解説 永沢光雄『AV女優』

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 声のいい男である。

 低くて太い。心地良い。だが、生身の耳には心地良くても機械にはそうでもないらしく、話を聴いたテープを起こしているとかなり聞き取りにくかったりする。けれども、言葉が言葉として聞き取りにくくなる寸前のところで、じっとその響きを楽しんでいるような、妙な辛抱強さの気配もそこに介在している。

 で、その辛抱強さをタテにしながら、こちらの話の合間に「うん、うん」と低くうなずかれたりすると、心のツボをやさしくなでまわされているような、なんかヘンな包容力がある。やだな、俺ってそのケはないはずなんだけど、こういうのってやっぱりそうなのかな。いくら話を聴いた場所が新宿二丁目の呑み屋だからって、気分のピッチまで場所に同調しなくたっていいのにさ。

 実はこの日、間抜けなことにテープレコーダーが故障していたことに現場で気づいた。手持ちの中で一番新しいのを持ってきたのだが、なにせ今どきの機械のこと、たかがテレコと言いながら生意気にハイテクの塊だから、いったんトラブると始末が悪い。これはもうおのれの商売道具を日頃きっちり手入れしていなかったこちらの初歩的ミスで、もの書きとしてこっぱずかしいことこの上ないのだが、初対面の挨拶をすませたばかりでのその醜態を見かねたのだろう、「あ、だったら俺のを使いますか」と気軽に言ってくれた。言うが早いか背中を丸めて店から出てゆく、その間合いと身のこなしは書き手というより編集者のものだった。

 取材される側の持込み機材で回したテープから、隣の座敷の宴会の賑わいに混じってそのいい声が、古手のテレコのくたびれたスピーカーをくぐって耳もとに聞こえてくる。たとえば、夏の夜、多くの虫たちの声の重なりあいがとぎれたところで初めて気づく、ジーッと低く響き続ける地虫のバリトン


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 ことの始まりは、ある日、向井徹が持ってきたコピーだった。

 『ビデオ・ザ・ワールド』と『AVいだてん情報』に連載していたインタヴュー記事だった。ずっと気になってるんですけど、これ、面白いんですよね。

 読んだ。面白い。他にもあるか。ありますよ、まとめてきましょうか。しばらくしてコピーの束が送られてきた。おい、こりゃ大労作だぞ。そうですか。そうだ、今すぐ読んで評価してもらえるかどうかはわからんが、五十年たちゃ貴重な民俗資料だ。よし、本にしよう。それも全部まとめて一冊。いいか、一本たりとももらしちゃダメだ。こういうのはドンと一冊にする度量をみせるのが正しい文化事業ってもんだ。はあ、心意気はわかりますけど、しかし、そんな本を出してくれるような出版社が今どきありますかねえ、と、さすがの向井も首をひねっていたのだが、あった。この不景気な御時世にこんなとんでもない企画を受け入れてくれたビレッジセンター社長、中村満氏の侠気には、心から感謝している。世の中、ほんとに捨てたもんじゃない。

 さて、一冊にまとめることになって、これまで彼、永沢光雄が取材して原稿にした女の子たちに掲載許可をとらなければならなくなった向井は、彼女らの所在の確認に大汗をかいた。多くは風俗に流れていて、中には行方不明の子もいたのだが、ただ、不思議なことに、そうやって探し当てた彼女たちの多くが、かつて彼に取材されたことを覚えていたという。

「ああ、あのクマさんみたいなオジさんね。よく覚えてる。あたしあん時、なんか知らないけどいっぱいしゃべっちゃったよね」。

 クマさんみたいなオジさん、などと言うと、何やらファンシーで不気味に聞こえるのだが、しかし、実際に会ってみると、なるほどその印象はそう間違ってもいない。ずんぐりむっくりの身体にボサボサの髪の毛。呑み屋のテーブルの前に座っているそのたたずまいは、いくつになっても妙な自意識やズレた身構え方ばかり目に立つことの少なくないもの書き稼業の人間たちの通例に比べれば、すでにまごうかたなく“オヤジ”のそれ。磐石の構えだ。

