CD評・広沢虎造『広沢虎造浪曲全集――清水次郎長伝』(コロンビア COCF-13516〜23)

石松三十石船道中
本座村為五郎
荒神山の血煙り(一)(二)
荒神山の血煙り(三)(四)
大瀬の半五郎(一)(二)
大瀬の半五郎(三)(四)
大瀬の半五郎(五)(六)
大瀬の半五郎(七)
清水の三下奴(一)
清水の三下奴(二)(三)

CD化がまず手柄だ。CDにならないことには若い衆に聴いてもらえない。虎造節って知ってるかい? なに、知らない? よしきた、これを聞け、ってんでポンとそこに放り出してやれる。これがまず今回一番の利点。
二代目広沢虎造。東京は芝の生まれで安立電気の職工で、東京駅の大時計は虎造でないと直せないという伝説まであった。そんなわけないんだけどね。でも、そういう話だ。
ラジオが出現して初めて虎造は国民的人気を獲得できた。劇場では声が小さくて、彼のタンカの良さは発揮できなかった。PAなどない時代のこと、劇場の天井にピアノ線や針金を張って拡声器がわりにしていたというから、ニュアンスを活かす会話の妙は望めない。と同時にまた、そのような会話の妙を楽しむだけの聴き手も育たない。対談や座談会といった企画が活字メディアの中に出現し始めるのとラジオの出現とは同時期だ。それまでくすぶっていた虎造が人気を獲得してゆくようになったのは実にそういう時代だった。そう、虎造節はフシよりもむしろタンカ、会話や対話の妙で聴かせた浪花節だったのだ。
そんな彼の次郎長伝は、言うまでもなく森の石松が花形。だが、石松が死んで後の新たな展開の段が今回この六枚組の主題だ。挨拶代わりの三十石船や「荒神山の喧嘩」もあるけれども、ウリはやはり七席にわたる「大瀬の半五郎」だろう。平岡正明の考証によればこれは水滸伝の武松の影が濃厚に漂う外題で、もとは神田伯山の講談ネタだった次郎長伝自体とは別に、浪花亭綾造経由で虎造が戦後に作ったのではないかという推測だが、おそらく当たっていると思う。
戦後民主主義だよ、虎造は。またいい加減なことを、って? なら、これはどうだ。

「進むことを知って退くこと、負けることを知らない。猪武者。こういう奴は人に便利に使われて早いこと死んでしまいます。」

石松が閻魔堂の前で斬り死にする直前の一節。録音時期は未確認だけれども、明らかに虎造自身の、というよりも虎造を介した時代の批判力を感じる。石松的な「馬鹿」の位相が戦争体験を媒介に変わってきているのだ。
今回収録の音源には昭和三十年代前半のものが入っている。戦争体験を独自に内化してゆき、戦後に改めて開花した虎造節の、いや日本の国民芸能だった浪曲の達成した水準が今、CDで聴ける。うれしいじゃないか。