性を考えるとして、どのような基準で選挙権を「制限」するのか、というところで、この感覚にそのまま依拠する立場は大きな問題にぶち当たります。

 この、制限選挙の方がマシかも、という感覚を根底で支えているのは、そのような高度大衆社会に対するフラストレーションから発する「衆愚」観です。その意味では、大衆社会化の現実をポジティヴに見るかネガティヴに見るかによって、これまで選挙に対する評価の位相も変わってきているわけですが、しかし、少なくとも今のこの「衆愚」観を前提にした制限選挙論は、具体的な方策を考えた瞬間にこの高度大衆社会の現実に復讐されて身動きがとれなくなる。高度大衆社会であるがゆえに、その「制限」の基準が現実に設定できないというジレンマに陥るのです。

 納税額や年齢、性別で制限した戦前の制限選挙を今の社会に単純に適用してうまくゆくのかというと、ちょっとそうは思えない。じゃあ学歴か。これも現実的ではないだろう。年収? とんでもない話だ。

 外在的な要件で「制限」できないのなら、有権者の資格試験を実施すればいいかも知れない。しかし、国民規模で行なうこのような資格試験は、運転免許試験や学校での偏差値至上主義教育の現状などを考えるとメリットよりも派生的なデメリットの方が大きくなりそうですし、何より、今どき選挙権の「制限」などを持ち出すと間違いなく「そんなの納得できない」と思う人がほとんどのはずです。他でもない僕だってそう思う。選挙権を持ちながら選挙に行かない人たちというのは今のままでも膨大にいるわけですが、それでも実際に行使するかどうかはともかく、人と同じ横並びの権利だけはひとまず確保しておきたい、それがあらかじめ自分以外の者によって制限されるのなんて耐えられない――善し悪しは別として、それが今のこの国に住む人々の普通の感覚でしょう。選挙権を「制限」
されることの辛さとは、今のこの国では政治に関与できなくなる辛さというより、他の人間には平然と付与されている権利が自分には認められない、そのことの辛さであるという部分が、個々の内面ではまず最初にありそうです。

 さらに言えば、「衆愚」観に立った平板なルサンチマンだけで「戦後民主主義」を罵倒し普通選挙を疑うのは、これまでの例では疑ったその結果他でもない自分から選挙権がなくなるということをあまり想定していないような人たちだったりしますし、またそれに対抗するのも、「衆愚」の裏返しとしての「民衆万歳思想」に立った同じく平板なルサンチマンの「戦後民主主義」擁護論者でしかないという難儀な現状もあります。そして、それら双方に浴びせられる「そりゃ何だかんだ言っても、あんたらは選挙権失わないんだろうけどさ」と横目でにらむ視線もまた今の「観客民主主義」の内側に確実にあるわけで、それら全ての立場を含めて選挙の現実に対する自分の分際をそれぞれが自覚できるような、思えば相当に虫のいい工夫が求められるわけです。

 とすれば、大衆社会化の現実をひとまずたとえ方便としてでも「衆愚」とだけ見ないように自らを方法的に律しておく、その困難な隘路をくぐることからしか今、いくらかでも豊かな制限選挙は考えられない。ひとたび普通選挙が導入され、民主主義による「平等」が過剰に強調された後の高度大衆社会における選挙権の「制限」とは、かつてのように納税額や性別といった外在的な要件によって強制的に行なわれるのでなく、できる限りそれぞれ個人の意志と判断によって主体的、かつ民主的に行なわれるしかなさそうです。


●●●
 大衆社会化と選挙との関係を考える時にヒントとなりそうな糸口のひとつに、「浮動票」というもの言いがあります。

 これがいつ頃から登場した言葉なのか、ざっと調べてみましたが、いまひとつよくわからない。だが、今使われるような意味で一般的になっていったのは少なくとも戦後、せいぜい昭和四〇年代あたりからのことではあるらしい。