 実は永沢氏とは初対面でもない。間に何人か共通の知り合いの編集者やライターがいて話は聞いていたし、また、申し訳ないことに僕自身は忘れていたのだが、かつて身障者プロレスの現場で名刺を交換してもいたという。けれども、腰据えて話をするのは初めてだった。六時間あまり、店を二軒はしごしながら仕事とは思えない愉快な時間を過ごして、で、帰りのクルマの中、それまで聴いたことを耳の底から改めて取り出して確かめながら気づいたのは、ははあ、こりゃ相当に“おはなし”の作法が身についた人だぞ、ということだ。

 もともと白夜書房の編集者だったのをやめてフリーのもの書きになった、その事情を尋ねた時だ。

 「三十過ぎて勤め人やってるのがいやだった」というありふれた説明をした後に、こんなエピソードを彼はぽつりぽつりと話し始めた。

 会社をやめた。暇ができた。その頃つきあっていた彼女のアパートに転がり込んだ。FM放送に勤めている子だった。場所は大塚。そのアパートの窓から午前中、道行く勤め人をぼーっと見ていた。図書館に行ってできるだけ厚い本を借りてきて、いかにも何かを研究してるんだ、という風に座ってみたりもした。

 彼女は犬を飼っていた。彼女が勤めに出ている間、その犬を散歩させると五百円ずつもらえる。朝昼晩の三回。連れてっても連れてかなくても犬は何も言わないから、嘘をついても千五百円もらえる。二日で三千円。それで焼き鳥屋行ってチューハイ五杯と焼き鳥にありつける。

 「散歩行ってくれたの? 行ったよ。ああ、そう、ありがとう。で、千五百円。でも、犬がね、にらむんですよ。おめえ、嘘ついてんじゃねえよ、って。小さな座敷犬だったけど、こう、上目使いににらまれると、なんかいけないなあ、と。そのうちやっぱり愛想つかされて彼女に、出てって、って言われたんですよ。そしたらその犬も、そうそう、おまえそりゃ当然だ、って顔してねえ」

 こういう“おはなし”を、身振りを交えて実にいい雰囲気で語る。と言って、いわゆる“ノリがいい”タイプではない。むしろ、訥弁の方だろう。けれども、一定の速度と調子とで語られるその言葉には、確実にある“おはなし”の作法が反映されている。うまいのだ。深夜放送のDJなんかいいだろうな。と言っても、「リスナー」ぐるみの馬鹿騒ぎだけが目的になっちまった今どきの深夜放送じゃなくて、十五分くらいの枠でさらりと聴かせる、ちょっと前までは深夜放送の片隅にあり得たそんな小さな番組。FMならばなおいい。“おはなし”の力と、それを立ち上げてゆく声の不思議。よくできた短編小説を朗読しているような、練り上げられたまとまり。

 きっとこの犬に愛想をつかされる話は、語りの展開だけでなくそのシーンも含めて、もうすでに何度も語り直され、推敲され、あたかも手練れの編集マンの手で編集されたVTRテープのように、彼の身体の中できっちり定着された確かなものになっているはずだ。でなけりゃ、「一日で千五百円」だの「チューハイ五杯と焼き鳥五本」だの、これだけディテールが粒立っているわけがない。

 自分の体験をそのように“おはなし”の形にまとめ、語り、上演できる力。それはまた、人の話を聴き、くみとり、そのように語ろうとする眼の前のその人の内実まで含めてじっと耳傾けることについての方法的自覚にもつながってゆく。

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 以前、女性誌に掲載された黒木香のインタヴューの話になった。言うまでもなく、ワキ毛で一世を風靡したAV女優である。村西とおる監督のクリスタル映像(当時はダイヤモンド映像)全盛時の看板女優でもあった。

