床下に五百万円

ワールドカップが日韓共催になっただの、海上自衛隊がアメリカ軍機をあっぱれ撃墜しただの、いつになく派手めのニュースが多い週でありましたが、その中でこの地味な物件に眼が釘付けになった。

床下に百円玉で五百万円分隠していた、という不思議なニュースであります。

何とも古典である。グッとくる。電子マネーだ何だとまで言われているこのご時世にここまで“もの”にこだわるというのが味である。

何より「床下」というのがうれしい。きっとこの人にとっては何が何でも「床下」でなくてはならなかったはずなのだ。マンションやアパートには一階でもない限り「床下」はないわけで、間違いなく土がこの下にある、という感覚こそが命。こりゃもう絶対に一軒家、それも畳の部屋しかない。フローリングの部屋にテーブルと椅子、あるいはソファといった生活にとっての「床下」とはまるで意味が違う。寝そべったりゴロゴロしたりという場所だからこそ「床下」も意味を持つのだし、“もの”としてのゼニの重さ輝かしさもまたこの上なく具体的に感じられるはずなのだ。 それに、何かこういう“もの”をためこみたいという手癖のただならなさも感じられる。ほら、缶入り飲料に昔ついてたプルトップ(フタの取りカス)を集めてみたり、牛乳瓶のフタを集めてみたり、あるいはタバコの空き箱をズラッとなげしに並べてみたり、何にせよそういう手癖の人ってのもいるじゃないですか。

とか何とか、あんまりいい味出してるニュースなのでうれしくなって勝手に盛り上がってたら、編集部のHさんが詳細を調べて教えてくれた。

ソースは五月二九日付の北海道新聞夕刊。舞台も地元北海道の岩見沢。ご当人は58歳の廃品回収業者で、恐喝で得た五百万円だけでなくその他合わせて千三百五十万円を全て百円硬貨に換金。一本五千円分のパックにして自宅に隠し持っていた由。その数、およそ十三万枚。総重量七百四十キロ。「百円硬貨で持っていれば、将来値打ちが上がると思った」という。

 考えてもみて欲しい。自分の家だか部屋だかの床下に一千万円あまりの現ナマが具体的な“もの”としてある、ということがどれだけ彼に安心をもたらしていたのか、民俗学者といたしましては、まずそのへんが泣ける。それは人を殺して始末に困って自分の家の押し入れや床下に隠しておいてどうにも臭いが隠し切れなくなって発覚するといった事件にも通じる、ある種の現実感覚のただならなさだ。

もっとも、この人の家が一軒家だったかどうか、また畳の部屋だったかどうかまではさすがに書かれてなかった。どうせならそこまで知りたかったよなあ、と思ってしまうのは不謹慎でしょうかね。