マンガ評・小林まこと『1・2の三四郎 2』(講談社)

 歳をとる、というのは難しい。単なる年齢を加えるというだけならば、それは誰もが経験する、生き物なら逃れられぬ過程だ。しかし、うまく歳をとってゆくことは、現実はもとよりたとえ虚構の中でさえも、本当に難しい。

 だが、小林まこと『1・2の三四郎2』(講談社は、その困難に果敢に挑戦し、そして大いに健闘している。かつて八〇年代初めに支持された人気少年マンガの延長戦。少年マンガ/少女マンガというジャンル分けが溶解していった八〇年代をはさんで、『WHAT’S マイケル?』の成功で身についた余裕と、そのように時間を味方につけてきた技術の蓄積を武器に、かつての少年マンガの心意気を活かした“おはなし”の再生が今なおあり得るのか、という一点に著者は賭けている。

 間違いなく三十代半ばを迎えたはずの、すでに妻子もあり、それなりに責任ある地位もあってしまったりするかつての三四郎たちが、もう一度プロレスのリングに登る。といって、安手のノスタルジーやお涙もののロマンチシズムはない。あるのは「アホ」であり「バカ」であることの毅然。復帰第一戦、デスマッチに臨んだ相手の紋切り型の脅し文句に、「それじゃあ、オレが今までいかに平和で楽しくのほほんと生きてきたか教えてやるわい」とタンカを切った三四郎は、このひとコマで、われらの時代の英雄となった。