その後の本間茂騎手

*1
 もう六年前のことになる。スポーツ紙の一面はもちろん、一般紙の社会面にまで「地方競馬八百長疑惑!」という見出しが躍った。当時川崎競馬に所属していた騎手が「八百長」の疑いで警察に逮捕されたというものだった。

 しかし「八百長」だったと報道されたレースのそれぞれは、少なくとも地方競馬の厩舎の仕事の現場を多少なりとも見聞きしていた僕から見る限り特に不自然なところはなかったし、世間が一般に抱くイメージのような不正が行われたとは思えなかった。だから、裁判の傍聴にも通い「それは“八百長”ではない」ということを雑誌などで主張したのだがどうなるものでもなく、結局彼はその後競馬場から姿を消した。

 そのことはもういい。すでに過ぎ去ったことだ。ただ、その騎手は日本でも十本指に入るほどの名手だった。それだけの腕を持つ職人である彼の技術がその後どうなるのか、そのことだけは気にかかっていた。だから、縁あってまた馬の仕事についていると風の噂に聞いた時には、ああよかった、と人ごとながら心底ほっとしたりもしたのだ。

 今日は、再び馬のそばに戻ってきていたそのかつての名騎手本間茂さんに、いざ見参。



 茨城県稲敷郡阿見町霞ヶ浦のすぐ南側、小高い丘の続くこの一帯には目立たないながらも競走馬を扱う牧場が点在している。といっても生産牧場ではない。JRAの美浦トレーニングセンターがすぐ近くにある関係から、疲れのたまった競走馬を休ませたりこれから競馬場に入る若馬を調教したりするための牧場だ。

 本間さんは今、それらの牧場のひとつである西山牧場阿見分場の副場長を務めている。西山牧場は大手の生産牧場で、中央競馬を中心に多くの馬を走らせている馬主でもある。最近では持ち込み(外国でタネつけして持ち込まれ日本で分娩された馬)の快速娘として鳴らした桜花賞ニシノフラワーの活躍が記憶に新しい。

 この分場にいる馬は四十頭。従業員は約二十人。一周八〇〇メートルの馬場があってここで毎朝調教をする。

 「僕自身はもう一頭か二頭くらいしか乗ってないんですけどね。馬に乗るより人を使う方が大変ですよ(笑い)」

 本間さんは元気だった。さすがに顔つきなどは現役時代よりおだやかになった印象だが、屈託のない素朴な人柄は変わらない。“事件”のことも、もうふっきれたと言う。

 「誰を恨んでるわけでもないし、また言ってもしょうがないですからね。一時、外国に行って乗らないかという話もあったんですけど、もう三十五、六になってたし。これからここでいい仕事をすればいいと思ってます」

 この牧場ができたのは二年前。だが、それ以前から工事は始まっていて、よかったら働いて欲しい、と言われた。育成調教を目的とする牧場に本間さんのような一流騎手の調教技術が備われば、そりゃ鬼に金棒。怖いものなしだ。

 「他にも声をかけてくれた牧場はいくつかあったんですが、本部長(西山茂行さん)がじきじき訪ねてくれたこともあって、こちらにお世話になることにしたんです。それに、今さら他の仕事するったって、俺はずっと馬の仕事しか知らなかったしね」

 北海道は新冠出身の本間さんが川崎競馬場にやってきたのは中学二年の時。今から三十年近く前のことだ。

 「実家は普通の農家だったんですが、近所には馬やってる牧場が多くてね。競馬場にも牧場の人の紹介で入ったんです。最初は親兄弟みんな反対したんですよ」

 川崎では先生(調教師)の家から中学校に通いながら、馬に乗ることを一から教わった。騎手としての通算勝ち鞍は****勝。うち東京ダービーを勝つこと二回。その他の重賞ももちろん多い。腕を買われて地元川崎だけでなく大井や船橋といった他県の競馬場での騎乗依頼も多かった。本間茂の乗った馬の馬券に危ういところを助けられた経験のある競馬ファンは、南関東一帯には結構いるはずだ。

 「でも、あれから競馬場には行ってません。遊びに来いって言ってくれる人もいるけど、迷惑かけちゃいけないから」ときっぱり。潔いのだ。

 会社全体としては北海道の鵡川に大きな生産牧場があり、ここには百三十頭ばかり繁殖牝馬がいる。その近くには鞍置きから始まる最初の段階の馴致調教を行うための牧場があって、春に生まれた馬たちは翌年二歳の秋までここにいた後、はるばるこの分場にやってくる。ここで三歳のちょうど今頃の季節まで半年ばかり、さらに調教をして競走馬として仕上げてゆく。そして仕上がり次第、美浦栗東トレセンに入厩し、夏から始まる新馬戦にデビューしてゆくという仕組み。

 「その間には休養馬も戻って来るし、また仕上がりの遅れた馬も北海道から来るし、いつも厩舎はほぼ満杯ですよ」

 その他、千葉の白井にも育成牧場を持っていて、西山牧場の馬たちはこれらの施設をめぐりながら競走馬としての人生を送ってゆく。本間さんはそのサイクルの中で競馬場に入る直前のところの責任者。調教メニューなども含めて本間さんが考え、指示してゆく。「競馬場よりこっちの方が仕事としては大変ですよ」とも。スタッフには本間さんと同じ川崎競馬の元騎手だった後輩もいる。また、新しい牧場だけあって施設は最新のもの。厩舎も青森ヒバをふんだんに使ってあるし、馬房の天井も高いし、その他洗い場のひさしなどちょっとしたところにも、馬の仕事の現場を知り尽くした本間さんのアイデアが生かされている由。

 「やっぱりここで仕上げた馬を無事に競馬場入れて、大きなレースとるような馬を作りたいですね」

 たまにテレビで地方のレースを見ることもある。南関東地方競馬はナイター競馬で以前より華やかになった。

 「でも、競馬はやっぱり昼間やるのが本当だと思いますよ。少なくともダービーとか大きいレースをナイターでやるのには俺は反対ですね。昼間でなきゃ馬の本当の力はわかんないですよ」

 ほぐれてくると出るのはやはり競馬の話。そのあたりはやはり職人さんだ。

 「地方の騎手はもっとファンの人に見せるフォームで乗って欲しいね。昔みたいな乗り方してちゃダメ。みんな自分じゃあれが一番馬を動かせるフォームだと思ってやってるんだろうけど、中央の招待競走なんか乗りに来ると、やっぱり田舎競馬って言われちゃうし、そう言われると僕も川崎出身だから口惜しいもの。中央のノリヤク(騎手)はヘタだ、って地方の人はよく言うけど、今の時代は中央の人みたいにカッコ良く乗った方がいいと思いますよ」

 トレセンへ入る直前の三歳馬を見せてくれながら本間さんは、西山牧場の馬はこれから強くなりますよ、見ていて下さい、と胸を張った。かつての名騎手の腕はこの馬たちの背後に健在なり、だ。


*2

*1:現役時代、右端が本間茂。左から的場文、打越初。

*2:これは2020年、西山茂行氏のTwitterより。