 それは失踪して数年、写真誌にスクープされてからすぐのインタヴューだった。インタヴュアーは女性のライターで、テキスト自体は確かに力の入った長いものだった。だが、その記事が出た直後、彼女は泊まっていた宿の窓から飛び降りた。自殺未遂説も流れたが、未だに真相はわからない。わかっているのは、そのようにメディアの視線に再び捕捉された時点での彼女の精神状態が極めて不安定であったことと、飛び降りた結果、瀕死の重傷を負ったことだ。

 「あれ読んで、なんか、いじめ以外の何ものでもないなあ、なんでこの状態の彼女にこれだけしゃべらせなきゃならないのかな、なんで女の人ってやさしくないんだろ、って思った。三時間でも四時間でもお話ししたんだから、その人がこれから元気になるようなものを書かなきゃしょうがないだろ、と。とにかくあそこまでしゃべっちゃう人なんだから、そういう状態なんだから、こっち側で書いちゃいけないところを考えて守ってあげないといけないのに。あれを書いた人と会ったことはないけど、きっと話を聴きながら頭の片隅で、あ、これもらいッ、とか点滅してそうな、なんかそんな感じがした」

 ルポとかノンフィクションとかを書こう、と自覚して書いたことは?

「ないですね」

 ほぼ、即答だった。ほぼ、というのは、反射的に、というほど意識的でもないということだ。だから、この答えは信頼できる。

 「ほら、なんていうか、うれしくなる話ってあるじゃないですか。僕はそういうのが聴きたいんですよ」

 明快だ。よどみがない。

「ずっとこの仕事やってて、ほんとにどの子もみんなしゃべりたいことを持ってんだな、と思いますよ。みんな忙しい中ちょっと時間とってもらって、そのしゃべりたいボタンをポッと押すのが僕の仕事なんですよね。で、いざ押してしまうと、あとはもうやることない。じゃあ、何してるかっていうと、相手の表情見てるのね。あいづちうってる。うん、うん、って。それで相手の話をフォローすんのね。はあー、とか感心して、あと、ここだな、と思うところで眼を見てあげるのね。あとでテープ起こししながら、ああ、俺ってほんっとにあいづちはうまいなあ、と」

 そう、この本に収められた原稿も、その時の担当編集者とカメラマン、そしてインタヴュアーの彼という三人に加えて、テープレコーダーという四人目の聴き手が、話を聴くべき彼女たちに向かい合っていた。そういう「場」に引き出された語りを素材として、もう一度彼がひとり手作業でていねいに編み直した結果の“おはなし”が、ここに収められた原稿だと考えていい。

「だから、横に誰かいないといけないのね。ひとりじゃインタヴューしにくい。横にいる編集者と顔見合わせて、いいねえ、うーん、わかるよねえ、ってやってる。僕は何もしてない。テープレコーダーがひとりで仕事してくれてる」

 この言葉を韜晦とだけとるのは貧しい。テープレコーダーがそこにあることで、インタヴュアーは「聴く」ことにおいて自由になれる。そこでのテレコは単なる記録の手段であると同時に、相手に対面する聴き手の意識に異なる解放をもたらしてくれる道具でもある。ただそこにいること、を可能にするための小さな道具。そうやって自由になった分、聴き手は“おはなし”の作法に自覚的になり、語られたことでなく語ろうとしていることに意識の焦点を合わせてゆくことができる。そして、眼の前の人間がそのように語ろうとしているそのわけについても。それは、“正確さ”や“客観性”だけを信奉する杓子定規な「事実」とは異なる水準の現実の広がりに、ゆったりと対面することでもある。

 でも、やっぱりノリの合わない人っているでしょ。そういう時はどうします?

