薬害エイズ騒動の「悪役」登場

 

 久々に極めつけの「悪役」がメディアの舞台に登場した。誰がって、ほれ、次から次へととんでもない事実が明らかになってくるエイズ薬害の問題で、その疑惑の要になっている元厚生省エイズ研究班長、阿部英センセイですって。

 そのまんま吉良上野介でもやらせりゃ似合いそうなあの顔で、取材記者をまるでハエか何かのように追い払うしぐさや、自分の方針に反する意見を出した委員を「そんな報告をすると君は一生浮かばれませんよ」と恫喝した口調や、いやはや、お約束通りのオヤジ的ディテールがこれでもかと表に出始めていて、それはきっとエイズ研究班の中に快く思っていなかった人がいたからこそ漏れてくる情報なのだろうけど、いちいちあまりにベタなので誰か仕込んだんじゃないかとさえ思えてくる。

 ただ、真面目な話、どうしてこういうベタなオヤジがこれまで平然と「エラい」のままでいられたのかってことが問題なのだ。阿部センセイが医学者としてどんな素晴らしい業績をあげてきた人か、それは知らない。知らなくていい。たとえどんな素晴らしい業績の持ち主であれ、「エラい」ってことはこんな無責任オヤジの情けない生身の上に成り立っていたのか、という発見は、このエイズ薬害の問題からわれわれが前向きに学べることのひとつだと思う。

 改めて言うまでもなく、医療もまた「商売」である。だが、そのことを正面から言葉にしないままだったことのツケはこんな形で回ってくる。それは教育も同じこと。「商売」であることは昔から当たり前なのに、聖職だの何だのと不自由な縛り方をしてきたおかげで今、生身の教師たちは教育現場で不必要に苦しめられている面がある。いや、警察官や官僚や弁護士なども同様だ。世間から遊離したところに設定されていたそんな「エラい」は今、なしくずしに崩壊し始めている。その崩壊の後、むき出しになる「商売」という誰もが逃れられない条件の中に、なお宿るべき「エラい」の責任感や道徳。それが果たしてどのようにあり得るのかということこそが今、切実に問われている。

 ついでに言えば、もう一方の悪役であるあのミドリ十字って会社も、古くは釜ヶ崎労務者のオッチャンたちなどから買血を盛んにやっていた総元締めとして知られていたし、さらにもとをただせば、確か大陸で細菌戦の生体実験をやらかしたことで悪名高い旧陸軍石井部隊の生き残りが戦後復員して作った会社のはず。だからロクでもない、と短絡するのは馬鹿だけれども、しかし、少なくともこの国の「医療」にからんできたそういう歴史的経緯というのもこの際だから全部まとめてバラして風通し良くしちまえばいいのに、と思うのは、さて、不謹慎なのだろうか。