中沢新一への手紙

 

 前略、中沢新一様。

 ごぶさたしています。その後いかがお過ごしでしょうか。

 ある編集者を介して会いたいと言われて、湯島の何やら由緒ありげなすきやき屋でお会いして以来ですから、もう三年くらいたちますか。

 あの時僕は、連れてゆかれたその店の、大層なお座敷の居心地悪さに押し黙ったまま、もはや味も何もわからなくなったおそらくは上等であろう肉片を時たま口に放り込み、ただただじっと時間の過ぎるのを待っているばかりでした。

 それ以来、お目にかかる機会もなかったあなたに今、こんな手紙を書くのは、他でもありません。昨今魔女狩り的様相を呈し始めてもいる“オウム派宗教学者糾弾”の渦中でのあなたの一連の発言に接して、これまで少しは顔見知りであり、何よりその仕事をずっと読んでもきた年下の読者のひとりとして、伝えておきたいことがあるからです。

 中沢さん、今、この状況であなたは、あなたの意志や目算とは別に、やはり思想犯の位置にいるのかも知れない。まずそのことを素朴に、率直に自覚して下さい。

 あなたがこれまで書きつづり、語り、演じてみせてきた「思想」が、それ自体の質とは別に、世間との関係においてどのような現実を引き出し得る力を持ったものだったのか。ここ十数年の間、眼の前に膨大な広がりで出現していったはずのあなたの「読者」たちが、果たしてどのような「読み」の幅であなたの書いた文字に、語った言葉に、演じてみせた身振りに接していたのか。そのことについてその明晰な頭脳で今、この状況においてこそ静かに振り返り、そして責任ある言葉へつないでゆくことを試みて欲しいのです。

 八〇年代のあの価値相対主義全盛の言語状況の後、僕はもうどんな思想犯もあり得ないと思っていました。「思想」というもの言いに対応するような確固たる価値、ゆるぎない主体の輪郭さえもがもうあり得ないのだから「思想犯」だってあり得ない。あるとしたらただ、モードとしてのもの言いだけであり、そのもの言いに足もと救われた漠然とした気分の広がりがあるだけだ、と。

 にも関わらず、この一九九五年の現在、なお古典的な意味での思想犯があり得た。中沢さん、あなただ。それだけのことを、あなたの言葉は眼の前の現実から引き出した。

 2・26の北一輝だな、とつぶやいた友人がいます。その比喩に乗って言えば、あなたの書いた『チベットモーツァルト』は『日本改造計画大綱』だったのかも知れない。

 もちろん、あなたにそんなつもりはなかっただろう。そのことは承知しています。けれども、書き手の「つもり」などはるかに越えたところでとんでもない「読み」を平然としてゆくようなリテラシーのありようを、いつからかわれわれの社会は持ってしまっていたらしい。その現実を前にあなたが全身で演じてみせてきた「思想」の効果は、誰であれ全貌を把握できないほどの幅と広がりとで社会に波及していった。

 オウムの信者たちへ「あなたたちは間違っていない」と呼びかけた文章もみました。相変わらず流麗な文体で、白状すればちょっとだけ感動したりもしました。

 しかし、あなたが言うようなその宗教的な価値を、何の支えもなくひとりで追い求めて均衡を失わないですむほどの強靱な自意識が持てるような人間ならば、どうしてオウムごときにイカれたりするでしょう。あなたたちの初志は間違っていない、というのは机上の呼びかけとしてはあり得ても、現実にある広がりを想定し、生身の読者の存在を可能性として考慮した「発言」となった場合、また別の補助線を何本も引いて留保しておかないことには責任ある言葉、活きた「思想」として成立しないようなものなのではないでしょうか。

 なるほど、あなたは大丈夫だろう。ひとりでやってゆける。しかし、世の人間の最大公約数はそうそうそこまで強靱な、そしてその分だけ異様で偏屈でもある「自分」を持てるものでもないし、持ったとして失速も自爆もせず無事に世渡りしてゆけるものでもない。そのことをどうやらあなたはもの言う時にほとんど考慮に入れてこなかった。違いますか? 

 だから中沢さん、あなたは「宗教学者」を廃業してはいけない。この状況だからこそ、宗教学者であり続けなければならない。これから先、あなたの「思想」の責任においてやらねばならない仕事は、宗教学者中沢新一にこそあるはずだと、僕は本気で思っています。 同じように流れたかに見える八〇年代の時間をくぐりそこねてPSIをつけるに至ったかつてのあなたの「読者」たちは、まだあなたの言葉の可能性の前にうずくまっています。