「闘う(笑)。とことん僕の土俵に持ってくる。そのうちケンカ売るようになってきたりしてね。でも、そういうこともよくあるし、また、僕も敢えてそういうやり方することももあるから」

 ひとり、どうしてもしゃべってくれない子がいた。マネージャーからも、とにかく初体験とかそういう話は聞かないで下さい、しゃべらなくなっちゃいますから、とクギをさされていた。しかし、エロ雑誌のAV女優インタヴューとしてはそれでは仕事にならない。

「あらかじめ言われてるから、好きな色はなんですか、とか、どうでもいいようなことしか聞けない。でも、一応インタヴューが終わって流れで寿司屋に行って、そしたら自然に、彼氏いるの、とか、そういう話になるじゃないですか。そしたら、やっぱり彼女、三十分くらいずっとしゃべんないの。どうしようもない」

 困ったでしょ。

「困りましたよ。ほんとに何もしゃべんないんだもの。だから、もういいや、と思って、その時書いた原稿は全部その彼女の沈黙の部分はずーっとテンテンテン(笑)。で、下の段で別組みにしてもらって、その場での僕とマネージャーと編集者とが「あ、ヤベッ」とか「だから言ったじゃないの」とか、そういうこっち側の意識とか心理の移り変わりを書いた。そんなものを雑誌もよく載せたと思うけど、それを読んで、面白いからもっとやってくれ、と言われて注文が増えたんですよ」

 下半身がらみの勝手な思い込みだけでまとめたよくある風俗ネタのルポは好きではない。ジャーナリズムお決まりのいかつい文法によりかかった取材ものもいやだ。同じ“おはなし”でも、相手と共有した相互性の「場」が見えてくるような、その中で相手の輪郭もまた描き出されてくるような、そんなふわっとした人の良さを持ったものがいい。それは、効率によって目的に肉薄してゆく「仕事」の速度と、その速度に縛られた「事実」の相ではなく、ただ漠然としたぶらぶら歩きでしかとらえられない速度の現実なのだと思う。彼女のアパートの窓から道行く勤め人をぼーっと眺めていた、世の中の速度からひとつ“おりた”余計ものの視線。

「僕はエロ本編集者だったから、AVの子とか風俗嬢とか仕事でのつきあいがあるでしょ。すると、よくわかるんだけど、みんな頑張ってるんですよ。あの子たちは決して自分はこうだってことは言わないし、実はヘンな男にひっかかったりもしてるけど、最低限頑張って生きてる。そりゃ生まれ育った条件は、父親がどうとか家庭が複雑とかいろいろあるけど、少なくともそういうそころに“落ちてきた”なんて感覚はないわけですよ。なのに、AVに出てダメになった女の子たちを私はこんなに暖かく見守ってるんですよ、みたいな調子で書いている記事がやっぱり少なくない。なんだあ、これ、と思う」

 うん、その感覚じゃやっぱりそこらのルポにはならないわ。

「人間が落ちるのを書くルポってあるじゃないですか。精神病院の中に入ってみたり、いろんなところに潜入したり。そういうのってあまり好きじゃない。なんかさあ、人を見下ろしてるんだよね。それで決めつけて書いてるから。だったら、入んなくていいのよ、そんなところに。ほら、人と会うことって、絶対、変わることでしょ。変わることを畏れずに受けとめてゆけば、文章も変わってゆくし、それを喜びとしなきゃいけないのに、ね」


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 生まれも育ちも仙台。東北人なのだ。

 父親は公務員。東北郵政局に勤めていた。母親は満州からの引き揚げ者。酒飲みで面白いオヤジだった。酔っ払って自転車に乗って帰る途中、止まったトラックに突っ込んで血まみれになって、それでもそのことをとぼけた語りで言い訳したりしていた。彼の身についた“おはなし”の作法は、この父親の血なのかも知れない。

 高校はミッション系の私立校。軟式テニス部を仕切っていた。とりあえず人望はあったらしい。

「でも、テニスだからみんなしゃれたウエアとか着たがるわけですよ。あと、ポカリスエットみたいなのをチューブから飲みたいとか。そんなもの買っちゃダメッ、インターハイ出られるまで禁止、って言って上半身裸でやらせてた。結局、裸のまんまで終わりましたけど」

