ウインドウズ95の国内発売の一件であります。
あまりの騒ぎに、オヤジ(あるいはオバサン)が「ウインドウズって、そんなにカッコいいバンドなんかね」と尋ねた、てな笑い話もさっそく巷に出回っております。
パソコン音痴を丸出しにしてはばからず、学生には「秋葉原に行くな、電脳詐欺にあうぞ」と説教して呆れられている小生でありますからして、こんなこと言うとやっかみやひがみで片づけられかねないんだけど、でも、パソコンを使える人間も使えない人間もいる現状をバランス良く見渡しながら未来を語ってくれるのが評論家なり専門家のはず。なのに、そのテの評論家って、使えない人間に「こわくないから使いましょう」と猫撫で声出すだけのまるでメーカーと通産省の回し者みたいなのがほとんど。ひどいのになると「使えないとこの先落ちこぼれるぞ」と脅しまでかける。てやんでえ、たかが道具じゃねえか。必要ないなら今もこの先も使えないままだって構わない人間も、広い世間いくらでもいるはずだぜ。なのに、「使えないままでもいいんですよ」という説明にはまずお眼にかかったことがない。
だもんで、ごく素朴な疑問としてお尋ねします。このテの「マルチメディア」だの「インターネット」だのって、実は普通の人にはほとんど関係ないんじゃないの?
コンピューター関係の仕事をしている人間に尋ねても、とどのつまりかなりの確率で「ご家庭には縁のない話ですね」「実は使いものになりません」てな答が苦笑と共に返ってくる。なのに、メディアの舞台でそのへんを語る記事や企画はほぼゼロ。ははあ、こりゃやっぱり組織ぐるみの電脳詐欺か、と思っちまう。
そんなボヤきを聞いて、インターネットってのはつまり電話線と同じですよ、と諭してくれた心優しい同僚がいた。なるほど。これを「万国のコンピューター、団結せよ」と名訳かましたのは吉田司さんだったけど、でも、機械は勝手に団結しても使うのは人間だから言葉ができなきゃ話にならない。で、それってやっぱり英語なんざんしょ?
とすれば、多くの日本人はせいぜい消費者として「世界」をのぞき見るだけ。そうそう簡単に「インター」(双方向)になるわけない。当たり前だ。 だから、会社はともかく、普通の家の茶の間に置かれたパソコンは実にわびしい。具体的な実用性と共にそこにある“もの”になってないからだ。そういうのって、日本語では「おもちゃ」って言うんだけどさ。でも、いつかうっかり買ったままのそんな「おもちゃ」をウインドウズ95が一挙に“使える”道具に変えてくれるかも、と思って店に走った善良な人たちを、いつまでも「いいカモ」のままにしといていいわけはない。