ニッポン名物、閣僚の「失言」

 えー、毎度おなじみポンニチ名物、閣僚の「失言」であります。

 あんまり続くんで「またかよ」にしかならないんだけど、しかし、この「またかよ」自体問題でさ。うんざりする分、なぜ「また」なのか、ということを考える契機から根こそぎ奪われちまって、「結局そういう歴史の見方するような非常識な奴が政治家なんだよね」てな気分しか残らない。

 だが、そりゃ違う。「そういう歴史の見方」がいかに非常識に聞こえても、それを主張する人間がいて、しかもそれが選良たる政治家だということは眼前の事実として残る。さらにそれがこれだけ何度も繰り返されるときたら、何かよほど根深い理由があるのだろうと考えるのがスジだ。

 なのに、昨今のメディアの世間は「そういう歴史の見方」そのものを糾弾し、なかったことにしようとする。あのさ、そういうのをファシズムって言うんじゃなかったっけ?

 言うよ。何も日本と朝鮮半島の関係に限らず、帝国主義が結果として植民地の近代化を促進した、ということは、評価は別にして歴史的事実だ。鉄道や道路などインフラの整備はその最たるもの。まあ、あの江藤ってジイサンもそこらへんを言いたかったのだろうが、ただし、だ。ここからが肝心なのだが、今のこの状況で、それも閣僚という「立場」でそんな発言を公にすることがどんな結果をもたらすのかについての目算があったとはとても思えない。やめる段は国会運営のために犠牲になってやった、てな英雄気分がミエミエ。政治家の「責任」とは、「立場」を省みずそういう私的な歴史観を不用意に垂れ流したという一点において、まず問われるべきだ。断じて「そういう歴史の見方」そのものにおいてではない。

 韓国側はそういう歴史認識を持った人間が閣僚にいること自体を非難している、てな報道もされてるけど、このニュアンスって正確なんかなあ。公の立場を離れた一私人としての歴史観まで云々しようってんならそりゃとんでもない話で、このテの事態を立ち上げるメディアのありようも介在させないと本当の問題って見えないと思うよ。

 第一、もともとオフレコ発言だったものがどういう経緯で外国の新聞に伝わったのか、その点がまるで明らかにされていない。しかも、国内的にオフレコのものでも外国経由ならおおっぴらに報道していいっていう日本のメディアの理屈はなおのこと不可解。それって、都合の悪いことは全部黒船仕立てで報道すりゃいいってことになりゃせんか?そんなに重要なことだってんなら、オフレコだろうが何だろうが、なんで初手から自前できっちり報道できんかったんだ? そういう国籍不明の無責任も「またかよ」を支えている大きな要素なんだぜ。