 文化祭で芝居もやった。何やらキリスト教がらみのパロディをやって職員会議に呼びつけられた。だが、「僕の目の黒いうちはキミは許さん」と頑張っていた校長先生が脳溢血になったんで停学にならずにすんだ。助かった。

 大学へ行こう、行って八〇年安保闘争をしよう、と、なぜか勝手に思っていた。そのためには大学に入らなきゃいけない。高卒で働いてもしょうがない。ほら、かつての闘争ではみんな労働者と一緒に闘ってた、ってあったでしょ。でも、僕は労働者になりたくなかったのね。選べるならやっぱり学生の側になりたかった。でも、受験勉強できなかったから二浪もしちゃった。

 東京に早稲田予備校ってのがあって、一年通うと大学入れるらしいぞ、と聞いた。上京した。そんな甘いもんじゃないことがすぐわかった。勉強に身が入らない。一年たった。入れる大学はない。と言って、働く気もない。そのうち、弟も受験の年になる。持っていた受験要項を取り上げてめくってみたら、試験科目がラクそうな大学は、大阪芸大桃山学院の文学部と、あと沖縄ナントカ大学ってのがあった。おふくろに見せたら、沖縄は遠いし桃山なんてのはどうも名前がよくない。この芸大ってのならいいだろう、というのでそこに決めた。

 受験の前日、大阪へ行った。関西は初めてだった。夜、阿倍野の呑み屋に入った。にいちゃん受験か。はい。どこ受けるんや。あの、大阪芸大です。ゲイダイ? 一同大爆笑。ちょうどその店でバイトをしていた芸大生が厨房から顔を出して言った。あのな、にいちゃん、芸大やったらな、朝まで飲まんとうからへんで。はあ、そうですか。真に受けてその場の客たちみんなで朝の五時まで飲み歩き、最後はどこかのゲイバーで沈没。よっしゃ、にいちゃん、これなら合格間違いなしやで。

 そのまま面接に行った。酒臭いことおびただしい。何を聞かれたかロクに覚えていない。それでも合格した。ひでえ大学だ。

 ところが入った方もひどかった。大学の約束ごとがわからない。誰も教えてくれない。いつから授業が始まるんだろ。四月が過ぎ、ゴールデンウイークが終わっても何も言ってこないのでさすがに尋ねに行ったら、君ね、大学には履修届ってのがあって、それを出さなきゃ授業は受けられないんだよ、それに教科書ってのも自分が買わなきゃいけないんだよ、と言われた。高校までは教科書は黙っててもくれるものだったのに。早くも一年棒に振った。いやになった。劇団でも作ろうかなあ。

「ほんとはミュージシャンになりたかったんですよ。モテたかったから。でも、楽器やってないもんでなれない。その当時は唐十郎と李礼仙とか、佐藤信と荒井純とか、芝居の演出やると女優とくっつけるもんだと思ってた。だから、芝居やろう、と」

 作った劇団の名前が「愛の冷やしパンツ」。ふざけてるのか、それとも本気が度を越すとこうなるのか、それはよくわからない。ただ、確かにこういうわけのわからない誠実過ぎる不真面目さは、当時八〇年代初めのある気分の最大公約数だった。、とりわけ、芝居まわりにはそれは濃厚にあった。

「ところが、僕とくっつく前に役者同士で先にくっつくのね。だから、劇団内恋愛禁止とか言い出していじけちゃったりして」

 劇団を作ってはみたものの、芝居まわりの人間たちにはずっと違和感があった。特に、役者。

「役者って素直なのね。髪切れ、とか言うと本当にやってくる。俺だったらやんねえよなあ、なんで俺みたいな人間の言うこと聞くんだろ、とずっと思ってた。馬鹿だよねえ。で、昼間稽古場でムチャクチャ言われてても、夜中に部屋にやってきて恋の悩みとか相談してきたり。ほんと、あれは何だったんだろ」

