書評・香月洋一郎『山に棲む――民俗誌序章』(未来社)


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言葉が「地方」の現実を描けなくなって久しい。日本全国が“東京”と化したからだ、と嘆く声が聞こえる。だが、それは確かに事実であっても、そのさまざまに“東京”化した中での「地方」もまた必ずある。問題は、その必ずある現実を描きだす手立ても志も、共に稀薄になってしまっていることだ。
香月洋一郎『山に棲む――民俗誌序章』(未来社は、そのような「地方」の内実に、今、民俗学の道具立てによって敢えて血肉を与えようとした労作である。ついこの間まで、山の自然の中に生きて暮らしてゆくということは具体的にどのような営みであったのか。微細な言葉の上に、文書と、図版と、写真と、それらの素材を淡々と積み重ねてゆくことで、どこか目のつんだ織物のような手ざわりの書物に仕上がっている。
ここには、若い嫁たちの駆るかわいい小物で充たされた軽自動車もなければ、しなびた鶏の唐揚げの並ぶスーパーも、野中にあやしく光るカラオケボックスもない。そのような「現在」の要素を眼前の事実から慎重によりわけた後に現われたこの国の「地方」のある水準の現実である。そのような丹精をくぐった分、安易に「田舎暮らし」に憧れたりする気分などにも同調してゆけるような“美しさ”を伴ったテキストであるかも知れないが、しかし、その誘惑に身をゆだねて読み違えたとしても、それはひとまず読者の責任だ。

*1:この頃、割とあの東京新聞でも仕事をしている。これは半署名の匿名書評コラムの枠。