「運動」から「排除」され始めた、小林よしのり

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 漫画家の小林よしのりが、これまであれだけ八面六臂で支援し続けてきた「エイズ薬害訴訟を支える会」から逆に排除され始めている。

 少し前、『サピオ』(小学館)に連載中の「新・ゴーマニズム宣言」の中で、支える会の若いメンバーの将来を懸念して、まわりの大人たちに向かって彼らを日常に復帰させよというメッセージを発したところ、それが引き金となって、当の若い連中を始めとした「支える会」自体が彼から離れていったのだという。ぷっつりと消息を断つ。連絡をとろうと思っても連絡がとれない。あげくの果て、間に入って「小林はあなたたちを馬鹿にしている」「彼とはもう接触するな」などと吹き込んで回る手合いがいるらしい。

 よくある話だ。市民団体やそのまわりの弁護士やら、いずれそういう「運動」の方面が介在していることは容易に想像がつく。もともとそういう「運動」のダイナミズムに免疫のない今どきの学生に過ぎない「支える会」の若い連中などはひとたまりもない。一部では、どこから吹き込まれたのかウォルフレンの読書会などを始めさせられていて、またそれを「彼らはよく勉強し始めている」などと持ち上げるオヤジ連もいると聞く。無責任の極みだ。今やエイズ薬害訴訟の「運動」としての象徴となったきらいのある川田龍平君などは、あろうことか「僕が日本を救う」などと言い出してもいるという。

 その心意気はひとまずよしとしよう。若者らしい客気だわい、と暖かく見守るくらいの年寄り振りを敢えて演じてあげてもいい。だが、そんなたかだかひとつの「運動」の象徴に祭り上げられたくらいのことで日本を救えるなどと本気で思い上がられてはたまったもんじゃない、ということくらいははっきりと、彼にもわかるように最もまわりにいる「支える会」の誰かこそが責任をもって諭しておかねばならないのではないか。

 こういうことを言うと、いたずらに「運動」に水をかける者と非難されるのが常だ。だが、そういう偏狭で硬直した態度のまでいることこそ次の局面で簡単に世間の、たとえば「川田バッシング」を招くのだし、その現象についても「メディアが悪い」としか言いつのれない自閉と不自由を露わにする。言っちゃ悪いがオウムの連中と同じだ。

 「運動」の過程でそのように舞い上がり、勘違いをし、そしてそのことが世の中を動かしてゆくことはある。お祭り騒ぎの勘違い抜きに革命なんざありはしなかったのだし、今どきどんな「運動」もあり得はしないだろう。人間がタバになって動いているこの世の中なんてのは、その程度には変わりはしない。そう思う。

 だが、そこから後、「運動」の盛り上がりが一定の目的を達成した後にどのように日常に穏やかに復帰してゆくのか、そのおだやかさの中で、いったん獲得した「運動」の果実をどのように支えてゆくのかについての目算は、右であれ左であれ、政治であれ宗教であれ、これまでのそのような勘違いと思い込みだけを前提にした「運動」はほとんど考慮してこなかった。そのことの貧しさをわれわれはもうそろそろ思い知るべきではないのか。

 そんな「運動」の正義に全てをくるみこんでしまおうとしている人々に向かって、はっきり問うておきたい。メディアの舞台のこちら側から見ている情報消費者の眼からでさえも、いささか常軌を逸した舞い上がりや勘違いの様相を呈し始めているように見える坂本弁護士の母親を、川田龍平親子を、あなたたちはどこへ、どのような責任と共に連れてゆこうとしているのだろうか。いずれ日常に戻らねばならないはずの彼ら彼女らの戻り道までを、あなたたちの居丈高で空々しい大文字の能書きで埋もれさせてしまうのだろうか。それがあなたたちの「運動」の正義だと言うのだろうか。

 群を抜く力を持ち、時を得てそのような衆目の集まる場所に立った者が、ふたたび日常に復帰してゆくことの困難と不自由とを、かつて柳田国男はこう言った。

「華やかなる英雄児の生活の反面には、いつも薄暗い孤独が附き纏うていた。むしろ世の盛りに突如として死んでしまえばよいが、不幸にして長命するならば、その末路はたいていはみじめであった。(…)最も大きな不幸は時を失った者の、改めて凡庸の道を踏みえないことであった。」

*1:『正論』連載原稿。