 そんな日々の後、友だちの誘いで上京して白夜書房で仕事をし始める。特にメディアに関心があったというわけでもない。これぐらいならばできるな、という感じだった。その感じのまま仕事を続けていたら、いつしか東京に居ついてしまった。


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 今回、本が出ることになって、一番喜んでくれた人たちがいる。

 まず、ナカザワシンイチ。

「と言っても、白夜書房のね。あの中沢新一と一字違いの中沢慎一。歳はちょっと上だけど。あと、連載にずっとつきあってくれた四人の編集者が、みんな自分のことのように喜んでくれた。我慢してこの連載続けたっていう、そのことが報われたって気持ちがあるんでしょうね。連載している間は営業や上の方から、クラいからこれ切れ、ってずいぶん言われてたんだと思うけど」

 ただ、現場でAV作ってる人たちからいつ殴られるかな、という気持ちがずっとあった。

「実際、ある先輩で監督もやってた人から、おまえ、原稿に“取材の前日にビデオ見て書いた”って書いてたな、結局な、おまえらはAVを馬鹿にしてんだよ、ただカネ欲しいだけで書いてんだよ、って言われた。この人むちゃくちゃ言うなあ、と思ったんですが、でも、その言葉ってのは未だにずっと響いてて。だから、そう言われてから一歩前に進めましたね。俺はAVの監督しててAVを愛してる、その人はそう言うわけですよ。でも、ふざけんじゃねえ、この野郎、俺はそのAVに出てる子を愛すぞ、って」

 意地になって一度に三五枚も原稿を書いた。多過ぎる。それでも、編集者たちはその原稿を何とか載せてくれた。むりやり詰め込もうとしてびっしり組んだ活字のせいで、そのぺージだけ何か地模様のようになった。読む奴いるんか、こんなページ。

 中沢慎一が言った。

「いいんだよ、おめえ。俺たちグラビアの方でエロやってんだからよ。これはなんかプライドのある文章だからこれでいいんだよ。文章までエロになっちゃうと、なんかヤなんだよな」

 いいタンカじゃないか。

 エロなグラビアで青少年にオナニーさせてんだから、活字のところでちょっと人生考えさせることもありだろう、と。本気でそんな効用を考えていたのかどうかはともかく、少なくともそういう心意気というのがあった。活字がまだ活字であることだけでそんなアホらしくも美しい心意気を宿し得る、おそらくは最後の時代だった。

 それは何も白夜書房に限ったことでもなかったはずだ。そういう心意気はこの国のB級メディアの伝統なのだ。現に、かつて愛読していた『写真時代』にも、上野昂志が見開きびっしり、それも「評論魂」なんて大上段なタイトルの連載原稿を書いてたり、平岡正明滝本淳助と組んでもったいないような力作ルポを載せてたりしてたもんだ。で、エロ本買ってチンポコおっ立てて悶々としながら、そんなページを一生懸命読んでたこっちもなんなんだ、ってことなのだが。

「そういうのにプライド持ってる人たちがいたってことなんでしょうね。ただ、今はもうそれもなくなってる。同じエロ本でも二十代の編集者はかなり感覚が変わってきてますね。だから、もうこんな連載はこれから先、難しいかもしれない」

 連載中、読者からの手紙も何度か来た。僕も頑張ります、勇気づけられました、といった中身だった。

「あと、なんかわかんないおじさんで、永沢氏の文章には感じるところがある、とか言ってエロ本送ってくる人がいた。永沢ってのはすごくさびしい奴だと思ってるんだろうなあ。そこに書かれているAV女優を通してそんな永沢に励ましのエロ本を送ってくれるわけ」

 これまで彼が仕事をしてきたメディアの発行部数は、『ビデオ・ザ・ワールド』が十万部。『AVいだてん情報』が三万部。八〇年代のメディア稼業としては徹底的に野戦の、それも激戦地ばかり。およそ死屍累々の消耗戦だったはずだが、それら最前線を転戦しながらしぶとく生きのびた彼は、彼の速度でAV稼業の女の子たちにずっと会い続けてきた。読んでもらえればわかると思う。ほんとに、貧しさというのは存在する。そしてまた、階級も存在する。ただ、これまでの貧しさや階級でしか現実を見ようとしていないから、今のこの国の「豊かさ」の中の貧しさや階級というのが見えなくなっている、それだけのことだ。

