立て続く「盗用」問題に出版界が揺れている。それも学術や思想関係といったいわゆる“マジメな本”の領域でだ。講談社のメチエ選書の一冊にかなりひどい「盗用」が発覚し、すったもんだのあげく回収騒ぎになったのが今年の始め。また、吉川弘文館の出した入門書にも同様の問題が指摘され、こちらは「盗用」された被害者が版元や編者、筆者の対応の不誠実さに怒ってその経緯を詳細な冊子にして公表、配布して現在も係争中である。その他、報道されていないがこの種のトラブルは最近、水面下でいくつも発生している。
言葉に対する責任の意識がグズグズに崩れ始めているのだと思う。それは何も「知のモラル」などと大上段に構えた議論を必要とするものでもなく、要するに単なる日常の人間関係の間尺での他人への基本的な配慮の欠如という、本当に情けない水準の話だ。
ものを書き、メディアの場に公表し、発言することが現実にどのような効果を生み、どのような反応をはらんでゆくのかについてできるだけ予測し、そこから逆算して言葉の水準を抑制し整えておこうとする慎重さも、またその能力自体もなくなり始めているのだと
したら、「批判」や「批評」といった言葉に宿ってきたはずの相互信頼などもうどこにもあり得ないだろう。パソコン通信上で発される言葉がともすればそのような抑制を欠いた醜悪なものになりがちなことなどとも、それはどこかで通じている事態だと感じる。