「賞」って発想自体、活字というメディアが作ってきた“エラい”と結託してきた歴史が結構あると思うんですよ。でも、最近は活字メディアが相対化されてきた分、本の意味も変わってきてて、“もの”としての書物というか、手にとって撫でまわしてああうっとり、といった執着は持ちにくくなってる。だから、賞もこれまでと違う、むしろ大量生産・大量消費の商品としての賞という視点がないとどんどん信頼されないものになってくし、何より、賞は常に無条件で“エラい”もんだ、という神話も変わらない。
だとしたら、どれだけ「文学」しているか、てな一歩引いた視点からの賞があってもいいんじゃないですか。どれだけ「文学者」しているか、「ジャーナリスト」しているか、「学者」しているか、「政治家」しているか、「芸能人」しているか……活字の中身でなくその表層というか、普遍的な価値よりも同時代的な文脈においてその本はどのような読まれ方をし、どのような意味を持つのか、というあたりで選ぶ。最近「と学会」のやってる「トンデモ本大賞」なんて視点が近いところあるけど、それにならって、これは「なりきり本大賞」なんてところでどうでしょう。
ただ、これは本そのものよりむしろそれを選ぶ側のセンスが厳しく問われるわけだから、選考委員会の人選は大変だろうなぁ。いわゆる活字の“エラい”人だけでなく、広い意味での「お笑い」センサーを持った人を広く集めないと。
賞金はなくてもいい。いや、むしろこの賞はないのがスジかも知れない。だって、賞金って額も含めてその根拠がよくわかりませんよね。ルポやノンフィクションの世界じゃ、大宅賞の賞金が未だドル建てで大笑いですが、だからって講談社みたいに一千万円出すからいい作品が確実に出ると考えるのも間抜けでしょ。それにこれは、よし狙うぞ、って狙って獲れる賞でもない。だから、ここはあくまでゼニカネなどとは別の「名誉」一発。その一方で、選考経緯を綿密に記録として出版して、その印税を賞金として受賞者に贈呈するというのがいいかも知れません。もとの本とその記録本とをあわせて読めばさらに大笑い、という形になるのが理想でしょうね。