書評・村井 紀『増補改訂・南島イデオロギーの発生』(太田出版)

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 柳田“悪人”説に傾く柳田論の系譜というのがある。柳田陰謀史観とまでは言わないが、もの言いの歴史として見れば、桑原武夫あたりに始まる牧歌的で「文人」主義的な柳田評価の文脈が戦後の言語空間において一般化し、さらに柳田没後、より水増しされ強固な神話と化していった事態との距離感が生んだ、言わば対抗的言説であることは間違いない。岩本由輝やこの村井紀などはまさにその急先鋒。だが、すでに分厚く堆積する先行業績とそこから発する細部に固執した解釈の増殖によってともすれば固定化された神話の祖述に陥りがちな久しい柳田国男研究のお行儀良い脈絡からすればいささか外道に見えるにせよ、柳田国男とは文人民俗学者である以前に明治政府の農政官僚であり、その政治性を抜きにした解読はむしろその神話の維持に手を貸すだけである、という彼らの前提の明快さは、柳田以来のこの国の民俗学そのものを縛りつけてきたイデオロギー暴露を内側から精力的にやってゆくことで“親殺し”に手を染めてきたわれわれ若い世代の民俗学徒の共有する認識とも基本的に響き合う。

 本書は、そのような前提に立ちつつ九二年に刊行された労作『南島イデオロギーの発生』(福武書店)の増補改訂版である。各章に若干の加筆がなされ、それぞれ刊行後の経緯に立脚した追補が末尾に加えられたことの他は、基本的な構成に改変はないが、折口信夫に言及していた部分にだけはほぼ全面的に手が入れられており、その結果、一冊の書物としてはより均衡のとれたものになった。著者自身あとがきで述べているように、旧版で「いささか特権化していた折口論」を反省し、「いわば『遠野物語』への眼差しを折口の『死者の書』にも注いだ結果」だが、これによって、テキストと共に著者自身もまたひとまわり自由になった印象があるのはひとまず喜ぶべきことだろう。副題に簡潔に示されている「柳田国男植民地主義」というライトモティーフも、この新たに獲得された均衡と自由とによって、旧版より奥行きのあるものになっている。

 「南島」とひとくくりにされてきた領域はそれ自体、「日本」の同質性を作為するためのイデオロギーなのであり、だからこそ民俗学民族学文化人類学を中心とした「南島研究」は植民地主義のダイナミズムを覆い隠すある種の隠れ蓑となってきた。その結果、これらの学問領域は限りなく「眼前の事実」から遠ざけられてきた。〈いま・ここ〉からの疎外を抱え込んだままうっとりと均質な「日本」を語る作法の倒錯。柳田が日韓併合の政策当事者としての経験を消去し、忘却する装置として「南島」が発見されていった、という仮説に立つ行論は、いささか腕力任せとは言え、これまでの柳田像に対してより広い「歴史」の文脈での読み換えの可能性を示したものとして充分に魅力的だったし、好むと好まざるとに関わらず「日本」と「歴史」とがますます思想的焦点にならざるを得なくなっている今日の知的状況において、その作業はより一層切実なものになってもきている。

 ただ、それらの意義を認めながら、この増補改訂版の文脈において敢えて二点だけ、若干の違和感も表明しておきたい。

 まず、旧版ではそれほど感じられなかったのだが、これらの思想史的読み換え作業を“日本研究”の脈絡で位置づけようとする気配が、著者の意志とはおそらく別なところで微妙に察知されるようになっている点。浅田彰柄谷行人ら雑誌『批評空間』にたむろする方面がシカゴ大学あたりの“日本研究”者たちと誼を通じ、それは今のこの国の思想と学問にとって全く必要なことだと思うのだが、しかしそれらの橋渡しをする彼らの身振りに、言語に代表される彼我のさまざまな障壁を前提としながらその間の落差で価値を生もうという密輸入者の卑しさがまつわっている分、国内で日本語として流通する彼らの言説は未だ「日本のムラ社会」を近代主義的に嘆くだけ、という明治伝来の赤毛布から一歩も踏み出せていなかったりする。いかに嫌悪しようともおのれは逃げようのない「ムラ社会」の内側からの構築の志を早上がりに放棄し、理論的であり効率的でもあるがその分固有の言語とそこにまつわってこざるを得ない「歴史」の文脈に同情も薄い外国人の“日本研究”のパラダイムにしっぽふりふり全面的に身をすりよせてしまう一連の身振りの磁場に、この村井の剛直な仕事も本来あるべき文脈から引きはがされて勝手に回収されてゆく危うさはないか。繰り返すが、これまで自明のものとなってきた「日本」を語る作法の知的鎖国性はつぶさに問われねばならない。だが、それが同時に「国際化」という新たな翼賛イデオロギーに横転してゆきかねない回路を内側から遮断する仕掛けも、今このような状況だからこそ、それぞれの仕事の内側から主体的に考慮しておく必要はないだろうか。

 もうひとつ。柳田を語る際には彼の官僚としての側面を前提に置くべし、という立場には全く異議なしだが、その赴く先が官僚であるがゆえの“悪人”論、植民地主義に依拠したがゆえの単純な断罪論に傾き過ぎるきらいがある点。そのような時代的制約の中で柳田がとった軌跡の意味を、全て柳田個人の資質や思想性に還元してしまうだけでは、今の状況でイデオロギー暴露としての意味はあっても、これから後の落ち着いた再構築のためには障害となる場合も出てくるのではないか。〈次の一手〉を志すために、この柳田“悪人”説に依拠したところにとどまらない、よりしなやかで器量の大きな水準にこの思想史的読み換えの果実をいざなってゆくことまで求めるのは、この著者の知的腕っぷしの強さからすれば決して無理スジでもないと思う。たとえば、著者自身が引用している「破壊したら破壊したで何等かの形式がのこらなくちゃいかん」というイプセン評価をめぐる柳田の言葉などには、なお立ち止まって吟味するだけの内実がありそうに僕には思えるのだが。


*1:今、出回っているのはこの岩波現代文庫版。増補改訂版と同じものかどうか、未確認なれど。