「アジア」の純真

 先週文句を言った尖閣列島の問題の続き。その後、香港にある日本の通信社が抗議船に乗り込んで撮影していた映像がテレビ放映された。でかした。こういう足腰がないとニュースは面白くならねえ。

 あの抗議団体ってのが実はほとんど何の準備もないままで、しかも「4人が海にダイブ」ってのも勝手に盛り上がって海に飛び込んで何人か溺れ死んだってのが真相らしい。そんな無暴な岸和田のだんじり状態の事故死をいきなり英雄扱いしちまうあちらのメディアもメディア。まして、海上保安庁のヘリを甲板から見上げて「マシンガンがのぞいていた」だの「日本は軍艦を派遣している」だのの言いたい放題には笑っちまうしかない。とても尋常ではない。

 もちろん、そんな尋常ならざる状態が予期せぬ大きな動きを作り出してゆく現実もある。人間の社会なんてどこもそんなもの。本当のヒューマニズムってのはそういう前向きのあきらめに立ちながら現実に対処してゆくものだと勝手に思ってるのだが、なのに「日本」に対して「抗議」をする「アジアの人々」という図式だけで現実を見つめられなくなる雰囲気がある。それが昂じると自分を棚にあげて「アジアの人々」を看板に正義ヅラする本末転倒になる。そんな「アジア」なんてけったいなひとくくりに信心を持てるのが、中途半端に近代化しちまった“黄色い白人”日本人の何よりの証拠。韓国でもベトナムでもフィリピンでもいいけど、そこらの「アジア」の国の人間に「自分がアジアの人って自覚あります?」って片っ端から尋ねてみればいい。戦前は中国コンプレックスと西欧の抑圧とのはざまで脂汗流し過ぎた反動で「アジア」を叫び、戦後はそんな戦前をいきなり考えなしに否定させられたままの加害者意識が二重三重に折り重なったうしろめたさから一気に逃れようと「アジア」を唱える。どっちにしても不健康だし、何よりみっともねえや。

 ものは試し、この夏若い衆の間で流行ったpuffyの『アジアの純真』なんて曲を聴いてごらんなせえ。そんな自分勝手な勘違いをし続けてきたわれら日本人の「アジア」の奇妙さを裏返しに利用して何とか元気を出そうとしている健気さがわかる人にはわかるはず。本気でヒューマニズムを言うのなら、人間の社会である以上あっちにも自分たちと同じ程度にバカはいる、という現実に腹をくくるべきなのだ。その覚悟もなしに口先だけで「アジアの人々」を祭り上げてラクになろうなんざ、その了見があさましい。逃げも隠れもしねえ、どうカッコつけたってこちとらこんな民族なんでえ、とまず確信を持って互いに恥をさらし合う、そんな風通しの良さが今みたいな状況では最も必要なんだと思う。ほんとだよ。