書評・今川勲『犬の現代史』間直之助『馬の表情』オバタカズユキ『ペットまみれの人生』

*1

 かつて、板倉至という軍人が.いた。軍用犬研究班の主任で陸軍大尉。一九三一年九月、関東軍が軍事行動に出た柳条湖事件の時、日頃から訓練していた三頭のシェパードを軍用犬として連れて前線に立った。

「『那智』『金剛』『メリー』を中隊と大隊本部の伝令用に使用したが、勇敢に任務に服した。だが、深夜から未明に亘る暗夜の激戦で、人と犬が離ればなれになってしまい、三頭の姿が消えてしまった。戦闘が一段落してから三日間、彼らを捜索した。瓦礫の中で二頭の遺体が見つかった。板倉によると遺体は「那智」と「メリー」のものであった。「那智」は胸部に貫通銃創を、「メリー」は腹部に貫通銃創を受けていた。「金剛」の行方はついに分からずじまいとなったが、戦死を遂げたものと容易に推察された。二頭の遺体を北大営の戦地に埋めて墓標を建て、弔ったという。」

 二ヵ月後、この板倉が戦死。遺言は「三人の子供をお願いします」だった。これが大きく報道され、三頭の軍用犬は小学校の教科書などに取り上げられ、祭り上げられていった。戦時体制下の英雄伝説の誕生である。

 このような軍用犬と警察犬をめぐる知られざる歴史を皮切りに、狂犬病との関わりの中で犬たちがどのように取り扱われていったか、また、欧米人主導の動物愛護運動がどのように展開され変貌していったか、という三本立てで勝負する今川勲『犬の現代史』(現代書館)は、犬と日本人の近現代史を描こうとした意欲的な一冊。民俗学者大月隆寛さんに聞いた。

「最近はペットブームと言われて、テレビや雑誌などでもよく特集が組まれますが、しかし、われわれ日本人と犬や猫、あるいは牛や馬といった家畜も含めた身近な動物との関係の歴史は実はまだ明らかになっていないことが多いんです。考古学では遺跡から発掘された犬の骨を調べて、早くから食用にしていたらしいことなどがわかってきていますが、明治維新以降の近現代史の脈絡でこのような日本人と動物との関わりを社会史的に解明しようという試みはまだ少ない。この本は巻末の年表や参考文献を見てもさまざまな資料をていねいに当たってよく調べられていますし、その意味でも
かなりの労作ですね。」

 大文字の分析よりもむしろ具体的な事実が中心。その分、読む側の想像力や構想力を働かせる余地が大きい本かも知れない、と大月さん。単なる犬談義でなく、犬をめぐる日本文化論にまで話は広がってゆく。

「犬だけでなく軍馬、軍鳩が英雄として語られてゆくようになるのがこの昭和初年ですが、同時に、今のようなペットとしての犬の飼い方が広まり、犬とのつきあい方が大きく変わり始めた時期でもあります。また、家畜に対するマーシーキリング(慈悲による死=安楽死)の習慣に乏しかった日本人の意識は、衰弱した軍用犬にわずかの食糧を結びつけてジャングルに放り出したり、また南極探検隊のタローとジローのように置き去りにしたり、というエピソードにも反映されていますね。」

 狂犬病の恐怖は野犬狩りを制度として確立させた。明治六年の蓄犬規則である。「二人または三人が組になり、犬を追いこんだら一人が牛肉などで犬の気をひき、一人が後方から棍棒で失神させるあるいは撲殺するというものであった。」これは後に関西から普及した針金製の捕獲器にとって代わる。東京では投げ縄も長く使われたという。死骸は余すところなく利用され、皮は人力車の背覆いから外套の襟、安物の鼻緒から三味線にまで広く使われた。とりわけ、普及品の三味線のほとんどは犬皮だったという。

「この時期、国民的芸能となっていった浪曲に不可欠の三味線が大衆化した背景にはこのような犬の皮の普及があった。あの忠犬ハチ公もよく野犬狩りにつかまって、そのたびに警官が取り戻しに行ったという話が残っています。猫にも猫取りという職業があったようですが、犬の場合ほど組織化されなかったらしい。いずれにせよ、こういう微細な歴史は今の歴史学からは死角になっていますから、このような誠実な掘り起こし作業はこれから一層必要になってきます。尊敬すべき仕事です。」

 馬についても興味深い本が出た。間直之助『馬の表情』(博品社)だ。昭和二九年に出たものの復刻だが、精緻な観察に基づいたわかりやすい内容は今のわれわれにも読みやすい。

「馬に関する研究書としてはもともと定評のあるもののひとつです。著者は戦前、間組の重役として働いたこともある人ですが、戦後は日本モンキーセンターなどに籍を置きながらニホンザルの生態について先駆的な研究を行なったことで知られています。外観を素材にして動物を考える発想は、相馬とか相牛といったもともと馬喰などの民俗知識としてあったものが、明治になって陸軍に流れ込んで近代獣医学などとも複合してゆく。日本の数少ない独創的な学問と言われるいわゆる“サル学”の発想の背景にあるこういう観察に長けた好事家的知性の伝統なども読み取れて、その意味でも奥行きのある本です。」

 たとえば、今の競馬の世界にもそういう軍馬関係の用語は入り込んで残っているという。

「“乾燥”などそうですね。この本にも『馬体の乾燥とは、余分の筋肉や脂肪が消耗されてひきしまり、皮下の筋や骨など
の凹凸や脈管などの細かい様子まで表面からうかがい知ることのできる状態をいう』と定義してある。競走馬の話も結構盛り込んでありますし、今の競馬ファンが生きものとしての馬を知る上でも役立つと思いますよ。」

 その他、生きものがらみの本には小品ながら光るものが出る。オバタカズユキ(絵・池田須貝子)『ペットまみれの人生』(扶桑社)は、犬猫は言うに及ばず、ハムスターやフェレット、トカゲなども含めた今どきのこの国のペット事情の広がりを、しかしあくまで、ペット飼育器具の卸問屋の息子として育ち「あれこれ数々のペットに手を出してきた」という著者の個的な体験の内側で語ってくれる。

「単なるペット本でなく、ペットを素材にしたある戦後生活誌といった造りになっているあたりがミソでしょう。もちろん、イラストつきのひとくちメモを中心に『ペットもの知り事典』的に読むテもありですが、できれば、読み手それぞれがこれまで飼ってきた生きものたちに想いをはせながら、“生きものを飼う”ということが高度経済成長期以降の日本人にとってどういう意味を持っていたのか、といったやや大風呂敷な問いと一緒に読んでゆくと一層趣きがあ
るはずです。」

*1:週刊ポスト』のブックレビュー欄。編集部文責のような体裁で、それぞれの本についてのコメントをまとめる形になっていたが、この時は割と地の文も含めてこちらの作業になった部分が大きかったような記憶。担当は……まぁいい。