 では、戦前の選挙で後の「浮動票」というもの言いに対応するような現実、つまりその時の気分によって投票行動を変える層の存在はどのようにとらえられていたのか。当時は今のような選挙予想を専門とする学者がいたわけでなく、むしろ内務省が綿密な選挙の結果予測をやっていた段階です。もちろんそれは、いわゆる「危険政党」が伸びないようにする治安維持を目的としたもので、またその結果、社会大衆党などの第三党を意図的に育成していったという経緯もあるようですが、普通選挙の導入でそれまでの制限選挙とは異なる予測困難な要素が入ってきたことは間違いない。なにせ、それまでの選挙は明らかに支持政党のはっきりした責任選挙で、相手の支持層をどれだけこちら側にひっぱり込めるかというものだった分、どっちつかずの「浮動票」というのは少なくとも選挙運動において重要な要素にはならない、無視できる程度のものだった。この「浮動票」に対応する「基礎票」にあたる部分を示す言葉は「地盤」というもの言いが早くからあったようですが、それらのもの言いもまた、普通選挙の導入に伴ってそれまでより強く意識されるようになっていったようです。

 この国の民俗学というのはこのような実際の政治をめぐる局面についてまず全くと言っていいほど蓄積をしてこなかった、その限りではかなりおめでたい学問ですが、しかし、その民俗学の組織づくりをした柳田国男が書き残した新聞論説には、この普通選挙の導入にまつわるものが後の民俗学のありようだけを当たり前とする立場からすれば意外なほど繰り返し出てきます。それによれば、「浮動票」ではないにせよ、「浮遊投票」という言い方は当時すでにあったようです。

「選挙には以前から、種々なる激越の標語があった。例へば反対者を敵と呼び、撫斬りとか首を取るとか、殺伐なる形容詞は多かったが、いはゆる無産派に至っては幾分か事を好み、わざと闘争の文字を濫用して、元気の鼓舞に供して居る。それを真剣の如く解しようとする者が、まれには無邪気なる若者の中にあった。スポーツに熱狂してさへも、時には乱闘する様な一本調子がある故に、それを怖れて老人は不当に新思想を警戒したのである。しかしそれならば、自分たちは、さういふ血気を利用せねばよいのだが、実はそのために分裂を郷党におよぼし、交遊の和親を傷けた例も古くから存する。自己に便利なる付和雷同をもって、身勝手なる平和の理想とする者が多かったために、近年の政治には忌まわしい陰険が行はれ、怨恨はむすんで解けなかったのである。八百万票のいはゆる浮遊投票は、なる程多きに過ぎまた無力に失するが、実はこれあるがために、今年の普通選挙は、この悲しむべき積弊を一掃するに足るのである。」
柳田国男「和気と闘志」『東京朝日新聞』昭和三年二月十一日)

 この「八百万票」というのは、当時の普通選挙導入によって新たに選挙権を持った国民の数をさしていると思われます。厳密には九百万人ちょっとといったところだったようですが、いずれにせよ、それまでの制限選挙に比べて有権者はほぼ四倍になった。なるほどこれは大変なことです。そうか、そのふくれ上がった部分がその後の十五年戦争を支える「民意」を形成した中核だったかも知れないんだよな、と、政治史に疎い僕などは素朴に思ってしまうのですが。

「制限投票の旧制時代においてすらも、地盤は一向に取り留めた意味もない名目であった。通例は一度自分のために投票したらしき人々を、あたかも商店の取引先のように考へて、あるいは引継ぎ譲り渡すといふが如き、奇異なる現象も時々はあったが、(…)今度の法改正は、この点においても根本的のもので、選挙区は拡大し、運動方法は一変した。これに加ふるに各区三倍以上のいはゆる地盤外の有権者が、新たに来ってこれに加はったのである。如何なる側面から考察を下しても、昔あったといふ地盤がもし本当にあったとて、それが物をいふはずは更に無いのである。多数の前代議士等は寧ろ地盤といふ意味の、出来る限り具体的ならず、極端にぼんやりとしたものであらんことを望んで居る。彼らが楽観の資料の主たるものは、土地には大勢があって新米の選挙人等を指導し、例へば長老を真似した村の衆の昔話の如く、一々に彼等の手元を見てその通りを書くだらうといふ推測であるが、堂々たる政府政党の政治教育なるものが、果してどの程度まで無効であり、旧式なる模倣心理はどの点まで尚行はれるかといふことは、関心すべき一つの見物である。棄権は一生懸命にこれを戒めるが、個人の判断は出来るだけ働かしめぬやうにといふ注文が、無理であったか否かは試験せられんとして居るのである。」
柳田国男「尚地盤を説く」『東京朝日新聞』昭和三年二月十六日)