 たとえば、彼女たちが将来の夢を語る時、まるで判で押したように「店をやりたい」と言っている。それはお好み焼き屋だったり、串カツ屋だったり、カウンターだけの小料理屋だったり、人によりさまざまだけれども、しかしそのような「商売」を自分の手でやれるようになることが何より一番確かな暮らしの基盤になり得る、という信心がある。そして、それは誰に教えられたものでもない、彼女たちがこれまでの生の中で自然と身につけてきた“確かさ”についての感覚なのだと思う。

 ああ、常民だなあ、と、不肖大月、恥ずかしながら民俗学者でありますからして、どうしてもしみじみしてしまう。

 自分と社会の関係についての想像力がそのような「商売」の範囲から先には絶対に行かない。行きようがない。もちろん、それは何かのはずみで妙な宗教にハマったり、あやしい商売に横滑りしたり、妄想に等しい思い込みや勘違いに失速したりすることも含めてなのだが、にしても、この国のこの時代に生まれ落ち、いずれ身ひとつで世渡りしてゆかなければならなくなった女の子たちが持たざるを得なかった世界観として必然である。そして、その必然とは「世の中、昔からずっとこんなもん」というあたりのとほうもない“リアル”にがっちりバインドされている。

「自分も恋をしてるのに、ママにだけ恋愛をやめろとは言えないですよ。そんなことを言ったら、同じ女としてかわいそうじゃないですか」

「一度だけどうしてもコカインがやりたくなった時があったの。三日間ぐらい。でも、ここでやったら中毒になって、お金が欲しくなってソープランドに行くことになるんだなと思って我慢した。ソープだけはいやなんだ。セックスは好きだけど、お金でやらされるのは絶対イヤ! かっこ悪いじゃん」

「あの頃は、一日一回は男に生まれればよかったって思うぐらい、男になりたかった。わたしが男だったら一生懸命頑張って、野球の強い高校に入って甲子園をめざしてたんじゃないかな。もちろんピッチャー。そして今頃はジャイアンツに入ってたりして(笑)。それはないか」

「わたしね、外人に憧れてるの。子供の頃は大人になったら絶対に、ブルーの目でブロンドの髪のナイスなボディの外人になろうと思ってたの。ハーフでもいい。ハーフの子って凄く可愛いじゃん」

「犯されているおかあさんを助けようと、隣の部屋で弟をばんばん叩いてました。『泣け! もっと泣け!』って。自分の子供が火がついたように泣きわめけば、母親はどんなにひどいことをされてもこっちの部屋にやってくるじゃないですか。静かにしたら、おかあさんはただやられてるだけ。今なら『やめろよ』って言えるけど、その頃はそのくらいしかできなかった」

「ママッてね、名器なんだよ。家に帰った時、訊いたの。『ママのアソコってどんな具合なの』って。そしたら『カズノコ天井とイソギンチャクが合わさったようなもんよ』だって。リナもそうなのよ。同じことを男優さんに言われたもん。思うんだけど、ガンと離婚と名器って、遺伝なのね。親がガンだと子どももガンになるし、親が離婚してると子どももまず百パーセント離婚しちゃうね」

「親はバカだよね。女子校に入れば変な男とくっつかないと思って安心してやんの。娘が高校に入ったその日から女の子を食いくまっているとも知らないでさ……」

「勉強は大ッ嫌い。全然わかんないんだもん。この世のモノとは思えない。机の前に座ると眠くなっちゃうしさ。なんでみんなは授業についていけるんだろうって、不思議だったなあ」

