オウムの冬、論壇の限界

 “核の冬”という言葉がある。核戦争など大規模な核爆発の後に訪れる環境汚染について言われるもの言いだが、それに倣えば、昨今のこの国の「言論」や「思想」をめぐる状況は、もしかしたら“オウムの冬”とでも言えるものかも知れないと思う。

 何を言っているんだ、震災とオウムをきっかけに「論争」が復活したじゃないか、という意見もある。なるほど、オウムの一件を「読み解く」ための本や雑誌は、事態の帰結がおおよそ見えた今でも書店の店頭にたくさん並んでいるし、“オウムウォッチャー”と奇妙な呼ばれ方をされる一群の人々はもちろん、ジャーナリスト、評論家、学者、タレントその他誰もがこの間の経緯について“自分の意見”を持ち、機会が与えられれば憶さず表明する。テレビでは相も変わらず討論番組が行なわれているし、ワイドショーにも「意見」はあふれている。新聞は新聞でまだまだ特集記事を企画しているし、総合雑誌ではもっともらしい「論文」が毎月毎号並べられている。いや、そんなことを言えばこの『正論』にしたところで全く同じだし、何より僕自身、そのような関係の中で「発言」してきている身、こんなこと言えた義理ではないのだが、だからこそ敢えて言わせてもらえば、そのようにものを言うこと、「発言」することが億劫になっている自分がよくわかる。

 個人的なものかと思っていたら、どうやらそうでもないらしい。同世代の編集者やもの書きたちの口から、同じような感慨を最近ぽつりぽつりと耳にする。疲れたというような単純な理由でもないし、失語症というのともまた違う。何より、それは別にオウムの一件についてだけではない。そのように「意見」を言うことを求め、また求められるような関係のあり方についての根源的な徒労感、なのだ。

 言いたいことがなくなったわけではない。むしろ逆だ。言いたいこと、言っておかねばならないと思うことは山ほどある。日々起こるできごとについて感じること、思うところもいくらでも胸をよぎる。けれども、それを素直に言葉にしようと努め、機会を作って「発言」したところでそれが何になるのか、という疑問が虚しさと共に襲ってくる。その程度に、言葉をつむいでゆくことについての信心が持ちにくくなっているらしいのだ。

 それは、もっと刈り込んで言えば、言葉が通じない、という絶望感だ。少なくとも言葉によって新しい関係が開けてくる、現実がより一層整理される、といった実感が持てない。状況を変える、ということがどのような手続きの、どのような作業の果てに現実のものになるのかわからない。そんなことを考えるな、考える前にまず動け、という叱咤激励もあるし、そのような激励をする立場というのもひとまずよくわかる。あるいは、ものを考える立場というのはそんなものだ、という“大人の意見”もある。それももちろん理解できる。けれども、この倦怠感はそんなもの言いで解消できるようなものではない。

 これは前々からそうなのだが、新聞などによくある「論壇時評」というやつが、僕にはどうにも謎だ。まずもって、その「論壇」と言われるものの範囲が、よくわからない。新聞や総合雑誌、あるいはそれに類する月刊誌などに掲載された意見や主張といったところがおおよその範囲らしいが、ならば、どうしてそれらのメディアのかたちづくる世間だけが「論壇」とひとくくりにされて扱われる必要があるのか、それもまたよくわからない。 これら「論壇」と呼ばれるある範囲を支えているメディアの条件というのは、もちろん部数などではなく、ある「質」の論理らしい。それはは悪いことではない。けれども、その「質」が現時点でどこまで有効で、またその有効性がどこまで世間に認知されているのか、についての自省もできなくなっているのだとしたら、ことはまた別だ。

 もちろん、こんな徒労感とは無縁らしい連中も同世代にはたくさんいる。そんな中には、若年寄りのような、妙に老成した文章を操る手合いが少なくない。読んでゆきながら、こいついったい歳はいくつだったっけ、と略歴を見直してみて愕然とすることも多い。気分はもう大家、ものの見事に昔ながらの「文化人」「知識人」のゆるぎない自意識なのだ。今、同じこの国のこの空気を生きて呼吸していながら、どうしてそんな陳腐なところに安住できるものか、それが僕には全くわからない。そんな鈍感さが「発言」することの条件になりつつあるのだとしたら、「論壇」とやらの未来もやはり知れたものだと思う。