女性騎手、の現在

 「いじめで強制退学させられた」という中央競馬競馬学校の元女生徒の訴えが棄却された。彼女は競馬学校騎手課程の女性第一期生のひとり。訴えの内容を見ると「いじめ」というよりむしろ「セクハラ」なのだが、事実とは別に、彼女がそう訴えたくなる雰囲気があったかも知れないことぐらいは最低限推測できる。

 競馬は確かに身近になった。しかし、それを日々仕事としている者たちにとっては昔も今も、馬という大きな生きものの“生き死に”に関わる稼業なのだ。故障で競走中止した馬に乗っていた騎手が下りてきて「ダメだよっ、あきらめなっ」と厩務員に引導を渡す。あるいは、薄暗い厩舎で故障持ちの馬を前に獣医と調教師が「決着つけるか」とうめくように話し合う。そんな場に接したならば、馬券しか買えない素人の口出しできるような筋合いではない「プロ」の倫理が改めて身にしみる。

 先日4日、浦和競馬場でドルフィンボーイという七歳馬が走った。四歳時には今や南関東の総大将アマゾンオペラを子供扱いし、ついでに歴戦の古馬相手に東京大賞典までかっさらった川崎所属の快速馬。脚部不安で長期休養し、なんとほぼ二年ぶりの競馬だった。おい、ドルフィンボーイが出るぜ、と聞いた時、まだ現役抹消してなかったのか、と驚くと共に、ああ、きっと最後の花道を作ってもらったんだろうな、何とか無事に回ってこれればいいな、と思った。それがゲートを出てロクに走らないうちに左前指骨を骨折、競走中止。「そんな故障持ちの馬をどうして走らせたんだ」と言う向きもあるだろう。だが、走れる間だけが競馬ウマ。だから、少しでも走れそうならブッ叩いてでも走らせてやるのが馬のため。他人ごとのヒューマニズムなどクソの役にも立たない。そして、そんな修羅場だからこそ「女は近寄せない」と“何か”を守り続けてきた競馬社会の事情だってある。

 訴えた彼女と同期の女性一期生たちはすでに全員退学。それ以前には競馬学校に入れなかった女性もいる。だが、“男社会”が開かれてゆくためには、挑む側がまず実力で勝ち取るしかない。そのためにその実力を図る基準や条件を平等にすることが最前提だ。「女だから」と逆に優遇するなど、こういう“生き死に”に関わる勝負の世界では論外の沙汰。でないと、命がけで走る馬たちに対して失礼だ。そう、「プロ」とは性差を容易に蹴倒す倫理すら獲得し得るものなのだ。

 最近では地方競馬だけでなく中央競馬にも女性騎手がデビューし、ポニーテールをヘルメットからなびかせて馬を追う姿がテレビでも見られるようになった。だが、その背後にはさまざまに無念をかみしめてきた無数の彼女たちがいたし、今もきっといる。