「水に入るのが大好きじゃけ。泳ぐというより、水の中にもぐるのが好きじゃけ。水の中にいると、なんか違う世界に来たみたいな感じがするじゃろ。耳がツーンとなって。あれが好きじゃけ。ウチの本当の親はカッパじゃと思っとるけ」

「近所では、小さい子らの面倒を見るいいお姉さんでしたよ。子供の頃から子供好きでね、将来は保母さんになりたいと思ってた。学校から帰るとお母さんたちから「今日もうちの子をよろしくね、って言われて、いつも三、四歳ぐらいの子たちと遊んでた。対等に遊んでたなあ。やっぱり精神年齢が低かったんですかねぇ」

「わたし、お酌ができないんです。社員旅行の宴会なんかだと、必ず女子が男の人にお酌をさせられるんですね。あれができなかった。なんであたしがあんたにお酌をしなくちゃいけないのよって感じ。だからわたし、絶対に水商売に向いてないと思う」

「お母さんって、夜の十時に出かける時に、ビニール袋に化粧品とかいろんな物を入れて持って行くんだけど、じっとそれを見てると唯一わたしにはわからない物を入れてたの。今思うと、コンドームなのね。それも何枚も」

 あんまりだ。あんまりだ。ああ、もしも俺がバイリン並みに英語ができたなら、きっちり横文字に直して、スタッズ・ターケルに読ませてやりてえ。こういうにっぽん、こういう「豊かさ」の現実を。「豊かさ」の中に必然として宿る“リアル”の、長い歴史に裏打ちされた確かさを。

「父親に犯されて、かあちゃん男に狂っちゃって、彼氏がヤクザに殺されて、なんて話が毎月毎月ですよ。毎月ひとりずつファザーファッカー内田春菊みたいなのがゴロゴロ。僕はそういう話にヨワいから、もう抱きしめたくなるんですよ。わたくしごときでよければ抱きしめますけど、ってなる。でも、それはやめて、って言われるけど(笑)」

 酒が回ると、口ごもるその間合いが長くなる。そんな時、隠れていた「東北」がじわりとにじむ。

「競輪場なんかで穴場に並んでると、横にいるオッちゃんが言うのね。なんっで、俺たち田舎もんが買う車券ばっかし来ないんだべなあ、って。なまってんのね。で、“俺たち”って、もうこっちもその中に入ってんのね。一緒にされたくないなあ、と思いながらね。でも、オッちゃんから見るとこっちもおんなじようなもんなのね、きっと」

 ギャンブルは好きなの?

「いや、そうでもない。ギャンブルってね、熱中できない。なんかね、引いて見ちゃう。負けても、なんか悔しくないのね。死ぬ前の阿佐田哲也さんにその話したら、君は長生きするよ、って言われた」

 仕事だったけれども、阿佐田さんに会えたのは幸せだった。本物だと思った。本物が書く文章って、簡単であれば簡単であるほどいいなあ。ただそこに座ってるだけですごい人に、あれこれ言うことはないよなあ。そこにそうしていること。そこにそうして生きていること。あれこれ言わずにただ眺めて、うん、うん、ってうなずいてあげれば、ただそれだけで“おはなし”は見えてきたりするんだよなあ。

「やっぱり、思うんですけど、この仕事やりながら何かを信じてたんですよね。彼女らに対しても編集者に対しても、一生懸命やってれば絶対何かがある、って。だから、テープ起こしから何から僕なりに一生懸命やってた。そうしたらある日、向井君から電話があって、本にしませんか、って言われた。カミさんに言ったらひっくり返ってびっくりしてた。で、中沢さんや四人の編集者が、おーっ、良かったなあ、頑張ってた甲斐があったなあ、って喜んでくれて。そういうの見ると、やっぱりみんなで頑張ってきたんだなあ、って思います」

 永沢光雄。36歳。昨年の年収300万。奥さんは新宿二丁目で焼き鳥屋をやっている。その馴れ初めにまた実にいい“おはなし”があったりするのだが、それはまた別の機会にしよう。