「ベストセラー」をめぐる環境の様変わり

 いわゆるベストセラーが作り出されてゆく構造がこれまでと大きく変わり始めているらしいことは、出版関係者ならずともうすうす気づき始めている。『脳内革命』であれ『ソフィーの選択』であれ、あるいは『神々の指紋』であれ、最近数十万部から百万部以上と
いう異様な売れ方をした単行本というのは、これまで言われてきたようなベストセラーのありようとどこかで違う、冷徹な市場原理に支えられた「商品」としての雰囲気を持っているように感じられるのだ。

 もちろん、それが良いことか悪いことかはまた別の話だ。たとえば、最近こんな話を聞いた。アメリカでベストセラーになったある本を翻訳して出版する計画が進んでいて、大手広告代理店が宣伝媒体の選択から著者インタヴューなどまで含めてプロモーション一切
を全て仕切っているという。版元は音楽系資本の入った出版社。本当だとしたら本がまるで音楽CDのような売り方をされ始めているということだ。何でも同じ原作をスピルバーグが映画化することが決まっているとかで、こういう掟破りの手口もそのへんの周辺市場
拡大を見込んだ先行投資だと考えるのが妥当なのだろうが、それにしても、こういう物量だけが全てといった売り方は本当にわが国の読書市場になじむものなのだろうか。何より、経済的にペイできるものなのかどうか。どちらにしても見守っておくべき事態だと思う。