 当時の新聞論説という立場を斟酌したとしても、柳田は「浮遊投票」に期待していたようです。それら後の「浮動票」と言われる部分の批判力に注目する程度に、彼は大衆社会化の現実を直視しようとはしていた。もっとも、後に普通選挙の弊害が明らかになってくると、やはり普選導入の時期尚早を痛感し、ならばと“良き選挙民”の常識育成のために民間伝承の会(後の日本民俗学会)の組織づくりに邁進するようになるのですが、今、制限選挙の可能性を考えることは、同時にこの「浮動票」を中心に据えた選挙論、政治論を考えることにも連なってゆく部分もあるようです。

 それは別に都市部だけのことでもなく、今のこの国のメディアと情報環境のありようを考えれば、ほぼ普遍的に想定できる問いだと思います。「一億総中流」と言われてすでに久しいわけですが、個々の実態と引きはがされた意識の水準でのそのような均質化が進行した現状というのは、社会の中での自分の位置づけを具体的に行なってゆく言葉の作法が衰退した結果でもあります。その意味で、「サラリーマン」や「女性」といったひとくくりのもの言いなどむしろ弊害の方が大きいのではと思うのですが、同じように「地域」もかつてのようなリアリティを失い、労働組合にせよ宗教団体にせよ関連業界にせよ、かつてない広がりを伴ったこの高度大衆社会の中では「地盤」の名に価するような確固としたものでもなくなり始めている。公明党は支持母体が強力だから、と言ったところで、仮に投票率80%になればそんなもの比率からいって大したものにもならないだろうことは容易に予測できます。「支持政党なし」が多数派になることは「浮動票」が中心になることで、ならばそこに責任を宿してゆくしかない。では、そのような“責任ある観客”をどのように作り出してゆくのか。


●●●●
 たとえばひとつの考え方として、投票日に投票所へ自ら足を運ぶことを有権者としての最低限の資格とみなすのはどうでしょうか。マルチメディアがらみの電話投票論なども含めて、どれだけ人々を受動的に横着にするかということだけが暴走しかねない現在、選挙についてせめてそれくらいの手間はかけて能動的に関わるという意志を見せた、そのことを評価しようとするわけです。

 その上で棄権ということの位置づけを考える。今の制度では棄権という行為は全て一律に処理されるしかないわけですが、その棄権の内実をもう少し腑分けしようとすることで結果として有権者に格差をつけてゆくために、投票は棄権だけど投票所へは行ったぞ、ということを個々の有権者の記録として残るようにする。このような人たちの選択はこれまでなら白票となって表れたものでしょうが微々たるものですし、ならばこれに加えて、一律に棄権に埋もれていた実質白票投票に等しい動機での積極的棄権も含めて、新たにひとつの政治的「意志」表示と考えるわけです。

 これまでなかったことにされていた新たな「意志」の存在を認めたならば、次に当然、この「意志」をどのように選挙の現実に反映させてゆくかが問題になります。批判的な意味での棄権をしたいけどそれは結果的にある勢力を利することになるから、と心ならずも“まだマシか”と思えるところに歯止め的に投票してしまう投票至上主義が、これまでの万年野党精神の怠惰と腐敗を支え、結果を問われない偽善的で自己満足な誠実主義を生き延びさせていた大きな部分だったことを思えば、この点は重要です。

 これについては、このような“責任ある観客”の要件を一定期間満たした有権者には、投票した有権者と共に、次の選挙で“こいつは当選させたくない”という候補に投票するある種の不信任投票の権利を与えるのはどうでしょう。形骸化しているとは言え、最高裁裁判官の不信任投票はそれに近い形になっているわけですから、そんなに無茶な話でもないはずです。この不信任投票の一票と通常の投票の一票とを相殺して得票とするわけです。こちらの棄権は自由。これが実現すれば、いわゆる「地盤」や組織に過度に頼っていることがあからさまな候補などはむしろ逆効果に働く場合があるはずで、「どうせ、俺なんかが一票投じたところで何がどう変わるわけでもないんだからさ」という「浮動票」層のシラけ気分をいくらか癒せるのではないでしょうか。

 現在、「政治的無関心」のある部分は、このようなシラけ気分が支えているはずです。それはありていに言って「政治に対する無力感」であるわけですが、この「どうせ」気分をほぐしてみると、何もわからない、何も感じていないがゆえの「どうせ」というわけでもなく、「こんな俺だってそれなりに納得できないことはあるし、どう考えてもおかしいと思うことはあるんだけど、でも、そのことを大声で主張するヒマもカネもないし、第一そんなめんどくさいことやるつもりもないし、何より政治に関わる組織ってのと何のコネもないし、今ある制度じゃこんな気分だけじゃロクに役に立たないんだろうなぁ」といった、ある種の主体的な判断の上に立ったフラストレーションが相当に含まれている。

 このような意識にとっては、俺は積極的棄権をし続けてるけどいざという時には不信任投票権は発動できるぞ、という形での選挙権の留保も可能になるわけです。そのためにはずっと積極的棄権だってあっていいと思いますし、また、積極的棄権を選択した次の選挙運動期間中の移動を制限するとか、何らかの補助的条件をさらに考えてもいい。政治や選挙にまるで無関心な棄権とそうでない棄権とを分別して選挙権の「制限」を行なうには、これくらいの手立てが必要でしょう。

 いずれにせよ、選挙の現実に関与する当事者性を、投票したかしないかだけでなく、観客としての責任も含めて複数化させてゆく。これまでの「地盤」から身を遠ざける程度の批判力を持ちつつ、もうあまりにアホらしくて、という棄権に停滞しているがために現われとしては「浮動票」とひとくくりにされ、それでもワイドショーとしての政治にはそれなりに注視する層の中から“責任ある観客”としての有権者像の萌芽を選び出し、育成するしかありません。「浮動票」の、とりわけ若年層と女性層の動きがどれだけ大きな変化をうっかりともたらしてしまうものかは、ここ数年の総選挙での社会党日本新党の“発作的大躍進”で明らかになりました。もちろん後になってみればその場限りの軽挙妄動だったわけですが、その軽挙妄動に時間軸を意識させ、ゆるやかに責任を与えてゆく道を開くことで、場当たりの軽挙妄動を煽るような軽薄な戦略だけが優先したり、またその結果をひとしなみに「民意」と称して舞い上がったりする醜態もいくらか避けられます。今は単なる素人のヨタ話にしか聞こえないでしょうが、しかし、専門家も含めて知恵を出し合えばもう少し現実的な線も見えてくるはずですし、何より今ある選挙のありようを相対化して考える糸口にはなるはずです。いたずらに投票率を上げることばかりを考え、その質を高める方策を前向きに考えなくなっている現状では、いっそこのような試みの方が現実的かも知れない。

 戦前、普通選挙の導入が説かれるようになった頃も、まだそのような選挙民を育成できていない、という、まるで親が子供を心配するようなおためごかしの時期尚早論が普選反対論の定番だったようです。逆に戦後は、一家離散寸前のどさくさによその家の指図を早のみこみ、誤解も含めてその覚悟も準備もないまま一律に子供にも親と同じ一票を与えてしまい、しかもその後ほったらかし、てなものかも知れません。いずれ不用意なことにかけては選ぶところはない。戦後教育に自信があるなどとは口が裂けても言えませんが、でも、敢えて腹くくって言えば学校だけが教育でもない。肥大したメディアとサブカルチュアによって覆われるようになった「パンとサーカス」の世間で育まれた、これまでと違った鋭敏さを持つ批判力の質を落ち着いて計測して社会の側に繰り込んでゆく努力をし、もしも信頼できるものならそれを信頼してみる態度もそろそろ必要なはずです。民主的制限選挙という未だ見ぬ現実について、その程度に立ち止まって考えてみていい頃なのでは、と僕は思っています。

*2

*1:新潮45』か『正論』か、掲載誌はあやふやになっている。……200928

*2:以下、当時の追記……「国立歴史民俗博物館の同僚小関素明氏に、専門の政治思想史の立場からの教示を受け、同時に関連する参考資料も紹介していただきました。記して感謝します。」